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【小説】エステル=リンドブラードは悪に染まる5

突き出された封筒を二人して目を瞬かせて見つめる。
ニーナから手を離したエステルが「お借りしても?」と、封筒に手を伸ばして受け取った。
封筒に書かれているのは間違いなく彼女のサインだ。それも直筆である。けれど書いたことも送った覚えもニーナにはない。
また、名前のすぐ後ろに丸みのある『〆』のような飾りの型抜きがなされている。つまり小さな穴が開いているわけだ。
たとえ彼が封筒を手に入れたとしても、自作自演でここまでの凶行に至れるほど心臓が強くあるまい。
けれど封筒に入っている手紙というのが――

「えっと……封筒の名前とラブレターで筆跡違いませんか?」

「はぁっ?!」

「いえ、ニーナ様の字ではなさそうなんですが……」

「え、えぇ……あたしの字ではないわ」

「そ……そんな……僕はハメられたのか……?」

「だとしてもこの内容はひどい……」

「そうですね……まさか女性からこんな煽情的なお誘いを受けると思われていたのですか?」

封筒だけは本物のようで愕然とするクリストフェルだが、問題はそれだけではない。
面識があるだけで仲がいいわけでもないニーナから送られたとされる手紙が次のものだ。

『ダメだとわかっていても、いつもあなたのことを思っています。だから一度だけ。あたしにチャンスをください。
 あなたを思うと身体が熱くなって……だから『話がある』と校舎の影に呼び出して、何も言わずに強引に乱暴に踏みにじって欲しいのです。
 たとえあたしが日和って拒否しても絶対にやめないでください。それできっと諦めますから……こんな馬鹿な女の願いをどうか聞いてください』

要約するとそんな感じの文章が長々つづられている。
こんなもの送りつけてくる奴の頭が知れないし、手を出して無事で済むはずがない。どんな痴女だ。
間違いなく暴露されるか脅される。下手をするともらった時点で、だ。どちらに転んでも一生ものの汚点になりかねない。破滅へ一直線である。
というかこのまま鵜呑みにして襲い掛かっているのだからクリストフェルの頭がおかしいとしか言いようがない。
しらーっとした視線を女子二人から受けるクリストフェルは、だとしても被害者であることに違いない。

「こんなことするやつだって絶対、言ってやる……」

「やめてくれ! 未遂だったろう!?」

「よくそんなことが言えたものね!」

「えっと……お二方、少しお待ちください。あちらで彼女と話をさせてもらいますので」

「あたし側についてくれるわよね!」

「そ、そんな……まさか……?」

「それも含めて、です。悪いようにはしませんから」

苦笑いしながら落ち着かせようと試みるエステルの横顔を見て、ニーナのヒートアップしていた思考がハタと止まる。
勝手に味方のような顔で話しているが、今まで彼女はエステルを散々貶める側だった。

――どうしてエステルが味方であると言える?

どくどくとニーナの耳に血流の音が大きくなっていく。
エステルが第三者の立場。一定の証拠がある中でクリストフェル側に有利な証言をすればどうなるか。
被害者の立場から一転、加害者どころか処女のまま痴女の烙印を押されてしまう。
余生と呼ぶにはあまりに長すぎる将来に、一気に暗雲が立ち込めていくような気がして別の意味で蒼褪めていく。
そうしてクリストフェルから少し離れて「ニーナ様」と耳元で呼ばれたニーナは、ビクリと肩を上げて「ひゃいっ!」なんて声を出した。

「どうされました?」

「ど、どうって!? 何もないわ……よ……?」

「そうですか? では少し問題があります」

「も、問題ですって!」

「……声を落としてもらえますか?」

「わっ、わかっ! ……たわ」

急激に声を落とす姿を見たエステルは、どうにもやりにくいと小さくため息をこぼす。
しかし皆が不利益を被らないために聞かねばならないことがあるのだ。
それは――

「あの封筒に書かれていた名前って『宛名』ではありません?」

「………」

「あの名前の後ろには『宛』が入っていて、そこを切り抜かれているのではありませんか?」

「どうして、あたしがそんなことをする必要があるのよ」

「ラブレターの偽造とか……?」

「―――ッ!!」

ぞわり、とニーナの背筋が伸びる。これでどう転んでも自分の未来は閉ざされた。
味方になってくれないばかりか、否定できない真実を見破られてしまった。
封筒に名前を書いただけで、こんなにもひどい目に遭って、しかも未来に渡って業を背負うなんて。
たしかにエステルへの当たりは強かったかもしれない。いや、間違いなくやり過ぎな場面もあっただろう。
けれどそれはいつも一過性で、少し我慢すればいいだけだ。その報いだと言うのならいくら何でもひど過ぎではないのか。
頭の中で行われる勝手すぎる釈明に聞く者がいれば目を覆ったことだろう。
先ほどとはまた違った絶望に苛まれるニーナの耳に、ため息とともに「やっぱりですか……」と囁く声が入ってきた。

