【ノーワン・リーチ・ニルヴァーナ】

上空には磁気嵐が渦巻き、
その下で酸性雨の雲が大地を覆う。
鈍色のカーテンに隠されたその都市は、
暗黒の隅々にまで極彩色の光を染み渡らせ、
日々毒を以て毒を制している。
ネオサイタマ。

苦界そのものと思えるこの犯罪都市で産声を上げた赤子は、
その殆どが他の土地を目にすることなく生を終える。
ジンジャ・カテドラルやブッダテンプルで葬られるカチグミも、
道端で野垂れ死にバイオスズメの餌となるマケグミも、
この点にさしたる違いはない。

誰もが皆、暗澹たる未来を朧気に知りながら、
明日を生きるために足下だけを見て歩く。
IRCの中でのみ、遥かな明るい世界を夢見ることを救いとして。
古事記に記されしマッポーの一側面。
この街ではチャメシ・インシデントだ。

その一角。
オツキミ・ジャンクション近くのストリート脇を、
二人のヤクザが練り歩いていた。
「本当なのかよォ」「知らん」
答えた男は背が高く、もう一方はより一層高い。2m超か。
前者は黒髪、後者は金髪、どちらもオールバック。 

揃って着る虎柄のヤクザガウンとグレーのスーツは組指定のものだ。
ライトニングヒポポタマス・ヤクザクラン。
この界隈を勢力圏とする中堅どころである。

金髪長身の男は苛立っている。
かきむしったせいでバッチリセットした髪がほつれ、
それがまた苛立たしいのだ。
「俺ら舐めてんすか奴ら」「確証はない」
対して黒髪は落ち着いて返す。
冷俐な印象を抱かせる、スマートな男。

「だがやれ、クリップ」
「やりますよ」
答えて刹那、クリップと呼ばれた金髪が黒髪の隣から消える。
否、飛び上がったのだ、6m程上空へと。
荒ぶる解れ髪を手で抑えながら、男は空中で何かを振りかぶる。

「イヤーッ!」
星形をした、鋼鉄の投擲兵器。
スリケン。ニンジャの武器。
この男はヤクザであり、ニンジャなのだ。
投げた先は左手雑居ビル3F、
窓ガラスには「猿」「ショーグン」「日光」など厳めしいショドー。

然り、そこもまた、とあるヤクザの事務所である。
サンライズモンキーヴィル・ヤクザクラン。
比較的新興ではあるが、
このヤマナシ・ストリートにおいてはライトニングヒポポタマスに次ぐ勢力。

即ちこれは、カチコミと言われる威力宣戦布告行為に他ならない!
KRAAAAAAAAAASHH!!
「アバーッ!!??」「ナンオラー!?ドシタンス!?」
轟音、悲鳴、怒号。
クリップはそれらを一顧だにせず着地。

「始めますよ、ミノガ=サン」
「もう始まっとるだろうが」
黒髪、ミノガに声かけしたクリップの厚ぼったい口はメンポに覆われ、
ヤクザガウンの下もスーツからスーツ装束に着替えられている。
ミノガは特にそれらに注意を払うことも無く、
手元でくるくると違法薬物メン・タイを巻き始める。

二人にとって、慣れた作業ということだった。
「ザッケンナコラー!!
 ここをサンライズモンキーヴィルのお膝元と知って……」
ビル階上から駆け下りてきた敵対ヤクザが、二人を認めて叫び、止まる。
「み、ミノガ=サン?」
「おう、サルの」

まだ若いサンシタ小間使いではあるが、
体格も良く面相はヤクザ相応に険しい。
そんな男が、金と黒の二人を見た途端に震え出した。
「ビリダ=サンまで、どうして。恩人ナンデ?」
「ナンデだろうなァ」

クリップ……ビリダ・モギムラはサンライズの若者に答えて、
首元をゴキゴキと荒っぽく鳴らす。
「ゼンモンドーかもな、こりゃ。俺は詳しくない」
そして獰猛な眼光を向けた。
ナムサン。
「ナンデ、なん……ナンオラーッ!!?」

若者は何かを悟り、ヤバレカバレにチャカ・ガンを撃ちまくる。
ミノガはメン・タイのくるまれた葉巻をたっぷりと吸い、
言葉と共に吐いた。
「情けかけてやれ」
「ハイヨロコンデー」
クリップが答えて、銃弾を掴み取り、思う。

