もの足りない

何かが足りない

 何不自由なく過ごしてきた人生だったと思います。好きなことを応援しくれる両親を持ち、いじめられたこともなく、恵まれた友人に囲まれ、最近はいないものも長年付き合った彼女もいました。今のところ誇れる人生だと思います。
 しかし今一歩足りないことがあります。今までの人生を通して、人間関係において不自由はないが小さな不満は数多くあります。
 それは「絶対に必要なメンバーになれない」ということです。いまいちピンとこないと思うので具体例を挙げていきたいと思います。

具体例

 私は誰とでも仲良くなるタイプだったので、学生生活では、クラスの中でも複数個の仲いいグループに入っていました。
 私は小学生6年生のころ、6人組の仲のいいグループがありました。そのグループはクラスの中では明るいグループであり、中心的だったと思います。校外学習か何かで5人組を作るというような時間がありました。今でも覚えているのですが、その際になんの前触れも相談もなく、私以外の5人で班を作る方向で話が進みました。3人3人で別れようといった言葉や、お前が一人はぶれろよみたいないじりがあるわけでなく、淡々と私以外の5人組の班が出来上がりました。私は子供の時から空気を読んで過ごしていたため、その雰囲気は敏感に感じ取りました。雰囲気を察知すると、私はすぐに別の仲のいいグループのところに混ぜてもらいました。しかし、ショックです。みんなで仲がいいと思っていたのは私だけみたいでした。どうして私が外れてしまうのか、私以外のメンバーには申し訳なさはないのかと打ちひしがれていました。仲間外れのような陰湿なモノではなく、ただ単に選ばれなかったのである。それ以外の時には6人で遊ぶことも多々ありました。
 中学の頃にもあります。中学三年生のころ、7人でよく話しているグループがありました。昼休みには一緒にサッカーをし、校外学習などのバスではみんなで後ろを占領してたりもしました。若く恥ずかしい思い出ですね。しかしプライベートでは私以外の6人で遊ぶことが多かったのです。たしかに私は他の友人もいて、むしろ放課後はその他の友人たちと過ごすことの方が多かったです。しかし、7人組の友人とは学校でよく話し、家に何度も来る友人もいました。それにもかかわらず、6人で遊んでいたのです。私の中学時代はインスタがなかったため、みんながラインのタイムラインを使っていました。私は毎回そこで私以外が遊んでいることを知ります。学校にいるときに、遊びに誘われることもあるのに、日付が近づくと私以外で話が進んでいるのです。どうして私だけなのでしょう。どうして私一人だけがこんな思いをするのでしょう。私は誰かをのけ者になんかしてこなかったのに。
 まだまだあります。私の高校の部活は同期が6人います。3人は現役で大学に進み、私を含む3人は浪人をし、一年遅く大学生になりました。私以外の浪人の子は地方の大学に進み、地元の大学に遅れて入ったのは同期の中だと私だけです。社会人になって少し経った頃、私の同期が合コンを開きました。3人のうちの一人が合コンを企画し、その子を含め3人の男子を集めるとのこと。その際に私には声がかかりませんでした。他の二人は地方にいるため誘うことはできません。私は地元にいます。しかし私にだけ声がかかりませんでした。彼ら曰く、同時期に社会人になった同級生同士の合コンだったから声を掛けなかったんだ、と言われました。私はその時ほどショックを受けたことがないかもしれません。同じ部活で、同じ釜の飯を食い、同じ苦しみ・楽しさ・様々な思い出を共有してきました。私自身部活の同期が好きで定期的に集まりを企画しています。何度も企画しています。後輩を呼んだり、先輩を呼んだりするのもいつも私です。集まりがあるなら私がいないときはなかったと思います。私は仲介役だったと思っています。自分でも部活の中であぶれることはないと思っていました。しかし現実は時に厳しいのです。私はここでも一人だけ外されてしますのです。躊躇なく私が外されるのです。そしていつも通り何事もなかったかのようにその事実を知るのです。その時の自分の顔を見てみたいです。意地っ張りなで強情な私は、何にも思って無いような声量と顔をし、何食わぬ顔して気にしないふりをします。こんな悲しいことないです。
 他にも数えきれないほどあります。仲のいい友人と同じ会社に入社したのに、入社前少人数で集まる飲み会に誘ってもらえない、私以外のバイトの同期の飲み会があったこともあります。よくラーメンに行く仲間であったのに、いつの間にか私はレアキャラ扱いに。私がいないときに限って、lineグループを作り、私のいない飲み会を何度も開いたり。元々はそのメンバーとも仲が良かったはずなのに。
 こんなエピソードばっかりだと、私に問題があるような気がします。私の性格に問題があると思います。面倒くさい部分であったり、自分の知らない自分がいるのでしょう。私の人生を順風満帆にも感じなくなると思います。しかし日常は楽しいのです。友人とは仲がいいのです。旅行に誘われたりするのです。しかし大事な時に私は選ばれないのです。

どうして選ばれない?

 私はこのように1人だけ外されたり、選ばれないことが多くあります。このような体験が私の自信と自己肯定感を喪失させるのです。悪循環ですね。
 よくよく考えてみると、相談されることも滅多にありません。中学ではクラスで3番目くらいのテストの点数を常に取っているのにもかかわらず、誰も質問に来ません。頭がいいのではなく、勉強量が多いだけでしょとよく言われました。運動にも自信がありました。体力テストもA判定が基本でした。学年でも一桁順位以外はとったことがありません。多くのスポーツをやってきたので、なんでもできる自信があります。それなのに運動ができるイメージが全くないのです。卒業文集などで見る、クラスの中で運動ができる人、の欄に私の名前はかすりもしません。そのため私にスポーツの質問は来ません。実は私はスポーツをするとき論理的に考える人間なので、中学生のころ、体育noteと言われる体育の感想を書く提出物も難なくこなせました。最高評価をもらったのは私が学年で一番早かったらしいです。それでも書き方を教えてくれとはあまりなりませんでした。お前ができるなら俺らでもできると言わんばかりの態度を取られました。大学でも課題はそつなくこなし、バイトもすぐに仕事を覚え、最高速レベルでリーダーになったりもします。就活では、面接で落ちたこともありませんでした。勝率100%です。基本的になんでも準備を怠らないので、傍から見るとなんでもそつなくこなす奴に見られているとは思います。
 経歴にはそれなりの自信があります。最高峰のレベルではないものも、平均以上の、ある程度の結果は残していると思います。しかし頼られない。一向に頼られない。聞かれたらなんでも答えるし、時間をかけて最高のお返しをします。そんな気持ちを持っているのに、頼ってくる相手がいません。

 きっと私に何か欠けている部分があるのでしょう。思いやりが足りなかったり、自分勝手であったり、知らないところでたくさんの迷惑をかけているのでしょう。知らないことですが。

 私も今この文章を読み返すと、こんな文章を書いてあるやつとは話したと思いません。そのため、こんな私みたいなやつと仲良くしてくれているすべての人に感謝をしたいと思います。
 しかし私は仲間はずれにしないでください。大切な時に私を頼ってほしいです。選んでほしいです。
 こんな弱気な自分を変えていきたいです。今日から変わります。


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