メールの完結性の有無と年齢や世代の関係

ニュースソースは忘れたのだが、「今時の若者のメールの書き方がなってない」的な記事を読んだ。
その筆者の主張を端的にまとめると「メールというものは完結した文書であらねばならないのに、中途半端な内容のものを送りつけて、相手との対話で情報を引き出してもらうことを狙う手法はいかがなものか」という感じ。
要するに、「今度、沖縄に旅行しようと思うのですが何かアドバイスとかありますか?」みたいなことをメールで送りつけることを批判している。
メールで質問を送るなら、相手が回答を考えるための材料、すなわち、「いつ頃行くつもりなのか」「一人旅なのか連れがいるのか」「予算はどれくらいなのか」「滞在日数はどれくらいが希望なのか」「必ず行きたいポイントはあるのか」などなど、必要な情報は入れた上でお伺いを立てるのが大人としての最低ラインだろうが、ということ。

自分の個人的感覚としては、まあビジネスのやり取りだったら当然そうだよね、特にお金をもらう側からお金を払ってくれる側への確認の質問のメールとかだったらなおさらだよね、とは思う。
口頭でのやり取りでも同様で、仕事の報告だったら「学校じゃないんだから結論から先に言え!」と上司から注意を受けたりもする。
が、私人同士のやりとり全般について必ずそれが適用されるべきかというとそれは違うとも思う。
休憩時間の雑談で結論や合意を得る必要がない、ただただ談話しているのを楽しんでいるんだったら、そんなのはどうでもいいとも思う。

あと、メールの書き方に関していえば、これは「文化の違い」であるとも思う。
仕事でパソコンを使うところから入り、メールも業務の中で報告書や質問書をやり取りするようなところから入った人からすれば、メールを送るという行為は業務プロセスの中で報告書や質問書を郵送するのと感覚的に差がない。
送信したら向こうがシンキングタイムに入り、回答が定まるまで応答はないか、もしくは「ご質問ありがとうございます。数日中にはご回答いたします」との返信が来るか、くらいだ。
当然、一回送信したメールの内容について、「これってどういう意味ですか?」と電話で確認をされてしまうのは送った側の文章力が低いということで恥ずべきことになる。

一方で、パソコンはすっ飛ばしてケータイメールやLINEから入った人にとっては、「おはよう!」とか「しつも〜ん!」とかそういう短文を1通のメールとして送信することに違和感がないだろうというのもわかる。
これは「手紙のやり取り」ではなく、「リアルタイムの対話」なのだ。
逆に、LINEやその他のチャット系ツールで「プリントしたらA4用紙5枚分」なんて長文を送る人は普通はいない。
あくまで自分の経験からの感想なのだが、ケータイメールから入った人にとっては、メールもそれらのチャット系ツールと同じ感覚なのだろうと思う。
すなわち、従来の「電子郵便」としてのメール文化と、チャット系ツールとして使われるケータイメールの文化とが、同じ電子メールという技術基盤の上で混在していたわけだ。

今はLINEがケータイメールにとって代わり、メールはまた昔のような「書類を郵送するようなもの」に戻った感がある。
そのうち、「過去にメールを送信したことがない」という人も増えるんだろうなあと思ったりもする。
ついでに言うと、この辺は年齢や世代による差というよりは、IT利用歴あるいはIT利用開始年代によると思う。

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