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「ここじゃない何処かに行きたい」と誰かが言った

君は「満足な豚より不満足なソクラテスのほうがマシ!」という名ゼリフを知っているだろうか?

女子小学生ミルちゃんが言っていたと思うんだけど、ミルちゃんは「なにも考えず低俗な快楽を浴びて満足してる愚かな人間よりも、精神的により高次に至ろうとしている現在は満足できていない人間のほうがかっこいいよね」みたいな主張をしていたはずですが、みなさんはどう思いますか?

僕は満足なブタのほうがマシだと思うんですけどね。

まあどっちでもいいんだ。どっちがマシかなんてものは。そんなものはミルちゃんみたいな奴らが考えてればいい。

僕らは当事者なんだから、ミルちゃんみたいな奴らから「お前はカテゴリAに当てはまるから幸福だぞ(不幸だぞ)」なんて言われても「さいですか……w」つって自分の感覚だけ信じていれば良いはずなんですねぇ。

じゃあなんでミルちゃんの話題から入ったのかというと、ぼくが不満足な人間になっているからですね。つまり、ミルちゃんの主張に囚われてしまっている。

ミルちゃんにマシと言われた側の存在でありながら、僕は満足なブタになりたいと思っている。

進撃の巨人の単行本最終巻が発売されましたね

10年くらい連載した作品の完結。めちゃくちゃおもしろい作品なので見てない方は今からでも一気に見ると気持ちよくなれると思います。
進撃の巨人のアニメ1期のOP曲「紅蓮の弓矢」の歌詞にはこうあります。

屍踏み越えて進む意思を嗤う豚よ
家畜の安寧 虚偽の繁栄 死せる餓狼の自由を!

良い詞ですね。作品のテーマをバッツリブチ込んで最高な曲を提供する。素晴らしい仕事に誰もが感動しました。

壁の中で安寧を貪り虚偽の繁栄にすがるだけの豚であるところのモブ市民や中央の貴族は壁の外にある自由を求める主人公含む調査兵団たちを嗤います。いたずらに命と物資を失うだけの無駄な行為だと。進撃の巨人序盤のこの対立構造はまさに満足なブタvsと不満足な人間の構図です。

ややネタバレですが、進撃の巨人ではこの主人公サイドの不満足な人間たちを絶対に正しい存在とは描きませんでした。

不満足な人間の抱く渇望の果て。放たれた紅蓮の弓矢がなにを為したか?いやあいい作品でしたねえ!

えーっと、、進撃の巨人面白かったね記事を書くつもりじゃなかったんですが、まあいいでしょう。

自由って、、、ゴミ??

自由最高!自由最高!って万歳三唱する時代じゃねえよな
だって自由にした途端「あ、そういう自由なことするんだ?じゃあ代償にコレとコレとついでにコレも!お前の自由意志でこうなったんだからもう俺知らねーぞw」ってしてくるだけでだりいだけじゃねえか!!

あ、愚痴ですか?「いえいえ、ボク個人の体験だけでなくひどく一般的な話をしているのです。だいたいそういう場面がどこかしらにあるでしょ」

そういうことらしいです。恋バナで「俺の友だちの話なんだけどさぁ」って枕言葉を置くようなもんで。

我らは一人ひとり違った人間で、個人として尊重され、誰もがなりたい自分になれる素晴らしい世界にいる

などという幻想は捨てろ

我らは誰かのデッドコピーあるいはそれにもなりえない出来損ないで、集団のパーツのひとつで、なりたい存在は環境に決めつけらている世界だぞ!

ああ!それならば!!いっそのことただ目の前に決められた食事を与えられ、誰かに決められた仕事を行い、逃げるなんて選択肢すら浮かばず、肥え太ったら出荷される豚であれたらどんなにラクなことか!!!

