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コロナvsOL格闘日記

結論から言うと、2022年夏、新型コロナウイルスに感染しました。
感染から療養まで、当事者の赤裸々な日記をまとめたのでお時間があれば付き合っていただけると幸いです。

復帰絵

◆一日目
目が覚めると喉が痛く、体がだるい感じがする。ワクチンは3回接種しているものの、咳も出るしまさかな……?と思い、病院に行くため会社に休みの連絡をした。
その時点で6時。病院が空いてなかったので二度寝をして起きる。そうすると熱が出ていた。寒気もある。病院のHPだけ見てふらふらと病院へ。この時点で判断力が落ちていたのだ。本来は先に「発熱 東京」とかで検索すべきであった。
ジリジリと暑く、熱中症の危険を感じる中、病院に着くと、発熱外来は予約制だから電話して予約取ってから来てくださいとのこと。
しまった……そらそうか。何故か普通に見てもらえると思い込んでいた。確かに、感染症っぽい患者を普通に受け入れてたら院内でクラスターが発生してしまう。調べが甘く、病院に迷惑なことをした。今回この愚行を含めた日記を公開するに至った経緯は、この私の失敗を共有することで、今後他の人に同じことをしてほしくないからである。
自分は熱でどれだけ朦朧としてて必死でも、病院からしたら果てしなく迷惑なのである。症状が辛く何をどうすべきか調べることに頭が回らず、頼れる人もなく、行ってしまう人もいるかもしれない。そして、その中には病院が病人を追い出すなんて!と医療従事者に怒ってしまう人も出てくるかもしれない。そんな人が1人でも減りますように…と、今筆を執っている。
さて日記に戻ろう。上記の迷惑行為に対する猛省はしつつもしかし、この時点ではまぁ言うても外で即予約取ればすぐ入れるでしょと楽観視していた。それにしても暑い。うだるような暑さだ。普段汗をかかない私だが、汗だくだ。でももう少しで病院入れるから少しの我慢。9時、予約可能時間になったので電話をかけた。
……………つ、繋がらない。
こんなに近くにいるのに、全くつながらない。20回30回と電話をかけ、これではダメだと気付いた。東京都の発熱相談窓口にもかけた。居住区のコロナ相談センターにもかけた。どこも繋がらない。伝えられるのは自動音声による混み合ってるという情報だけ。汗も咳も止まらない。確実にコロナだけではなく熱中症も目の前まで来ているのを感じる。目の前にある病院が果てしなく遠く感じる。
涼しい場所に避難したいが、咳が出て熱もあるので一旦カフェに…というわけにもいかない。とりあえず日陰のベンチで電話をかけ続ける。行ったかかりつけの病院、近隣の発熱外来をやっている病院、発熱相談センターを交互にぐるぐるぐると。電話をかけ始め40分ほど経過した頃だろうか、ようやくこれは涼しい家に帰ってやった方がいいと気付いた。本当に判断能力が落ちているのである。今思えばサンクコストバイアスというのであったか、人間労力に見合った成果を得られないと嫌になっちゃうみたいな、そんな感じでせっかく家出てここまで来たのに、とそこに留まり続けたのだろうと思う。必死の思いで、また通るであろう道程を引き返し帰宅して、再び電話をかける。どれくらい経っただろう。ようやく、訪れたかかりつけの病院に電話が繋がった。
「もしもし、発熱外来の予約を…」
「はい!可能ですよ」
一つ、緊張の糸が切れた瞬間である。良かった。15時からの予約を取ってもらい、熱を測って再度眠りにつく。外を歩いていたこともあり、その時の体温は38.5度であった。
昼頃に起き、ふと家に以前買った抗原検査キットがあるのを思い出す。この後PCR検査を受ける身ではあるが、念のためとキットを使用してみた。
陰性ならばCにのみ線が。陽性ならばCとTに線が出ると言う。
結果は、Cにはくっきりとした線が、Tにはうすらぼんやりとした線が出た。