ニーナは目に見えて取り乱して「なんでっ、どうして!?」などと縋り付いて問いかける。
もう疑問を解消してもどうにもならないのに、不安から前のめりになってしまう。
しかし相手はとても落ち着いた様子で

「単純に生徒数に対してラブレターの数が多すぎると思いませんか?」

「え?」

「封筒や手紙はたしかに消耗品ですので、どれだけあっても不思議ではありませんが『思い人』は違いますよね」

「えっと……?」

「いえ。単に感覚的なものですが、毎日何人も騒いでると思いませんか?
 すぐに心移りしない限り、最大数は生徒数……の半分です。でしたらずっと『ブームが続く』って変じゃないですか?」

たとえばラブレターで相手を射止めて両思いになればそれ以上は送らなくなる。
また、無記名であれば振られることもなく片思いが続くはずだ。
それに好意を寄せる相手がいなかったり、ラブレターという手段を取らない人もいるだろう。
だから――

「自作自演や悪戯の人も多いんじゃないかと思って……」

まさしく流行に乗せられてその通りの行動を取ってしまったニーナは、顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。
だって、こういう言葉を使うということは、エステルが持っていたあのラブレターは『本物』だということだ。
もはや全面降伏だ。最後の強がりで「あ、あたしを笑えばいいわ」なんて言うくらいしかできない。

「そんなことをしないために止めたんです」

「――え?」

許してくれるのか。だがそれならどうするのだ。わけがわからない。
あまりの情報量に錯綜するニーナの頭の中はちっともまとまってくれない。

「あの方のやろうとしたことは同じ女性として許せません。けれどそれを追求しても誰も得しないのも事実です」

このまま互いに引き下がらずに罵り合えば間違いなく学園に介入され、事情を暴露された挙句二人揃って破滅する。
それもエスメラルダは『人をまとめられない無能』と烙印を押され、最悪王妃にふさわしくないと王家から婚約破棄を突きつけられかねない。
そうなれば派閥は解散し、放り出された者たちがすんなりと別の派閥に入れるかは疑問が残る。
誰にとっても不幸な未来が待っている、とエステルは危惧しているのだ。

「だったら二人揃って……いえ、わたしも含めて三人とも『何もなかった』とするのはどうでしょう?」

心情的には納得がいかない。
何ならあんな男と婚約者である彼女を思えば伝えた方がいいのではないか、なんてことまで思うくらいだ。
けれど信じてもらうにはこの場の醜態を開示するしかないし、信じてもらえても他家の婚約に口出ししたことで風当たりは強くなる。
どう転んでもやっぱり誰も幸せになれない。

「あ、あなたはそれでいいの……?」

「わたし、ですか? わたしは別に何も変わりありませんよ」

「だって! あたしのことがバレればあなたにいじ……ちょっかい出していたグループみんなが居なくなるかもしれないのにっ!」

「あー……そうですね。けれど急に貴族になったわたしはどうしても目立ちますよ。
 それにエスメラルダ様が相手でなければ他のグループにも声掛けられていたかもしれませんしね」

女性の中で一番の権力者に目をつけられている苦悩は、それ以外のすべてを無視できる幸運と等しいわけである。
しかしそれもある一線までの話だろう。知ってか知らずか窃盗容疑まで掛けられてさえ、そんなポジティブな考え方をできるなんて器が違いすぎる。
ニーナは心の内で『エスメラルダ様は彼女にきっと勝てません』と完全敗北を受け入れてしまった。

「だから、お願いがあります」

そう、エステルは対価がないとは一言も言っていない。
破滅と引き換えの条件。どれほど過酷で、どれほど悪辣なものなのだろうか。
ニーナの意識は急激に冷え込み身構える。そして告げられた条件とは――

「わたしとお友達になってください」

「え――?」

「いや、恥ずかしながら、まだきちんとしたお友達が居ないんです。
 わたしこれでも普通の人なのに、皆さん腫物に扱うように距離を取って……あ、でも庶民が貴族に紛れ込んでいれば『普通』ではありませんよね」

たはは、と朗らかに笑う少女はとても美しい。
どんな条件でも通る瞬間に、こんなにも些細な願いを持ち出すなんて。
だというのに、自分は……いや、自分たちはこんなにも裏表のない彼女を貶めていたのか。
罪悪感が込み上げる。自身の醜さを、小ささを思い知らされる。
貴族だろうが庶民だろうが関係なかった。格の違いとはこのことを言うのだろう。
打ちのめされたニーナは、むしろ逆に救われたように感じる。

友達、とはとてもいい言葉だ。その濃さはとても広くて深い。
だったら、こんなにも高潔な彼女と『対等でありたい』という高望みを抱いてもいいのではないか。
思考が一気にクリアになったニーナは、満面の笑みで「よろしくお願いします」と答えたのだ。

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