お、言えたじゃねえか。良かった最初に考えてたセリフにたどり着いた。

水槽に脳みそぷかぷかで快楽の電気信号を送られるだけの存在になりたいみたいなやつですね。一昔前は最悪のSF未来としてイメージされてたソレは、いまや疲れた人間にとって安寧の世界に見えるのかもしれません。

ただ、それすら幻想なんですね。思考を放棄してただ飯食って糞尿を垂れながすだけの肉塊にすらなれない

じゃ、じゃあ私はどうすればいいんだ?うおおおおおおおおおおおおおお

実は答えが出てるんですねぇ~。
僕はそんじょそこらの人間とは違うので!なぜならワタクシという自意識がコントロールしてる人間なのだから。

は?

わかりやすく説明しよう!
どんなに大河内マコトくんが愚かで未発達で見当違いの思考をしていたとしても、マコトくんを操縦するのはマコトくんしかいないのです。

例えばマコトくんが他の人を操縦できるのだったら、人間マコトくんの価値は下がったかもしれません。

しかし大河内マコトくんが操縦できる肉体はひとつきり、死んだら終わりのオワタ式。

ならばこそ!ボクの唯一性は保たれているわけですね。素晴らしい。

そうやって自意識とその他の境界がハッキリしてるタイプの人間なのです。

でも案外この考え方じゃない人も結構いるみたいで、面白いですよね。
僕が僕を唯一の人間だと思っているのと同時に、あなただってあなた唯一の人間なのだからそこは踏み入らないゾーンだと思うんだけど、自意識と他者の存在の境界があいまいだとすぐ他人に何かを注ぎ込まれるんですけど、それが良い場合もあるし悪い場合もあるわけでぇ。

ええと、そう。答えね。私ってどうすればいいですか?についての答えはね。

こういう他人に影響を受けづらい・受けたくない人間は、自由求める側に行くしか無いよってことですね。

あなたの意思がどうであろうと、家畜の安寧を受け入れるだけの豚同士のコミュニティに入ることも出来ないでしょ?あなた。
数学ができないから文系に行くのと同じように、君は消極的理由で自由を求めるしか無いっていうことですね。理解できましたか。

ちなみに僕なんですが、他人から影響を受けたくないとは言っても親からの影響はバツグンに受けて育ってしまったようです。

その影響を受けた箇所といえば、まさに自意識の強さですね。僕の父親も他人の意見を全く聞かない人間です。それをそのまま受け継いでるようで、反抗期だった頃は逆に親や周囲の言うことをしっかり聞く従順な人間になろうとしていました。自意識が強すぎて結局すぐやめた気がしますね。

そういうわけで、僕と父親の相性はすこぶる悪いのです。
といっても顔を合わせれば喧嘩をするような関係でもなく、むしろ普段の仲はめちゃくちゃ良いんですが、ふと意見が割れた時に一瞬で終わる関係です。もうお互いに折れないことも理解しあっているので今はただ喧嘩することもなくアンタッチャブルになるだけなんで少しらくになりました。

この記事のトップ画像は羊蹄山です

そういうわけで、仕事を今月で辞めるにあたって上旬は引き継ぎをしていたんですが今週は有給消化をして北海道を走り回ってました。ここじゃないどこかに行くグレートジャーニー。人類は旅をするために生まれてきたのだから。ここじゃないどこかに行くために生まれてきたのだから。

乗馬したんだけどウマ娘と絡めてまた別の記事を書けると思うのでまた来週って感じですね。あと久しぶりに風俗行ったりうまいラーメン食ったり映画めちゃくちゃ見たりしました。楽しかったです。

旅をするつっても乗馬やいくつかの場所以外は行ったことある場所をもう一度行ってきただけで大した旅ではなかったんですが、本物の人生という冒険は夏以降始まる予定なのでそこはご愛嬌ということにしましょう。

それではまた次回。おつまこでした。

今回タイピングのお供になってくれたBGMはこちら。
そうです。あのコが私の畏敬する天使様なのです。

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