民族とは?

「民族」の基準は、言語や人種だけではない。

日常的にアイヌ語も使っていないし、人種的な意味でのアイヌは混血が進んでいることで「民族」がいないというのは間違いである。

民族の定義

辞書「知恵蔵」より

文化、言語、生活様式などの特定の要素を絆(きずな)として共有し、「われわれ」という意識を持った人間集団。(1)文化、宗教、言語、生活様式、肌の色など身体的形質を標識として、他集団との相違を確認できる客観的な側面と、(2)歴史意識、利害関心、未来志向などを介して、集団に共属しているという意識や感情の主観的な側面がある。そのため民族やエスニック・グループは固定した集団ではなく、歴史的に変化し、社会的文脈によって客観的標識も異なる。また、少数民族がその内にさらに少数集団を含むことも多い。民族とエスニック・グループとの相違は不明確である。ただし民族という用語の方が古く、また「民族自決」「少数民族運動」といった用法のように、集団が自治や国家形成など政治共同体としての要求を持つと認められた場合には、民族と呼ばれることが多い。

つまり、民族とは歴史的運命を共有し、帰属意識を共有した集団である。

この民族の定義は比較的に新しい概念であるようだ。それは日本民族学会が1989年に示した見解による。(以下、抜粋)

「民族」の規定にあたっては, 言語, 習俗,慣習その他の文化的伝統に加えて, 人びとの主体的な帰属意識の存在が重要な要件であり, この意識が人びとの間に存在するとき,この人びとは独立した民族とみなされるアイヌの人びとの場合も, 主体的な帰属意識がある限りにおいて, 独自の民族として認識されなければならない。 
(中略)
一般的に, 民族文化は常に変化するという基本的特質を持つが, 特に明治以降大きな変貌を強いられたアイヌ民族文化が, あたかも滅びゆく文化であるかのようにしばしば誤解されてきたことは,民族文化への基本認識の誤りにもとづくものであった
(中略)
抑圧を強いられてきたアイヌ民族の歴史とその文化について,学校教育, 社会教育等を通じて正しい理解をたかめ, 日本社会に今なお根強く残るアイヌ民族に対する誤解や偏見を一掃するため, あらゆる努力がはらわれなければならない
(中略)
独自の文化と独自の帰属意識を持つアイヌ民族が日本のなかに存在することを正しく理解することなしに 国際化時代の異文化理解は到底達成し得ないことを認識する必要がある。アイヌ民族に対する正しい理解を出発点としてこそ, 他の少数民族や差別の問題についても公正な認識を持ち, 他の文化や社会についての理解を深めることができるのである。のである。
(中略)
以上の見解は, 文化や社会の研究と教育に携わっているわれわれ民族学者, 文化人類学者の研究倫理から発したものである。

日本では1989年に現在の「民族」の定義が認識されたのである。

アイヌ民族否定論に抗する

アイヌ民族否定論者は、たびたびアイヌの言語学者である知里真志保(ちり ましほ 1909~1961)の『平凡社 世界大百科事典』(1955年初版) の「アイヌ」の項目を引用して、「アイヌ系日本人」であり民族ではないと主張している。

『平凡社 世界大百科事典』(1955年初版) の「アイヌ」の項目より

民族としてのアイヌはすでに滅びたといってよく,厳密にいうならば, 彼らは, もはやアイヌではなく, せいぜいアイヌ系日本人とでも称すべきものである

当時は民族の定義も独自の人種や文化、言語を共有しているという基準が一般的だったし、知里真志保はアイヌ民族の文化や言語の衰退を悲嘆しており、(やや大げさに?)このような発言をしたのでないか。
現在でもアイヌへの帰属意識を共有した方々はたくさんおり、もちろん文化や言語も残っている。アイヌ民族は歴然と存在している

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