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“マチネの終わりに”を観た

マチネの終わりに2人がセントラルパークで再会し、同じ方向に歩いて距離を縮めていく美しいラストシーンのために、それまでの2時間がある。
そう思えるほどに爽やかな余韻にいつまでも浸っていられる終わり方だ。

数年の苦しみや悩みや抑えていた感情が、まるで嘘のように、ゆっくりと空から雲が剥がれて澄んだ青空が訪れる、みたいな。

「未来だけでなく、過去も変えることができる」というこの物語を支えるいくつかの大事なエピソードに共通するまっすぐな基調音は、「幸福の硬貨」という切なく優しいクラシックギター音楽によって、理屈としてではなく、感情として、映画の中の登場人物達にのみならず、観ている者たちにも深く刻まれる。

僕は平野啓一郎さんの原作を読んでいないので、作者の意図がよく分かっていないのだけど、この物語には2つの対比的な愛し方が描かれている。距離感も接し方も違うけど、どちらも自己犠牲的で、どちらも相手への深い思いやりとリスペクトが根底にはある。
またグローバル化や混沌とした政治的状況を背景に、’芸術と生活’のあり方や’父と娘’などの難しいテーマを描こうという試みでもある。

複数の交錯するテーマは小説であれば言葉巧みに人の心の動きも含めて精緻に描くことができて、読み手もそれらを楽しむことができるが、映画ではそれが難しい。

音楽だ。純文学を映画化させることはとても難しい。美しいクラシックギターの音楽が、この純文学を映画化させることに成功させている。
まさにコンサートに行った後のような爽やかな余韻に浸ることができる映画だった。



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