自分の事④越境入学で入った公立中学時代に培った要領の良さ~超一流の三流人生
N高進学の夢のため(地元の中学校には野球部が無いのもあり)電車で40分程の所に公立ながら毎年都大会に出場している学校があり、ビジネス街という土地柄半数が越境で賄っている中学に入学する事になりました。
親は大層苦労したみたいですが…
野球部に入学し、身体も大きかったので【期待の一年生】という立ち位置にいて、それなりに優遇されていた入学当初。
当時の顧問から
「センスないヤツは他人の何倍も努力しろ」とずっと言われ続けた言葉を頂戴し、やはりオレはセンスないんだなぁ。と改めて自分の生きる道を見据えた瞬間でありました。
夏の暑い時期
一年生はベンチの外で、膝に両手を置き中腰になり
「ウェーイ」「ウェーイ」と意味の無い言葉を叫ぶのが仕事。
なんじゃこれは?!と思ったお好み中学生はひらめきました。
ベンチに入る方法
当然背番号貰ってないのでメンバーとしては入れない。
三年生の美人マネージャーに声を掛ける。
「今後の為にスコアブックの付け方教えてください。」
そこから部活後に美人マネージャーからスコアブックの付け方を教えて貰うという夢の様な日々。
あっという間に覚えたお好み中学生はマネージャーから
「じゃあ、次の試合はベンチで付けてみようか」と言われ、一年生が「ウェーイウェーイ」言ってる中、美人マネージャーのいい匂いを嗅ぎながら、涼しい顔してベンチで椅子に座る。という技を習得しました。
全く要領の良い私。
こうして夏を乗り切りましたとさ。
二年生になり進路相談の時期
担任「お前このままだと志望校なんて無理だぞ」
ヤバい。
野球推薦で入れなければ一般受験をしなければならないのだ。
二度も落ちるなんてイヤに決まってる。
そこで色々考えて推薦を貰うために内申点を少しでも上げる方法を考えました。
生徒会長になれば良い。
元々口八丁手八丁の私は小学6年時の担任の影響で目立つのが好き。
選挙運動中も色々な手を使って目立ち
「厳しい校則を一から見直す。学帽廃止!修学旅行は私服で」等到底叶いそうもない公約を掲げ見事生徒会長に選出されました。
公約は実現させましたがね( ˙꒳˙ )
その後も授業の一貫の【クラブ活動】に「ボランティアクラブ」を設立
水曜日の5時間目の為、給食後直ぐに「老人ホーム」や「乳児院」「身障センター」にボランティア活動に行くという目に余る媚び売り行動に走り続けました。
結果区長から特別褒状を頂くという、いくら馬鹿でも内申点を上げなければいけない状態を作り上げた三年生の9月。
少年野球の監督さんから
「おい、お好み。来週セレクションに連れて行くから準備をしておけ」と言われ、言われるがままN高野球部のセレクション(野球の試験)に。
この年甲子園出場した同校。
セレクション枠が増え、その最後に引っかかっるというミラクルを達成し呆気なく入学の夢を叶えてしまいました。
この時点で【超一流の三流】を自覚し始めた、お好み中学生。
目標に進む道は一つでは無い。
という事を実感出来た中学生活でした。
因みに中学時代色々やらかした私は(○○が見つかる、○○する⇒教室で公開坊主等)、生徒会長でありながら自身の卒業式の「答辞」もやらせて貰えないという、学校史上初めての惨事という事でも名を残す事になりました。
さぁ!
気持ちを切り替えて高校野球に没頭するぜ!!
しかし、この時右手を骨折中。
卒業式翌日は手術の予定。
その理由は…
つづく
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