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誰も読まないことを想定した記事を書くと良い。

 気がつけば2024年も三ヶ月を終わろうとしている。
世の中といえば今年の初日の地震に始まり著名人の逝去や世界的に有名な日本人やきう選手のあれやこれや。関西から日本を代表するお笑い芸人になった彼のあれやこれや。
まあ、そのどれもの当事者ではないという立場で言えば話題に事欠かない三ヶ月だった。

私のことで言えば今年は実に、丁寧にサボっている一年である。
一生懸命仕事をしない、自分がしんどくないということに最も価値を見出している。と言えば良いのか。結局それが一番大事だなとこの年になって思う。

ミュージシャンであり、マスク職人であり、生地販売業のお兄さんであり、物書きであり、何でも屋さんである自分のモットーとして過剰サービスの禁止というのがある。
なんでもそうだけど、相手が喜んでくれると思えばやりたくなるのが人情だけど
それだけでは仕事というのは成立しないもんで。
対価に対してちょうど見合うところまで。それを心がけるようにしてからずいぶん仕事は楽になった。顧客満足度を追求しすぎると増長になって、それが嫌になり始めると仕事は苦痛にしかならない。

まあ、そんな当然のことも自営業やるまではわからんもんですよね。

普段は仕事で文章ばかり書いているのでたまには自分の勝手気ままなことを書きたいと思ってタイピングを始めたものの、やはりなんのテーマもなく物を描くというのはなかなか難しい物で、あっちへふらふらこっちへふらふらとしてしまう。

まいったなあと思っていると、バックグラウンドに流している音楽がたまたまBILLY JOELとなったので彼についての私見をつらつらと述べるタイプのブログに今からしようと思う。

思いつきの人生というのも悪くない。

今聞こえているのは1982年12月29日。ユニオンデール。
ビリージョエルに詳しい人はここまで言えばどの音源かわかる。
1982年というだけでわかる。
ナッソウコロシアムでの演奏だ。

今から42年も前のライブ音源だがここでの演奏というのは実にいい。
まだ若々しいビリーの飛び跳ねるようなパフォーマンスが随所に見られる。
実に、実に、大好きなライブだ。

一曲目アレンタウン。
あっちこっちに転調するこの曲は、一聴した時に感じる簡単なフォーク調の楽曲というイメージとは違い割合に難しい楽曲でありその内容もハードだ。
それでも簡単な風に聴けてしまうというのは彼のソングライティング能力の高さが故だろう。このライブはこの曲が入っているアルバム「ナイロンカーテン」のプロモツアーだったんだろう。これまでの明るく楽しい彼のライブに、少し社会性が備わったような印象があるのはそのせいだろうか。

二曲目マイライフ。
先日の来日公演の一曲目にもなったこの曲は、車のコマーシャルなどにも使われることが多く実に溌剌とした洋楽らしい洋楽っていう感じの曲。
「ほっといてくれよ。俺の人生だろ!」という内容は、実に彼らしい主張である。曲中に「バカヤロ」と叫ぶ箇所があるのも日本人としては嬉しいね。
ポップのど真ん中をいくような明るいメロディライン、しかし熟練した仲間との演奏でなくてはこうはならないというのは近年の彼を見てても悲しかなそう思う。
後述することになれば良いな、と思うけど
マイライフが入ったアルバム、52nd streetから数えて前作にあたる「The Stranger」所収の「Movin' Out」も同じようなタイプの内容の楽曲。
僕は二つとも好きです。

三曲目プレリュード/アングリーヤングマン。
このイントロは若き日の僕の練習曲だった。
ピアノとこれほど息の合ったドラムというのは他にない。
私がドラマーを志したのは何を隠そうビリージョエルがいたからだ。
彼と彼のドラマー、リバティデヴィートの関係性にやられてしまって
ドラムを使ってこれほど歌を美しく聴かせることができるなら
それは自分の人生を使う価値のある仕事だ。
と、若い頃の僕はそう思った。
特にこの曲における歌とドラムの関係性の美しさは顕著で
一挙手一投足に至るまでまるで影のようにひたっと寄り添って
歌とピアノを立体的なものにしている。
ただの伴奏ではこうはならない。というのは
近年のビリーを見ても悲しいかな、そう思う。

四曲目ピアノマン。
この曲が彼の代名詞である、というのは誰に聞いても明らかで異論はない。
ビリージョエルファンの人にとって今年最大のニュースは
彼が新曲を出した。ということであり、それにも異論はない。

しかしその楽曲というのがなんとも、
私にとっては一筋縄で喜んで良いものかどうかがわからない代物だった。

私にとってあの楽曲、『Turn The Light Back On』というのは
ピアノマンという楽曲のキメラのようなものだという印象だ。
ビリージョエルというアーティストを徹底的に記号化して、現代のテクノロジーを駆使して「ビリージョエルが2024年に新曲を作ったら」というお題で遊んだようなものではないかと思っている。

平歌からサビまでを同じコード進行で繋ぎ、(ピアノマンと同じ)
間奏はまさにピアノマンのものを展開したもので、
キーは同じ「C」。
彼がライブでこの曲を披露した時にはすでにキーは下がっていて、
本来Cである必要はなかったが、これらの記号を満たすためにはCである必要がある。または、cold spring harborに倣って録音したボーカルを意図してCまで引き上げたか。

などなどが拙い私の頭で考えたあの曲への違和感の経路だ。
まあ、楽曲自体は良い曲なのでそんなことを考えず楽しめば良いのかな。と思ってもいる。


五曲目ストレンジャー。
ニヒルの申し子のような楽曲。
片手16刻みの登竜門。
小学生の頃、初めてこのアルバムを借りてきて部屋でプレイヤーと睨めっこしながら聞いた時の衝撃を忘れることはできないだろう。一生。
誰でも聞いたことのあるあの口笛、リフ。
それでいて、どこか日本人受けのする歌謡曲風のメロディ感覚があり
それが子供の僕にも伝わったというのだからすごい。
この曲はすごい。
このライブのバージョンは、15禁くらいのカッコ良さがある。
小学生が聞いたらグレるぜ。



ふう。

まあこんだけ書いたら気が済んだ。
Movin'outが後述にならなかったことだけが心残りだがまあ仕方ない。
人生とはそういうものだ。

またすぐに書きたい気持ちになった時に書こうと思う。

もしも読んでくれた人がいたら感謝を伝えたい。あなたは偉い。


では。

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