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吝嗇とモッタイナイ

今はどうなのかわからないけれど、1980年代のバブル突入の前までは確実に、「うちは貧乏なんだからな」と子どもに言い聞かせる家庭教育があったと思う。私はそういううちの子どもだった。そして80年代の、思うにバブルの前までは、親にそう言われている子どもを見たことがある。「うちは貧乏だから」と言う子どもに出会うと、親しみと同情と被害者の連帯感を感じた。
うちはとりたてて豊かな家ではなかった。しかし、大人になってあらためてその経済状況を評価してみると、とくに貧しい家ではなかったはずだ。両親ともに割とちゃんと給料は出しそうな職場で働いていたし。家も建てたし。それなりに子どもは習い事もしたし、割としばしば家族旅行にも行った。
ことさら貧乏じゃなかったはずだ。
ケチなのか? というと、それはそうでもないのだ。うちは貧乏なんだ、とは思っていたが、ちょっと不思議だが、親がケチだ、と思ったことはない。「貧乏」は何か規範として機能しているのだと思っていたらしい。子ども時代に熱心に見ていたテレビアニメ、「巨人の星」や「ハリスの風」の主人公は貧乏だったが、そういう生活でもなかった。
じゃあなぜあの脅しのような、嫌がらせのような文句で子どもの身をすくませ続けたのか。

子どもに「貧乏」を刷り込み、抑圧していた主犯は父だった。母はそれに従っていたにすぎなかったことが、父の死後によくわかることになる。

父はどういう人か。戦争の末期、学徒動員で北海道の山の伐採に駆り出され、作業中の事故で足に大けがを負って片足が不自由になった。敗戦後、結核を患って海辺のサナトリウムで長い療養生活を送り、自分は長く生きないと思いこんで若くして死ぬだろうと大学ノートの日記に書きこんでいた。聖書を読み、エドガー・スノーを読み、マルタン・デュガールを読み、椎名麟三やヘルマン・ヘッセを読み、健康を回復してからは、東京大学で活動して弾圧されていたが地方の町に帰ってきた輝かしい先輩に憧れて、多くの若者たちと一緒に、当時大きな熱を持っていた共産党の活動に加わった。のだが、それによって農林省(当時)の地方組織に得ていた職をレッド・パージによって失った。

みたいな人だ。
そういう人が、高度経済成長とともに産声を上げた子どもを育てる。
「戦後民主主義」に裏切られ、朝鮮戦争で特需景気、あのアメリカとべったりになって、日本はどんどん豊かになる。
パージされて職を失ったために、経理畑で仕事をすることになった父だったが、景気が良くなり、たぶん収入だって所得倍増とはいかないまでもどんどん増える。便利なものがどんどん増える。日本の政治が右傾化していく「逆コース」なんて気にする人はわずかで、大衆はどんどん便利になっていく世の中を謳歌する。

彼は、子どもをその文化に染めまいとしたのだ。「うちは貧乏なんだから」、みんなが持っているものは買ってはいけない(マディソンバッグやスヌーピーのバッグやリカちゃん人形などなど)。欲しがっても無駄。
その抑圧を内面化した私は、決して欲しがらなかった。しかし弟はときに、おもちゃ屋の前でゴキブリのようにひっくり返って泣き叫び、それで「マジックハンド」なるしょうもないおもちゃを手に入れていた。
なんだ、そういうことは可能なのか、と思って、一度だけ、執拗にスヌーピーのバッグを母にねだってみたことがある。母は父に従っていただけなので、思春期のすごみのまえに面倒くさくなって買い与えた。しかし、道徳的な刷り込みというのは怖い。そのようにして禁断の物を手に入れた悪徳を犯した自分を悔い続けることになり、もう二度とこの手のことはやめようと誓う羽目になる。

この道徳教育がどれだけ子どもを卑屈にしたかと思う。人生においてず~~~~~っと、この言葉が鳴り響くのである。
まず、ものすごいケチくさい人間になってしまう。弟に至っては、ほとんど吝嗇の域に入り、離婚された。
欲望がない。物欲は条件反射的に罪として立ち上がり、その後、それが果たしてほんとうに必要なのかとか、人生を豊かにするのかとか、様々な問答を経て妥当性を決するという、役所のような超面倒くさい手続きが必要なのだ。

80年代に「おいしい生活」「なんとなくクリスタル」と、消費文化が大きな音を立てて世界を席巻していくなかでの生きづらさたるや。集中豪雨の中にずぶぬれで立ちすくむみたいな気分だ。孤独だ。

その呪いが解けぬまま、バブルを経てバブル崩壊、少し息がしやすくなった失われた十年を経て、この右肩下がりの時代までを生きてきているわけだけど、「貧乏だから」の解説として言われたもう一つの言葉が、どこかの時点から立ち上がって、マジックワード「貧乏」と入れ替わるようになった。
「お金で換算するのではない「もったいない」ということが、お前にはわからないだろう」というセリフである。なんとこれ、「モッタイナイ」はエコロジーである、というノーベル賞受賞のワンガリ・マータイさんの言葉を先取りしていたようなものだ。

安いからいくら使ってもいい、高いものだから大事にする、ということじゃないのだ、ということだ。
人が一所懸命つくったものは大事にするとか、みんなにいきわたるように自分だけ濫費しないとか。みんなで暮らしていくために物や資源を大事にしようとか。
「貧乏」の呪いは抑圧であった。委縮させ、自己評価を低くしたり、未来を狭めたり、行動を抑止したりする。
おそらく父親にとっては、「もったいない」と「貧乏」の呪いは同じことだったのだろうけど、そこ、ほ~んと雑だったよね、と思う。

ちなみに父は60代で早逝してしまったのだが、その後ひとりになった母が、ふたが外れたように買い物をしまくる女となったのには驚いた。洋服、家具、通販の布団やら何やら……。はじけまくりだ。買い物の仕方の訓練を積んでこなかった半分ぼけてしまった一人暮らし高齢女性のしりぬぐいはどれだけ大変だったか。だから抑圧はいけないのだ。

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