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メタバース 徹底して解るまで その12

メタバース 徹底して解るまで1 で紹介したWWWの歴史について指摘がいくつかあるので、追記しましたが、ここにも上げておきます。歴史をどう書くかは歴史的事実とそれを解釈するビジョンのせめぎ合いで、今後Ballの説の紹介も、僕のコメントを増やしていこうと思います。今後もできるだけ指摘された点には答えていきます。
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Ballの語る「歴史」として紹介していますが、そこへの明確な言及がなくて、「これって、正しいの?」みたいな指摘があります。たしかに、僕も30年くらいここに付き合い、HTMLの初期にいろいろ活動をしていた経験と当時WWWについて言われていたことと違うなという感じはありましたが、そういう「歴史」も確かにあるなとおもい紹介しています。このあたりここでもっと書いておくべきだったと思い、追記で「定説」を加筆しておきます。

具体的には、Hypertextの成り立ちからHTMLまでの歴史の部分で、「CERNではなく米国国防総省によってWWWができたような記述はおかしい」といった指摘です。たしかに、World Wide WebはCERNに所属していたティム・バーナーズ・リーが開発したものです。これがMosaicによって使いやすい仕組みが加えられて一気に普及しました。このとき、国防総省(DoD)の資金援助があったかは英語のWikipediaではW3Cに対してDoDの機関であるDARPAが協力をしたとあります。つまりBallの説です。僕はBallの本を読むまでCERNの説で考えていました。ですが、ブッシュが1930年代からアメリカの軍事戦略に深く関わってきたというBallの本の流れとメディアラボが軍需からの研究資金がなくなって、バブル期の日本に営業をかけたという話を実際に現場で見聞きしていて、Ballの書く「歴史」もあるかなと紹介しています。二つの解釈ができるという点を本文でコメントとしてしっかり書いておくべきでしたね。ここに追記しておきます。

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