この若者は、知った顔だ。
だからといって、することに変わりはないのだが。

…十分後、廃墟同然となったヤクザ事務所を後に、
ミノガ・ガラシマとビリダ・モギムラはストリートを歩いていた。
たった今、一つのヤクザクランを潰してきたとは思えないような、気軽い足取りで。

「フー……クリップ。メン・タイあるか」
「無いです」
「オハギは」
「持ってるわけ無えでしょ。ブッ飛ばしますよ」
「しゃあねえな…ZBRでかまわねえよ」
「ねえんすよだから」

仏頂面のビリダ。
「んなことしてる場合じゃねんだ」
「……フーッ」
ミノガも軽口を叩いてはいるが、その表情が弛むことは片時もない。
途切れがちなアーク光を発する瀕死の街灯に照らされて、
金と黒のヤクザはゆっくりと歩いていく。
「まあ、こっからだな」


【ノーワン・リーチ・ニルヴァーナ】


ミカ・サブウェイ七番地。
パチンコ・パーラーの隣にあるブラインドゴートアイ・ヤクザクラン事務所。

「ゲコクジョだ?」
「ハ、ハイ」
応接室奥のフスマに隠された部屋で、
部下の報告を聞いたブラインドゴートアイのオヤブンは目を細める。
「先ほど、入電があり……」
「繰り返しはいい。
 カバんとこの子飼いニンジャが造反。カバの奴……ゴダラを殺った」

「若衆も巻き込んで大勢血袋にした挙げ句、飛び出して行方知れず」
「ハイ……そしてついさっきのホットラインが」
「サルのとこにカチコミしてイチモ・ダジーン、と。
 息のある奴がいたか、アイツ相手に」

オヤブンは思案するが、その顔は青ざめている。
全く慮外の降って湧いた出来事。
事態は目前に差し迫っていた。
「ウチにも来るだろ、どうなってる」

「ハ、り、リックナイフ=サンが控えて…」
部下の声は震えっぱなしだ。無理もあるまい。
リックナイフはヨージンボ。
オツキミ周辺の他クランと渡り合う為、
高いカネを払って長期契約を結んでいるニンジャだ。

だが、ニンジャのワザマエなど、常人に違いがわかる筈もない。
悪名高い、バッファロー殺戮武装鉄道のごときビリダ・モギムラを、確実に止められる戦力が要る。
「ウチだけじゃ足りねえ」

「ムーンクラスタ・レンゴウの全クランから召集すれば!」
部下が勢いこむのを、静かに手で制止しながらオヤブンは考える。
「それはやっとけ。だがウチには間に合わ」

「イヤーッ!!」
耳をつんざくカラテシャウトと破砕音が鳴り響く。
時間切れだ。
ブラインドゴートアイの平穏は、ここに終わりを告げた。
「チィーッ。おい、連絡やっとけ」

「はい、まずは……」
「まずもくそもねえ。奴らだけだ」
「奴ら?まさか」
「ああ、当然だ。こうなっちまったら他に手はねえ」
「しかし!」

「俺がオヤブンだ。
 いいからとっとと、アマクダリ・セクトにナシつけろや!」 

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「スッゾ!」「スッゾ!」「スッゾコラーッ!!」
 BRATATATATATA!!凄まじい銃声!
「ワドルナッケングラーッ!!こっちこそスッゾコラーッ!!」
「威勢がいいな、クリップ=サン!ドーモ、リックナイフです!」
「アッコラーッ!?ナメッコラー!クリップです!ヨージンボか!」
「いかにも!イヤーッ!!」

壁のブチ抜かれたパチンコ・パーラーで、
出玉調整されたボッタクリ・パチンコに玉を流し込むミノガ。
ビリダが巻き起こす嵐のようなカラテを遠目に、
的確なタイミングでパチンコ玉をフラワーに飛び込ませる。
メイジン。

キャバァーン!キャバァーン!
LEDディスプレイ上のスロットは小気味良い電子音を奏で、
左側にナスビ、右側にイーグルを映し出す。
グランド初夢リーチ。
決まれば10回もの確率変動が約束されるブッダミラクルモードへと突入確定する、この機種最大の当たり役だ。

