被災地支援と謳えば何でも許されるわけではないということ

能登半島地震から約三ヶ月、ニュースで取り扱われることも格段に減り、震災に心を向ける人もまた減ってしまったように思う。
そんな中、今現在もボランティアや支援を現地で行っている方、旅行やお取り寄せで経済を回す支援をしてくださる方などもたくさん居て、そういった方々のnoteを見るのも楽しみになっている。

しかし、同時に「それは果たして本当に被災地のためにしているのか?」という人たちの記事も目に入ってしまう。

ボランティアに参加した大学生のnoteは、倒壊した家屋を撮影した写真を複数載せていた。彼は一体どんな気持ちでその写真を撮り、noteを書いたんだろう。そしてもし、自分の生まれ育った家が同じ状態になり、知らんところから来た若者が写真を撮って「ボランティアに行きました」という実績として紹介していたらどう思うんだろう。
その写真は「わかりやすい被災状況」かもしれないけれど、紛れもなく個人の所有物であり、誰かの生まれ育った大切な我が家であり、個人情報でもあることを忘れないでほしい。記録する義務が、伝えることが大切という意見もあるかもしれないけれど、それは被災された方々が決めることで、現地を支援に行った個人が勝手に判断していいことではないし、「自分の活動記録」としたいのなら所有者に許可どりすべきなのだ。
それが出来ないのであれば、文字や許可どりの不要なものを使えばいいだけなんだ。
ボランティアとして現地で活動し、写真の一枚も貼らず、現地で感じたことや震災への対策や現地の実情を事細かに書き綴っている方もいる。写真がなくても悲惨さや大変さは充分伝わってくる。

この方だけでなく、大学生がこぞってあげているボランティア記録はほとんどが就活時に「私は能登半島地震に際し現地でボランティアを行いました」と高らかに宣言できる実績づくりでしかないのだな…というイメージを抱いてしまう記事を立て続けに見てしまっている。
もちろん、実績づくりだろうが現地に行って行動することで助かっている部分や、現地で減る負担はある。だけど、ボランティア活動という錦を掲げて被災地状況を伝えるのであれば、実際に見て肌で感じて被災者の方と交わした言葉から被災地にどう向き合うべきか、発信する際にしていいこととダメであろうことを学んでほしいと思う。

また、被災地応援を掲げたクラファンでも怪しいものを見かけました。
クラファンで集めたお金を全額寄付するように見せかけ、実態はクラファンで"イベントを開催する費用を募り"、イベントで得た収入を寄付という…
ライブ配信で費用を100万円も集めて、かかる費用はクラファンで支払うということは、運営側の懐は一切傷まないということ。
どのくらい経費がかかり、どのくらい利益が出るかもわからないライブ配信(しかも出演者は怪しげなコンサル系)で本当に適切な団体に全額寄付がいくのかもわからない、優良誤認だしいクラファン。

また、「能登半島地震の真実」や「能登半島地震の実態」というような不安や偏った思考を煽動するような記事を有料で公開しているゴミクズも多く、ふざけんなという気持ちが募ります。
noteはああいう記事を取り締まってくれないのか、表現の自由と言われて仕舞えばそれまでなのだけれど。

そんなどこに金が行くかわからないクラファンや、ゴミクズの有料記事よりも、被災された方々が直に行っているクラファンを支援してほしいと思います。

被災地支援という言葉は、とても大切だけれど、同時に「利用したい側」からしてもとても便利なんでしょうね。
おそらくこうした方々はいなくなることはないでしょうし、自分がそれを真っ当に批判できる立場でもないですが、それでも自分は彼らのような"震災利用者"のような人間にはならず、被災地のプラスになることを小さくてもしていきたいと思う。


歯に布着せぬ言い方すると、被災地を利用すんなボケーーーーーーーーーーーーー!!!!
そういう行いはな!!!!!いつかもし万が一お前らが被災者になった時返ってくるからな!!!!!そんな時が来てしまった時、受け入れられるんだよな!!!!!!!
だって自分たちがそういう行動をしているんだから!!!!!



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