実際の写真

一応説明書には薄い線でも陽性と書いていたが、あんまりにも薄いもので半信半疑になりネットで調べると、薄い線を持って陽性!とするサイトも、偽陽性!とするサイトもあり、うーん、黄信号くらいだろうか…と思っていた。これもまぁ今思えば説明書を信じろよという感じである。
しかしお腹が空いた。かと言って普通の食事を摂るのも怒られそうだ。モゾモゾと芋虫のように動き冷蔵庫まで向かう。冷凍庫にうどんが入っていたので茹でて食べた。美味しかった。
満腹でお昼寝していると、15時前になった。いざ、発熱外来へ!恐ろしいことに、ここが私の闘病記史上、一番辛かったポイントと言っても過言ではない。
受付に来いと言われていたので行ってみると発熱外来の場所は少し離れた場所にあるという。てくてく、歩いていく。もう少しでお医者さんに診てもらえるぞ!
ここでも私の判断能力が落ちていたのだが、総合受付で一旦受付をしてから発熱外来の受付をするらしい 来た道をてくてくと引き返す。…しんどい。暑い。普段は絶対しっかり確認するのに。受付をしっかり済ませた人とすれ違うと惨めな気持ちになる…。なっても仕方ないが。
フラフラと戻り受付を済ませ、今度こそと発熱外来に入ると、恐ろしい量の人間がいる。更に恐ろしいことに、空調が効いていない。クッソ暑くて湿っている。地獄だ。熱を訴える若人たちが、熱の篭った空間でゴホゴホゲホゲホとハーモニーを奏でている。
私は抗原検査で黄信号が出ているのでまだ気持ち的にマシだが、罹患していない人間がここにいたらば、間違いなくここでうつってしまうだろうと確信した。
明らかに医療従事者の手が足りておらず、問診票のペンの案内も、どこに座るかの指示もされない。その状況に、こんな中でも働いてくれているスタッフ様たちに頭も上がらないな…と泣けてきた。目の前のお姉さんに習い、ペンを取ってきて問診票を書いた。この時にはもう熱も咳も辛く辛く、椅子は余っていなかったが立っても居られなかったので床に座っていたような気もする。ぼんやり、母親が見たら怒るだろうなぁと思ったのを覚えている。
その後、会計を終えた人の丸椅子が空いたので即座に座った。座れたことで意識が安定したので改めて周りを見返してみると、なんだか割と余裕そうな人が多かった。たまに咳き込む人はいるものの、項垂れてゼェゼェ言っているのは私くらいしかいない。皆各々辛さを抱え、必死に電話予約を勝ち取ってきたのであろうが、なにせ発熱がなく喉の痛みや頭痛のみでもこの外来に来なければならないらしい。症状の程度に差があるのは当然であろう。
なかなか検査には呼ばれないが、丸椅子から背もたれのある椅子に移動できた。超助かる。検査スペースの声は筒抜けで、いたいけな少女がPCR検査で鼻に棒を突っ込まれているのであろう、絶叫し号泣するのが聞こえてきた。それ痛いよね。でも私は一刻も早く空調の効いた部屋でアイスが食べたかったのでその痛みに強く焦がれていた。早く痛くしてェエ!!!!(狂OL)
そんなことを考えていると私の名前が呼ばれた。今まで自分の名前を聞いた中で、一番心躍った瞬間かもしれない。
15時に病院にきて、検査が行われたのは15時40分のことであった。症状を聞かれ、スムーズに検査されてゆく。問診の内容はあまり覚えていないが、私からは仕事にいつから行けるかなどを聞いた気がする。検査結果が出るまで待てとのこと。結果は明日か明後日になるらしい。
その後、会計と薬の受け取りがあるので待機するよう指示がある。これにも30分かかり、病院を出たのは16時10分であった。
命からがら自宅へと戻り、ゼリーを食べて薬を飲む。発症してからはじめての薬であった。気持ち落ち着いた気がするので関係各所に連絡する。それにしても自宅の快適さに感謝せずにはいられない。しかしこの頃の体温は38度前後をいったりきたりで、熱そのものより悪寒が酷く、ウーウーうめきながら寝たり起きたりしていた。この晩の苦しさは当分忘れないだろうと思った。

◆二日目
あ、推しの子の更新日だ。と起きた。そのことから察せられるように、比較的余裕のある朝だった。熱を測ると36.5。なんじゃい!治ったわい!と思った。コロナだったとすれば、ワクチン3回打ってるのもあり軽症で済んだのだろうか。しかし咳が酷く、それのせいか腹筋や背中、肩甲骨にかけてが妙に痛い。私、原稿復帰できるのかな…。
でも悪寒がなくなればこっちのものだった。洗い物を済ませお粥を作る。元気だったので卵粥にチーズを入れた。チーズの塩分を考慮していなかったそれは少ししょっぱくて、味覚が失われていないことを確信した。今日元気なのもあるし、ストレスから一日熱出ちゃっただけなんじゃないの?と思ったりもした。
そんな感じでお粥やヨーグルトなど、かわるがわる病人めいた食事をしながらYouTubeを見ていたらあっという間に夜になった。まだ検査結果の連絡は来ない。明日になるだろうか。そうしたら先に会社に連絡入れなきゃなぁと思った。
♪テテテン テテテン テテテレーレテレレーン
そんな時、電話が鳴る。私の着信音はリゼロのスバルのものと同じだ。
「〇〇病院です。PCR検査の結果ですが〜」
その時ふと、陰性だったら病院から、陽性だったら保健所から連絡があるといった様な事がパンフレットに書いていたのを思い出す。勝ったか…?と思った。
「陽性でした。」負けていた。
コロナ禍が始まって2年、何度か体調を崩したり、接触確認アプリの通知でPCR検査を受けたことはある。しかし、陽性の通知を受け取るのは初めてであった。私の頭で色んなことが一気にグルグルグルグルと掻き回されてゆく。週末、売り子をする予定だったイベント……昨日会話した同僚……中途半端にしてしまっている仕事……原稿……あぁ、友人に、上司に連絡しなければ。
「明日、保健所から連絡がありますのでそちらの指示に従ってください」
そう言う看護師さんの声に力なく「はい…」と返事をし、色んな人に連絡を入れてゆく。皆、私を責めるどころか仕方ないよ、誰がかかってもおかしくないよと慰めてくれた。同僚に至っては、もしかかってたとしても知らんジジイにうつされるより若い女の子にうつされる方がマシだよ!と声をかけてくれた。熱で朦朧として顔が思い出せないが、吉沢亮に似ていた気がする。
そんなこんなで関係各所に連絡を終え、一息つきアイスを食べていた。
その時、地震があってちょっと揺れた。もしも今、避難所に行くような地震が起きたら私はどうなってしまうんだろう。そんなことを考えていた。ぼんやりと、この日も恐ろしい夜であった。

