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研究工房 デジタルアカデミズム宣言 4


昨晩8時から1時間半ほど徹底して能動的推論について議論した。ここ3年4年ほど夢中になっている能動的推論だが、僕は哲学からアンディ・クラークを経由してアプローチしている。日本でも能動的推論の提唱者であるフリストンと共同研究している若手の研究者は多いのだが、神経科学の人が多い。学問の建て付けで見ると、

1)方法

確率論 

   ヒントンによる実装(ニューラルネット、深層学習)

参与観察

解釈学(外国語古典語が読めるか)

ディスコース分析

2)方法論(どのようなデータをどのように獲得してどのように分析(方法)するか

センサーでデータをあつめる

テキストを読む

アンケート調査をする

民族誌を書く

現象学的記述を行う

もの(建築、道具、など)を調べる

など

神経科学 心理学 医学 ロボット工学といった領域はここで来まる。

3)理論

論理実証主義

現象学

解釈学

象徴的交換記述・分析

など

4)認識論 epistemology

客観主義

構成主義

主観主義

となり、基本的に20世紀は物理学支配の時代で、能動的推論のもとになる自由エネルギー理論も統計力学量子力学の認識論 客観主義を引っ張っている。ニュートンからアインシュタインまでは確率という考え方を物理学はいれていないが、統計力学から量子力学までは確率の方法と方法論が認識論における客観主義とカップリングされてきた。ここから外れると異端であった。

ここの動きが一気にかわってきたのがここ数年で、物理の枠のなかで神経科学を研究していたフリストンの研究と、人間の定義について疑問をもっていた哲学者のアンディ・クラークが出会い、認識論上の大変化を引き起こした。そしてその変化がコンピューターの設計に大きな影響を与え始めた。インターフェイスという概念が35年前に(1986年)ウィノグラードによって定義され一気にインタラクションデザインがうまれてきたように、これからautonomousという概念が定義され(まだね)新しいインタラクションデザインが生まれようとしている。

だが、これを情報として説明するのはどうにかできるが、実践としていくには大きな障害がある。そこが今考えているところで、能動的推論レベルの数式がでてくると量子力学の訓練をうけた人でないと理解できない。で、理解するうちに実証主義認識論で考えるようになり、未来を予測するという新しい認識論に否定的になっていく。で、未来予測という認識論的課題を避けてしまう。すると、近視眼的な理解と説明になって、能動的推論という「方法論」の面白さは見えなくなる。これはビッグデータ分析においても同じだ。そこで哲学の登場になるが、こちらは僕の解るところではあるが、決して簡単ではない。大塚さんの『統計学を哲学する』という希有な本があるが、論理学とイギリス経験論とその批判の素養がないと結構難しい。

この状況はコラボレーションで乗り切るしかない。というわけで情報熱力学を語る田原さんと、量子力学と神経科学が語れる藤崎さんと認識論とロボティクスの理論が語れる僕の3人で勉強会をしようと話したのが何ヶ月か前である。で、いろいろ資料を読み込んで、ようやく第一回。

いきなりおもしろかった。じっくりとこのあたりをまとめて2〜3ヶ月後に第二回を行いたい。

深層学習は数学的な負荷が大きいので、どうしても方法が先行して、その方法を使う研究者が自分の方法論、理論、そして認識論までを含んだ反省的考察が不足する。で、まあ僕みたいに哲学的にはいると、比喩的に話しているのかデータを使っているのか、数学モデルの構築をしているのかがごっちゃになる。で、これでは「学問」にならない。ロボット設計という学問を確立するには上記の4つのレイヤーがしっかりと組むことが必要なのだ。能動的推論はアンディ・クラークが哲学なんてまったく知らなかったフリストンの研究をみつけて、何度も対話を繰り返して、大規模な共同研究を次々とたちあげて、この枠組みで研究する若手をどんどん生み出していくことで成功した。そして、認識論のイノベーションを一気におこなっている。ここがなんともスリリングだ。

ロボット設計論はまだ確立されていない。ウィナーのサイバネティクスの最初の方を呼んでいると、21世紀にロボット設計論が抱えている問題が70年も80年もまえに議論されている。

僕たちは21世紀になって、20世紀の終わりにでっち上げた「認知科学」という論理実証主義の心理学・システム設計という亡霊からのがれられていない。前期ウィトゲンシュタインがいまのコンピュータプログラミングの原型となる考え方をつくるわけだが、

その限界に時間をかけて挑戦していた後期ウィトゲンシュタインの声がまったくロボット設計論にはとどいていない。


最近になってすばらしい日本語訳とコメントが登場した。学問的には新しいことをする大チャンスである。




   さて、フリストンの本がMITプレスから3月頃出版されるが(その最初の緩いドラフトはPDFで公開されている)量子力学パラダイムの拡張である。

これにくわえて、サイバネティクスパラダイムの拡張であるSethのBeing Youはすでに発売された。

現象学的なチャレンジはいまメルロポンティ再考のかたちでまとめられつつある。この3つのどれかが勝つというより、3つが融合して新しい認識論が生まれる気がする。そのときにはわれわれ「人間」は近代的な存在であることをやめて環境(自然とデジタルの両方)のなかに新たに住み込み始める「新しい人間」になっていると思う。ここまでに何年かかるか?5年くらいではないのか?

このあたりで大体建て付けは出来た感じがあるので、次回はもう一歩踏み出してみよう。



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