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#74 ダイセキ(9793) 2020/08/25


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       山本潤監修「グロース銘柄発掘隊」 第74号

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 山本潤氏率いる「株の学校」で、山本氏をはじめとする講師陣の薫陶を受けた精鋭アナリスト達が、成長株を発掘し、その内容を詳細にレポートします。

 毎週火曜日配信、1回に1銘柄の深掘りレポートです。


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               【目次】


■はじめに
■ダイセキ(9793) 客員アナリスト カーツ大佐
■モデルポートフォリオ 8/11追記あり!


※本メルマガの一部内容を、億の近道へ抜粋の上掲載することがございますので、あらかじめご了承下さい。


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■はじめに


 NPO法人イノベーターズ・フォーラムのご協力により、客員アナリスト
たちのレポートの有料メルマガを提供しております。

 グロース銘柄発掘隊の隊長は東京2期生です。
 彼の指揮下、隊員たちは、週に一本のフルレポートをディープに発表します。
 どれも個性あふれるレポートです。

 投資家のみなさまにおかれましては、ぜひ、グロース銘柄発掘隊の客員アナリストたちへのご支援をよろしくお願い申し上げます。

(山本潤)


【発掘隊より】

 グロース銘柄発掘隊は、5年から10年以上の長期投資に耐えると思われる銘柄を発掘し、調査分析するものです。配信した銘柄は短期的に株価調整する場合もありますが、対象企業の前提条件が変化しない限り、問題ないと考えます。
 配信した銘柄は定期的にチェックしております。もし、前提条件が変わったりビジネス環境が大幅に変化した場合には、あらためてフォローコメントを配信致します。


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■ダイセキ(9793)

【会社概要】

 今回は株式会社ダイセキのレポートです。
 産業廃棄物処理業者として、初めて東証一部に上場した実績を持つ当社は、上場、非上場の競合他社とされる企業と比べて、トップクラスの規模、高収益を誇っている、業界のリーディングカンパニーといえる存在です。

 2000年2月期から2020年3月期までの過去20年において、年率売上平均成長率は7.6%。営業利益は8.7%となり、年々収益構造を高めながら成長を遂げています。また、営業利益率は同期間17.5%で、高収益体質を長年にわたり維持しております。直近2020年2月期は、売上540億円、営業利益108億円です。


 産業廃棄物処理業の価値とは、顧客に取ってみれば、目の前にある厄介ないらないものが目の前からすぐになくなることが価値であり、そこに付加価値をつけたりして高収益体質にすることは難しいように思えます。産廃の回収自体は、極論すれば、誰でもできる仕事であり、価格競争に巻き込まれやすい性質を持っているからです。

 しかし当社はそのような安売り競争化しやすそうに見える業界を仕事のドメインとしているにも関わらず、20年に渡り成長を続け、高収益体質を維持し続けています。そこには当社ならではの秘訣があるはず、また長期に渡り高収益を続ける企業は、必然的に株価や配当の成長の見通しも明るくなるという期待のもと、柱秀貴社長への取材を通じて探ってみました。


 当社は名古屋にある本社及び事業所をはじめ、全国6カ所の事業所で構成されています(本社・名古屋事業所、関西事業所、九州事業所、関東事業所、千葉事業所、北陸事業所)。そして、6つ関連会社を持つ体制となっております。(株式会社ダイセキ環境ソリューション、システム機工株式会社、株式会社ダイセキMCR、北陸ダイセキ株式会社、株式会社グリーンアローズ中部、株式会社グリーンアローズ九州)
 海外の事業所等はなく、国内の事業がメインとなっております。


 当社が高収益であることの大きな理由の一つ、それは、当社が産業廃棄物処理業者の一つという見え方をしているもののその成り立ちや事業戦略が競合他社とは異なっていたり、先駆的であることです。

 当社は、1945年に創業者である伊藤治雄氏によって設立されました。治雄氏は、当時容易に手に入る菜種を元に需要の高まっていた菜種油の製造を開始し、それが当社のルーツとなっております。

 大正生まれの治雄氏は菜種油製造の前には戦前戦後の激動の時代を様々な事業を手がけることで生き延びてきました。少年期、髪飾り職人の下で丁稚奉公をきっかけに三重から名古屋へ出て、持ち前の手の器用さと独立心からヘアピン製造職人として独立、戦中にはそこから転じた軍事用バネの製造会社を設立、練り強さとガッツで受注を獲得、成功するも、敗戦が色濃くなる中、工場が空襲により被災、そして、敗戦により工場が接収。しかしめげずに今度は庶民が欲していたエンタメに目を向けて、劇場経営をするなど必死に次々と変わる時代に合わせながらタフに生きたのです。
 これらの創業者の生き様は、書籍「志を抱いて 伊藤治雄とダイセキの歩み」に詳しく記載されており、当社誕生のDNAを垣間見ることができます。
 書籍 ⇒ https://amzn.to/34q26Ce


 菜種油製造の時代、朝鮮戦争勃発とモータリゼーションが活性化し、今度は菜種油製造販売のノウハウを生かして、石油販売へと乗り出します。ガソリンスタンドを先駆的に設立するも、競合が増える中、廃油を化学変化させることで、潤滑油や工作油としてリサイクルできる点に着目。1958年に、潤滑油精製工場を完成させ、株式会社大同石油化学工業を設立しました。

 廃油を精製後、再度商品として売り出し今の当社の直接の原型となる事業です。
 廃油の回収と精製後の油で製造した製品で売り上げを得る。そもそもの産業廃棄物業者とは全く異なる成り立ちで高収益な体質が生まれた原点といえます。
 元々当社は、産業廃棄物業者という入り口からスタートした会社ではないのです。

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