◆三日目
この日の寝起きは最悪であった。というのもこの日は咳がひどく寝付けず、2時間おきに起きては床とベッドを行き来して寝ていた。背中が痛い…。喉も痛い…。2日目が比較的マシになっていたのでかなりキツかった。この日はずっと熱と咳があり、普通に病人という感じであった。
保健所から連絡があるというのでマナーモードをオフにしていたがなかなか来ない。ただひたすら仕事の連絡だけがくる。まぁそれに文句も言うまい。発症してから10日は出社は出来ないそうなので随分と長い間迷惑をかけることとなった。咳が出て喉が辛いので文面でやりとりをすることになったが、これまた細かいニュアンスの伝え方が難しい。日頃何でもすぐ電話で確認しようとする上の世代に辟易していた私であったが、奇しくも口頭でのコミュニケーションの大事さを知ることとなった。
書き損じていたが、陽性が判明してからまずはウーバーイーツでスポーツドリンクやアイスを調達した。急場を凌いだ後は何ともタイミングの良かったことに、プライムデーで飲み物やレトルト食品を大量に注文していた後だったので段ボールにモノがちょこちょこあった。良かった。かと言っても10日の自宅療養、不安なので調べると配食のサービスがあるらしいので申し込んだ。
結局保健所からの電話はこず、感染者爆増のためWEB解答形式に切り替わったらしい。喉が痛く咳も出るので電話より良かった。回答して眠りについた。

◆四日目〜七日目
咳がひどい日があったり、頭痛がひどい日があったり、治まったと思った熱が復活した日もあった。基本的に朝から夜まで寝て夜から朝まで寝ていたのでほとんど何が何日だったのか記憶がない。
発症して1週間たってようやく落ち着いてきた。仕事復帰の目処も立った。不安は色々あるが、人間らしい生活を取り戻すぞ。この日記は思い立った時にちまちま書いていたものであるが、そのままではとても読めたものじゃなかったので修正編集しているのもこの期間である。逃げ恥の出産編のスペシャルドラマとかを見ていた。

◆終わりに
結論、かかった時期的にオミクロンのBA.5というやつだろうと思う(言われたわけではない)のだが、しんどかった。特に寝れないレベルの咳が続いた時は一日中ベッドにいるのに寝不足という感じで狂うかと思った。
結果的に見れば主な症状は発熱、悪寒、喉の痛み、咳になるのだろうか。4日目以降はとにかくずっと寝ずにはいられなかったので倦怠感みたいなのもあったのかもしれない。基礎疾患のない若者(ワクチン3回接種済み)でもそんなんなので、酷い人はもっと酷いんだろうと思っていた。本当に健康第一である。
それでも一番しんどかったのはやはり熱と悪寒が辛い時期に発熱外来に鬼電をして死ぬほど暑い時期に発熱外来に行くという過程だったように思うが、そうしないと会社にも行くに行けなかったし、あの場にいた多くの人がそうであろうので、なかなか難しい。自宅での検査がもう少し評価されてそれをもって陽性と判断されればもう少しマシになるかと思った。あの病院に駆け込む時間療養してたらもっと早く治っただろうと思うから……色々難しいんだろうけど。

さて、改めてイベントでの売り子ができなくなってしまったsちゃん、吉沢亮似の同僚、その他仕事で迷惑かけた色んな人、心配のメッセージを送ってくれたフォロワー達に謝意を示して終わりにしたいと思う。ご迷惑をおかけしました、本当にありがとう…。
復帰してからももう二度とかかりたくないので改めて感染対策を忘れずに過ごしたいと思う。手洗いうがい絶対!大人数で会食しない!

そういえば申し込んだ配食サービス。すごい量が来た。ありがとう東京都。

うちサポ東京の配食たち。


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