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知床岳

日程:2001年3月17〜18日
メンバー:Fさん、ぼく

予定どおりFさんと共に知床の羅臼町相泊から知床岳へと 昨日より行ってきました。そうですね、行ってきたというよりも、包まれてきました。

   往路の車窓からは244号線より白き頂を天に突き刺す斜里岳、柔らかく白い肌を見せている海別岳を望み、根北峠を越えて国道335号線から羅臼町へと向かうときには国後島の全貌、その間の海峡を彩る流氷、そして知床連山がオホーツク海側から見る印象とはまるで異なった荘厳さと風格をもってそびえていました。 そんな羨望の3月の陽気でした。
  相泊は、そこで道路が途切れている知床岬に一番近い集落ですが、冬の今は、人の生活の匂いもなく、夏には多くの番屋での威勢振りや観光客で賑わうのでしょうが片鱗が想像だにできません。
 相泊漁港にゴアテックス4~5人用のテントを設営し、水平線には夕映えの国後島と国境の海峡を埋めている流氷、港は海水の色を残したまま凍結し、何とも二人だけには贅沢な環境です。
 テントの中にごそごそ入ると、そこは至福の宇宙です。食糧、酒、そして山でつながる仲間がいる。
 人というものは本来、そんなに「生活のもの」など必要ないのだと思 います。ガソリンストーブ(アウトドア用のコンロ)の音が心を安心させてくれます。
陽も落ちた頃から15秒おきに、近くの沢からシマフクロウの声が何とも間近にそして低く響きます。ボーッ、ボーッ。不気味なくらいです。沢なのか、森なのかどこか大木の枝の上で、かつてコタンクルカムイ(村の守り神)として大切に敬まれた彼らは、もう本当に限られた地域にしか生息していません。(日本国内では北海道の大雪山・根室・知床などに約120羽のみの生息と推計されています)
立場は違えど同じ業種であるぼくたちはお互いの仕事やこれからの行政のあり方、住民との関係、まちづくりデザインの必要性などについて語り合いました。外では、シマフクロウが遠く切なく鳴き続けていました。
  就寝後の深夜、キタキツネの来訪(襲撃)をうけ、入り口から顔をだすと、目の前でご対面、しばらく星降る外へ出てかまって遊ぶ。
睡眠不足なり…


 登山日の今日は、朝から雪。
早朝のNHKラジオからは心穏やかにより良く生きるための宗教などのいつもながらの、しめやかな話題。
  6:00に出発し、主のいないさみしい番屋、出漁を待つ船たちが雪に埋もれています。カモイウンベ川からの尾根を利用した初の知床岳チャレンジは、雨になりたかったような雪が降りそそぎ、尾根の積雪状態もあまり良くなく、11:20にはP650mまで行って行動中止。すべてべちゃべちゃ。
ツェルト(非常用テント)を2人でかぶり、沸かしたミルクティーがうまい。
いつも樹林帯を歩いていて感ずること。それは、まるで異次元のようだということ。もちろん道もない、案内もない樹林帯をたどたどと山スキーで歩いていると、時間の流れ方が変わったような世界にいるように、いつも思います。
 下山時のスキーは尾根も狭く、また湿雪のため快適ではない。あちこちエゾシカがうろうろ、ぴょんぴょんと跳ね回る。
  13:10、カモイウンベ川河口到着。昨日の伸びやかな流氷浮かぶ藍色の海とは異なり、墨絵のような単調な色彩、波音ひとつしない世界。
  今回は久しぶりの本格的な積雪期登山に体も心も大満足でした。
Fさん、ありがとうございました。

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