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MaaSについての妄想 その2

昨夜、久々に人をおんぶして歩いて思ったことがある。

地方に行くとバスが少ない。タクシーも少ない。何ならサービスもひどい。
高齢化も進み、いずれ住民の多くが車を乗れなくなる。

だから、自動運転だ、パーソナルモビリティだ、セグウェイだ電動キックボードだ、バリアフリーだ、ということで盛り上がっている。

しかし、僕はハードよりもITのほうがこのモビリティの問題を解決する鍵だと思っている。

丸の内のプレミアサービスの妄想の件を、地方の観光地に置き換えて考えてみる。

以下、とある地方都市での妄想。
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大久保さんという一般人の優良観光客がいる(彼は有名人でも偉い人でも何でもない庶民だ)。彼はどこに旅に行っても礼儀正しくきちんと振る舞うことがとあるSNSサイトのレビューに載っている。彼は少しだけれど必ず何らかのお土産もそこで買う。

観光地の住人や旅館の人はこのサイトを見て今度来る観光客や訪問者のレビューをチェックしている。

この大久保さんがそのSNSで今度ここにいついつ行くので誰か駅から何とか旅館まで送ってくれる人いますか?と呟く。

そうすると、この街の住人のたまたまその時空いている人は大久保さんを駅から何とか旅館まで自動車で載せていってくれる。何ならここに来たらここを食べなさいとか親切な情報もくれる。

この送迎をしてくれた人には、直接謝礼を払うことはできない(タクシー業界の問題)けど、その人のサイトでこのレビューはよくなる。この人には旅館が時々おすそ分けもしてくれるし、この街で暮らしていて鼻が高くなる。

(そういう人が多ければ多いほどそこを訪れたい人も増えるだろう。)

これは、要はシェアリングだし、助け合いということだ。

しかし、今僕たちの問題は、その行為は身内や友達の範囲や、とあるコミュニティの範囲ではおこるが、その外の人までにはなかなか起こらない。(車椅子の人や困っているお年寄りがいたら駅でお手伝いしてあげるくらいだろう。もしくはとある大きなコミュニティの中ではそういうことがおきているかもしれなくて、その延長線上にこれがあるのかもしれないが、その隣人愛を仲間意識の外まで開けられるかのが大事だ。これはいつかつまるところコミュニティ対コミュニティの戦いを生むことにもなる)

シェアリングや助け合いが一定の閉ざされたなかしか起こらないのは、それはその外の人はへんな人かもしれないし、実際へんな人が多い世の中だからだ。
そんな人に優しくする義理は確かにない。お金もらってもリスクを負って乗り合いさせたくない。

けれどもITでその人がどんな訪問客かの信頼できるレビューサイトがあれば、この辺鄙な街にわざわざ観光に訪れたその人をちょっと乗せてあげてもいいと思うのではないか。

もしくは、地域の足のないお年寄りにこのSNSの使い方を伝授して、この日スーパー行きたいから誰か乗せて〜って投稿する仕組みにするのもありだと思う。(もちろんこの老人は嘘つきでもなく真っ当な人であることがレビューされている必要がある)。

かつて田舎ではご近所さんや身内が担っていたことを、SNSテックが拡張するのだ。
テックのレビューが作る仮装ご近所さんだ

何ならレビューが高い人同士では、ちょっと離れていても子供のご飯を日替わりで作るみたいなこともあっていい。

しかも、そのSNSで発信される助け合いの様子はどうも楽しそうだ。これをみて、私もやってみたいと思わず手をあげる人もいる。
そんな人たちの近くで住んでみたいと思う人もいるかもしれない。

レビューが高い人同士は助け合いがおきる。もちろんレビューが悪くなれば今風な村八分が起こるかもしれない笑

真っ当な人、正直者が、幸せになれる社会。
そういう社会をテックが実現してくれる。
そういう風にテックを使える社会。

それが僕の妄想するMaaSであり、スマートシティだ。

続く

(思いついたことをすぐメモしたなう)

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