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平成の終わりに、天皇について考える

ぼくが学校で習ったり、小さい頃に聞いたりした天皇陛下とは、日本国憲法において我が国の象徴であること、終戦の玉音放送で人間宣言をした、戦前は天皇はカミだった、とかくらいであった。

それから、大学生になった頃、ぼくは三島由紀夫の著作を読み、天皇の本当のお姿を知った気がする。けれども芸術至上主義っぽい三島由紀夫がなぜあんなに天皇にこだわったのか、しばらくは理解できなかった。

「工業化もムームーも、戦後のもろもろの事柄もよろしい(目をつむる)。けれども皇室だけは何が何でも守らなくてはならない。祭り(祭祀)こそが天皇の仕事だ!(だいたいそんな感じ)。」
と、三島由紀夫は熱く語っていた。(記憶によると。)

戦中や戦後の教育を受けた世代には、自分も含めて、三島由紀夫がなぜ命をかけてまで死守しようとしたのか理解できないかもしれない。石原慎太郎さんだって当時は分からなかったかもしれない。

しかし、あれから50年近くが経ち、今上陛下(平成天皇)の日々の活動や、震災や譲位などの折りに触れたお言葉を聞き、また時折りメディアで伝えられる陛下の一番大事なお仕事(新嘗祭や元旦の祭祀など)を少しだけ拝見してきた現在の僕たちはどうだろうか。

近年、天皇陛下をこの国で頂くことの有り難さを感じている国民の数は間違いなく増えてきているような気がしないだろうか。

今上陛下がまだ皇太子のころ沖縄に最初に訪問した時には火炎瓶を投げつけられるほど、戦争の逆恨みを受けたり、皇后陛下は声が出なくなるほど週刊誌からバッシングを受けた時代もあったようだ。

けれども、そんな時代と国民意識に耐え忍びながら、いつもにこやかに国民に寄り添い、国民のために祈り続け、震災の時にはいつでも現地に駆けつけ国民を慰め、サイパンやフィリピンなど戦争の犠牲となった地への慰霊の旅を最後まで続け、平成30年という長い年月をかけて国民と皇室の信頼関係の回復に努めてきた天皇皇后両陛下のお姿を見せつけられ続けた僕たちにとって、天皇陛下および皇室がこの国にとってかけがえのないものであるという認識は少しずつ当たり前になってきている気がする。

近年は、小林よしのりさんや西尾幹二さんなどの保守派にとどまらず、リベラルっぽい内田樹さんまでも、天皇陛下の祈りの行為や天皇と国民との信頼関係の大事さや、天皇を頂く独特のこの国のかたちについて本まで書いている。

たぶん、天皇陛下についてよく知らない人でも、テレビで見るお姿を見ただけでも、よく分からないけど癒される、とかなんかよく分からないけどホッとすると感じる人もいると思う。

今上陛下に直接お会いしたことがあればなおさらだ。涙も自然にこぼれだす感覚だ。

陛下は長い年月をかけて、無理強いすることなく、押し付けることなく、国民が自ら皇室に寄り添うように我慢強く行動されてきたと思う。

本来であれば憲法の改正も皇室典範の改正もお望みであろう。けれども国民が自らそれを望むようになるのをずっと待っているのだと思う。

憲法などない遠い昔から、成文によらない国民と皇室とは深い信頼関係、言葉にすら表現できない君臣一如の関係でつながり、この国は成り立っていたのだ。

自由も人権も権力もなく、国民を大御宝と呼び何よりも大切にする君主を頂く国なんて他にはない。
そして、そんな天皇を国民もかつては大御心と呼んだのだ。

平成という時代は、この国にとって、経済や文化や震災の観点から見たらとても大変な時代だったと思う。
明治や戦後以降の矛盾や行き詰まりもたくさん出ていて、色々な社会制度も疲弊している。

けれども、今上陛下の御努力により、この国にとって一番の生命線であると思われる天皇と国民の君臣一如の関係が少し取り戻せたのではないか。そしてこのことはこれからの世代にとってとてもとても明るい希望だと、僕は思っている。

今上天皇皇后両陛下に深く感謝して、平成最後をお祝いしたい。


31 04 29
箱根 九頭龍の森にて

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