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ものの価値

人生には二つの選択肢があります。イクラの値段が高騰しているとき、イクラを食べるのを諦めるか、それとも高いお金を出しても食べるか、です。
(工業製品以外も供給不足により部分的に値段が上がってますね〜)

当たり前ですが、ものの値段はほぼ需要と供給のバランスで決まるので、値段が高い=よいもの、とは限らないわけです。

なので、上記選択のときには、いくらを食べるのを諦めるのが、個人的には正解かなと思います。
なぜなら、まず第一にイクラがなくても他に美味しいものはいくらでもあるからです。これはもちろん比喩ですが、何かに執着してしまうと物事は見えにくくなるということです。

例えば、ワイン。いわゆる五大シャトーとか今だと十万円とか超えるわけですけど、探せば2000円で十分美味しいワインも日本酒もあるわけです。
確かに五代シャトーは美味しいですが、僕からしたら2000円の日本酒も同じくらい美味しいわけです。
この価格差は味の差ではなく、単なる需要と供給の結果でしかありません。または賢い商売人の巧みな戦略戦術によって需要と供給がコントロールされてものの価値以上の価格差が生まれているとも言えます。
みんなが五大シャトーを有り難が続ければ値段はさらに上がりますし、みんなが興味持たなければ値段は下がります。

テレビでイクラが高騰していると流れれば、好きな人は人間心理としては余計に食べたくなるものです。が、ここは一旦落ち着きましょう。

例えば、松茸とかトリュフも高いわけですけど、茨城には同じくらい、いやもっと香しいキノコも山に自生したりしているわけです。値段の高い松茸の消費とかは高級=美味しいと思っている味の分からないおっさんにでも任せておきましょう(これは比喩です)。

つまり、何を言いたいのかいうと、自分の感覚を鋭くして、自分の鼻でキノコの匂いを嗅ぎましょうということです(これも比喩です)。

何事も、周りの情報に惑わされずに自分の感覚を鋭くして、それを信じること。
そうしたら他にも楽しいことがたくさん見つかるはずです。何かに執着しすぎないことが肝要かと。

またみんなが自分の感覚を信じて物事判断していったら、ものの値段もものの価値相当にいつかはおさまるのではないかとも思うのです。
イクラが高ければイクラなんて食べないで同じくらい美味しいけど安いキノコご飯をみんなが食べていれば、そのうちイクラも安くなるはずだという仮説です。

※諸説ありますが、大久保つよし説です。

※昨夜の晩ごはん。えにしのお会計、ふたりでジャスト10,000円でした。そんな偶然あるのかっていうくらい、ぴったり10000円でした。ラッキー

※中島みゆきさんの「空と君との間には」から抜粋

君がすさんだ瞳で
強がるのがとても痛い
憎むことでいつまでも
あいつに縛られないで〜

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