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『自分の人生を生きる』という実感を得た話

おひさしぶりです。Mayuです。まだnzにいます。

ここ最近なんとなくネットから離れた暮らしをしてました。キャンプをしながら移動したり、トレッキングしたり、働きはじめたり。

そんな中でもしみじみ思うのが

いま私は自分の人生を生きてるな

いや、今までも私の人生を生きてきたんだけれど。

nzに来て、1人で行動するようになり、色々な問題やトラブルに巻き込まれて落ち込んで、泣いて、そのたびに誰かに助けられて、なんとか乗り越えた先の景色や出会いに癒されて…こんなにジェットコースターみたいな経験は、海外に出なかったら無かったんじゃないかなと思う。何かあるたびに私という人間の新しい面を発見できた。私は私で良いのだと受け入れることができるようになった、そんなお話。


日本では私はこんなに辛くて楽しい経験はできなかった。常に何かに追われて、周りと同じことができないことを責めて責められて、自分のことがわからないまま、馴染めない自分を責めてばかりいた。実際、働いていたとき、ストレスなのかなんなのかわからないけれどほとんど記憶がない。1人になったとき、何もないのに涙が止まらなかったり、過眠傾向にあり、休日の殆どをひきこもりのように過ごしていた。もちろん(?)上司に叱られてばかりいた。他人から言われた自分の欠点ばかりに目がいって、それをどうにかしようとして失敗して、他人からさらに言われて…こんな感じで他人の評価、他人のために生きてた気がしました。まったく気づいてなかったですけど。…今思えばうつ病一歩手前だったのかなあ。

だからnzに滞在中は

私は決して世間一般の人が言う“普通の人” ではない。

それを受け入れました。(受け入れるのにだいぶかかりましたが。)

私は集団の雰囲気に馴染むのも苦手だし、行き当たりばったりなとこがあるし、本音を隠すのも苦手だし、苦手なタイプの人とうまく付き合えないし、人より多くのプライベートな時間が必要である。側から見れば付き合いづらい人間である。人と接する時間が短いからよく遠巻きにされるんですよ。いつの間にか。それに、こう、人に何かを伝えるの苦手なんですよ。本当は。それでよく他の日本人とトラブルになってました。

でもそれって別に悪いことじゃなくて、誰よりも自分に正直でいられる人間ってことだし、1人でいろんな物や出来事に触れて自分の感性?なんて言うんでしょうね、世界?を豊かにしようとしてるだけなんですよね。それってワクワクするし、気持ちがいいんですよ。この世界の中心は私なんだって実感があります。これって、

自分のために生きてる

ってことで、そこに他人の評価は関係ないんです。そして、うまく言えないんですけど他人の見てる世界と私が見てる世界とは地続きでは決して無い。それを踏まえて自分の世界を生きてる、それは

自分の人生を生きてる

そう言うことなんだろうな、と思ったのでちょっと頑張って書いてみました。



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