生臭と坊主・9

 みぎわに戻ったのが22時半。豊は新たな情報を調査書に書き込み、慶一は最後の残留思念の情報をスマホのメモに記す。それをBluetoothで豊のノートパソコンに飛ばす。
 情報メモを速読した豊の反応は素早かった。
「水葬か、このやり方は完全にアウトだな」
「許される水葬があるってこと?」
「ああ。船員法では公海上の船舶で死者が出た場合でかつ、死後24時間以上、船舶内での死亡、など様々な条件がある。そしてこの島には火葬場らしいものがないから、遺体は棺桶に入ったままのはずだ」
「じゃあ、行方不明者は」
「大字汀の崖下にいるだろう。連中は警察をなめてるようだが本庁や海保から凄腕のダイバーを派遣すれば何てことはない。なあ、戎について質問いいか?」
「ああ」
質問しながらも調査書を作る手を止めない、器用な男だ。
「戎って西宮に流れ着いたよな?」
「そう。蛭子として流れ着き、西宮で戎と呼ばれるようになった」
「何で福の神になった?」
「流れ着いた際に拾ってくれた漁師に『西宮で祀ってくれ』と頼んだ。そしてその願いを叶えてやった人々にお返しとして福をもたらした。漁師の間で外海からの漂着物にご利益があると言われているのはそれが由来さ。本格的な福の神になったのは江戸時代からだ。ちなみに戎ってのは不動明王や毘沙門天、事代主、少彦名などの神と同一説もある」
「じゃあさ、戎って生贄を要求するか?」
「聞いたことがない」
「後、戎って奇形の子供、または胎盤の姿をしているな?」
「そうそう」
「でもこの島に流れ着いたのは丸い岩で、それが戎って崇められている」
「はあ?!」
「郡の公式に書いてあった」
「まあ、どう丸いかは知らないけど、丸い岩なんてそうそうないから、祀られる可能性は充分あるな。伊豆だか真鶴だかにも似たようなのはあるし」
「だが、この島のどこかで儀式殺人があったのは間違いない」
「だから蛭子は生贄を欲しがらないって」
「それな。じゃあ、島民が神道の教えを勘違いして生贄を捧げてる可能性はあると思うかい?」
「それはあるだろうな」
「じゃあ、難問。生贄と紙切れって何か関連性ある?」
「オカルトの視点だと人形(ヒトガタ)、形代かな?生きた人間の身代わりや生贄代わりに使う」
豊の顔が蒼白になった。しかし閃きもあった。
「外部の人間や気に食わない者を生贄にしている説が出てきた。しかも、恐らくだが──この島では虐待があり、少なくとも一人は生贄として殺された可能性がある」
「おい」
何と言うおぞましいことを!
「行方不明者や被虐待児はこの島のどこかで殺され、水死体として流され、それを戎さんとして拾い、ホトケを違法な水葬で供養してたってことになる。もしかしたら相原さんもナンパを装って儀式殺人の犠牲になっていたかもな」
「おい!」
「いいか、よく聞け、ケイ。行方不明になったのは1人、せいぜい2人だ。その人数なら束になった島民からの抵抗は難しい。そして、彼らはカルト的信仰心を持っているなら生贄を出すのに尚更抵抗がなく、カルティズムに洗脳済みなら見過ごすのも容易だ。そして相原さんを襲った二人は屈強な男達だが、あいつらの言い訳には引っ掛かるものがあった。他に何らかの、儀式殺人を含めた犯罪を目論んでいるなら、警察に捕まることはそれを吐かされる恐れだってある」
「じゃあ、彼女を助け損ねたら」
 ドアがノックされた。
「俺、出る」
「ああ」
そっとドアを開けば、
「お夜食です」
女将がおにぎりとガラスの器に盛られたオレンジの盆を持って立っていた──のに、その目を見てしまった。
 母と同じ目を、知性と自我の光がない目を、愚鈍と忍耐の地獄に続く暗闇の穴のような瞳を──繊細な豊が最も恐れるものを。その恐怖を理解してしまう。
「遅れてごめんなさい。オレンジは遅れた分のサービスです。後、ポットのお湯も交換します」
「じゃあ、交換お願いします」
豊は表情なくポットを女将に手渡し、新しいポットを、
「ありがとうございます」
慶一は声を震わせぬように夜食を受け取った。
 女将が去る。
「俺、あの女将さん、駄目だわ」
「俺は初っぱなから駄目だ」
卓袱台に夜食を置こうとすれば豊が片付けを始めており、デイパックにノートパソコンやスケッチブックを詰めていく。
「もう終わりか」
「終わりであってほしいね」
今度は浴衣を脱ぎ、ジーンズとTシャツに着替える。
「何やってんの?」
「何が起きるか解らんから着替えてる。お前も着替えろ」
「はあ!?」
豊はデイパックに入っていたベレッタM9の安全装置を確かめている。
「お前も着替えて、最低限の荷物を支度しろ」
次はガンベルトを巻き、M9をホルスターに納めた。慶一も躊躇いながら着替え、ヒップバッグに貴重品を詰めた。
「だったらついでに腹拵えしてもいいんじゃないかな?」
慶一はオレンジのラップを剥ぎ取ろうと手を伸ばした。その手が不可視の手に掴まれた。

不動明王が憤怒の顔で慶一をねめつけている。その声なき言葉を理解する。

「お不動さんは何て?」
親友が問う。
「食うなって」
「食うな?」
豊は夜食の匂いを嗅ぎ、怪訝な顔をしてからお握りを一口かじった。食べる、と言うより味わっていたが、豊はそれをティッシュの中に吐き出し、そのまま洗面台に駆け込む。口の中を洗い流している。
「どうした?」
「変な味がした。さっき食った時と全然違う味。薬品っぽくて、口の中がちょっと痺れる」
豊はタオルで口を拭う。
「薬でも仕込まれてるのか?」
「そう言うことだ。眠り薬か、筋弛緩剤か、その辺りだ」
そして今度はお握りとオレンジを混ざらないようにラップで包み、リュックサックのポケットに入れた。
 慶一はその夜食で疑問を閃く。
「ちょっと待って。相原さんも夜食を食べたのかな?」
「まさか」

 外から車が近付き、止まる音がした。

 豊が息を飲み、
「静かに!」
言葉を制した。
「ケイ、外を見て。でも立ち上がるな。俺はドアに聞き耳する」
黙って頷いた慶一は寝そべったままサンルームに向かい、カーテンの隙間から道路を覗き見る。
 宿の正面には軽トラック2台と、数台の原付が止まり、荷台には大漁旗を持った島民達が乗り込んでいる。
「!?」
3人の島民に担がれた美奈が荷台に積まれる。ジャージ姿のままで気を失ったまま。
「静かに。何があった?」
豊は聞き耳をしたまま問い、
「相原さんがトラックに乗せられてる」
そろりと近付きながら答える。しかし豊は驚かずに襖の入り口に立つ。
「だろうな。下から物音があった。一悶着来るだろうから、浴衣の帯持ってそこに隠れてろ。喧嘩になるだろうからな」
「ああ」
親友の意図を読んだ慶一は従う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?