1年
今日は朝からTwitter(X)上で、お悔やみを述べているポストを何度も見かけた。ここ1年、Twitterはずっと地獄のようだった。強い言葉が飛び交っていて、ファンの中でも劇団を擁護する人たちと糾弾する人たちに、真っ二つに分かれてしまったように見えた。
亡くなったことをニュースで知った私は、最初は傍観しているだけだった。特に10月の間は、起きたことを信じられなかったし、ネット上でまことしやかに語られる噂話もまさかね、と引きで見ていた。10月29日には宝塚大劇場で宙組公演を観劇する予定で、その数日前に全公演中止が決まった時には残念だなと思っただけだった。
でも、だんだんと現実味を帯びてきた。パワーハラスメントは「事実」で、そのハラスメントを行った劇団員は確かに存在するということ。劇団はそれに対して、ほとんど何も対応をしてこなかったこと。過剰労働があったこと。
有愛さんはどんなに苦しかったことだろう。どんなに訴えても変わらない組織の性質。外部から問題が見えづらい閉鎖的な空間。それが、憧れの「すみれの園」なんだろうか。宙組は中止になったけれど、他の組は徐々に公演を再開してまた元通りになったかのように見えた。私は結局、観劇を続けた。そのうちに、自身の中に2つの人格が生まれているような感覚に陥った。1つは、宝塚は最高の世界で、観劇するたびに幸せだなと感じる自分。もう1つは、何食わぬ顔で公演を続ける劇団や劇団員が恐ろしくて、こんな世界があってはならないと思う自分。この2つの自分の間をずっと行ったり来たりしている。
辛いけれど、この気持ちだけは変わらない。有愛さん、ご冥福をお祈りします。そして、その後の世界を変えることができないままでごめんなさい。