私が今に至るまでの変遷①

私は子供の頃からお笑いが好きでした。
育った環境としては、母親が割とお笑い好きな方ですし、大阪で生まれ育ったというのもやはり影響しているかもしれません。幼稚園くらいの頃はシャンプーハットのこいでさんがめちゃくちゃ好きでした。面白いし顔がかっこいいので好きでした。ビッキーズをテレビで見ながら、あの飴ちゃん私も取りたいなぁと思ったりしていました。
小学校2年生の時、私は花より男子2を見て松本潤ファンになりました。そこからはとにかく嵐に熱中していました。変わらずお笑いは好きでしたが、それより嵐でした。嵐の事で頭がいっぱいでした。

中学にあがり、変わらずアラシックではありつつも、色んなものを好きになりました。アニメや声優にものめり込みました。私はとにかく熱しやすく冷めやすいので、転々と色んなものに興味を持ちました。この頃好きになったもので今も好きなものと言うと、ハロプロくらいです。それまで女性アイドルは好きではありませんでしたが、ももちこと嗣永桃子さんを見て、あまりのスキルの高さに感動して好きになりました。初めて行ったイベントで当たったサインは宝物です。

中学2年生の時、ここで何と私はNONSTYLEを好きになります。
NONSTYLEです。
中高生に大人気!でお馴染み、NONSTYLEです。
私はこの過去から逃げ続けてきたのですが、いい加減受け止める事に決め、今ここに書いています。1年くらいは好きだったように思います。中学生で劇場に通えるような財力は無かったので、それは今考えると本当に良かったなと思います。

中学3年生でラーメンズを好きになります。この時は相当好きだったと思います。それまで私は漫才にしか興味が無く、わざわざコントを見ようという気が一切ありませんでした。キングオブコントとかもほとんど見てませんでした。しかし、初めてラーメンズを見た時に、コントってこういうのも有りなんだ!と衝撃を受けたのを覚えています。小林賢太郎の本やラーメンズが出ていた過去の雑誌などを買い漁りました。この時期は私がガッツリ不登校で、ずっと家にいて何もする事がなく、ひたすらラーメンズばかり見ていました。めっちゃ見ました。そこから、バナナマンやバカリズムなども好きになってたくさん見ました。

そして私は不登校のまま卒業式を迎え、無理やり私立の高校を受験し、合格こそしましたが毎日引き篭もっていたやつが電車に乗って週6登校などできるはずもなく、速攻で高校を辞め、5月にはスーパーでレジ打ちバイトしてるだけの16歳になっていました。

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