もしパーラーが日常時に引き当てていれば、
辺りの客が色めき立ち、総員固唾を飲んで見守る展開となったであろう。
だが今、店内でパチンコに興じるのはミノガただ一人。
これもまた、一種のサイオー・ホースと言えるのかもしれなかった。

「ザッケンナグワーッ!?」「アバーッ!!」「グワーッ!」
「アバーッ!? アバババーッ!!」
「終いだサンシタが……イヤーッ!!」
「アバーッ!!サヨナラ!」

爆発音。片付いたか。
ミノガがふらりと席を立つ。
パワリオワー。
初夢チャンス成功を祝うファンファーレが、
無人のパーラーを空しく彩るのを上の空で聞き、ミノガは歩む。

壁の大穴をくぐって事務所側へ。
その足元に何かが転がる。
ミノガが無意識に避けたそれは、リックナイフの生首だった。
「おお、ナムアミダブツ」
片手間に拝し、ビリダを探すミノガ。

「クリップ。どこだ」「ここっす」
裏手から特徴的な金髪が進み出るのを見ると、
ミノガは手に持ったものを投げつけた。
「差し入れだ」
「ア?ドーモ」
100円の缶コーヒーを受け取り、ビリダは無造作に開けて、飲み干す。

「不味いすね」
「ヤギは何だって?」
自分も同じものを飲みつつ、ミノガが促す。
「何も知らないようで」
「そうか。他、なんかあるか」
「一応、これが床に」

ビリダはコーヒー缶をニンジャ握力で握り潰し捨て、
懐から一枚の名刺を取り出した。
表面に大きく「天下」と印刷されただけの、白亜のごとき一葉。
「ふん」
ミノガは鼻を鳴らし、軽く破り捨てる。

「これはウチにも来たもんだ。証拠にならん」
「ハイ」
「が、アトモスフィアがある。何かな」
「……どういうことすか」
「要は追手だ。だがまだ遠い。急ぐぞ」
「ハイ」

元来た壁の穴を潜り、ミノガが出ていく。
ビリダは多くを聞かない。
相棒の直感と推測は、
自分の不確かなニンジャ第六感などより余程的中すると知っているのだ。
何も言わず穴に手をかけ、窮屈そうに巨体を捩じ込む。

ビリダはその際、一度振り返った。
破られたフェイク・フスマの上、盲目のヤギの壁掛けオブジェと目が合う。
その輪郭に、サルの若者の顔が重なる。
ナンデと訴えるように、あるいは責め立てるように。
舌打ち一つして、金髪の男は穴を潜り抜けた。

二十分後。
その穴から事務所を覗き込む人影があった。
市民の通報を受けたマッポかデッカーであろうか?
否。NSPDがこのオツキミ周辺に現れるには早すぎる。

オツキミを牛耳るヤクザ連盟、ムーンクラスタ・レンゴウ。
彼らはネオサイタマ市警の一部部署との関係が深く、
オツキミを司直の手が及び辛い土地柄にしている。
治安維持はヤクザらしい形で行われており、
住民の間ではマッポより信頼される面もあって、
ネオサイタマ政府からも長らく黙認される形であった。

故に今、オツキミの民は試練の時にある。
彼らを庇護するヤクザ同士の抗争を、どのように受け止めるか。
そんな彼らが、長年距離を置いていたネオサイタマ市警に声を届けるに至るには、まだ些かの時が必要だった。

では、このヤクザ事務所に現れた男は一体?
「フム。なるほど繊細なカラテをお持ちのようだ」
呟いた次の一瞬、その姿は室内にある。
西洋の闘牛士もかくやという洒落た風体、鼻から上を覆う仮面。

荒れ果てたヤクザ事務所には、
全くといって良い程似つかわしくない伊達男である。
その男は室内を歩いて見渡し、
目的のものを見出だすと、厳かに己の仕事を開始する。
フェイク・フスマの奥の間に置かれたUNIX。
デッキ前に腰掛け血を垂れ流す、セプクしたと思しきヤクザ。

一瞬の風切り音が通り過ぎると、男の姿はその場から消えていた。
と同時に、室内で起きる異変。
先のヤクザとUNIXが、デッキと共に砂塵の如く崩れ落ちたのだ。

ニンジャ動体視力を持つ者が読者諸氏にあれば目にしただろう。
洒落者の男が腰に吊る細身の剣を抜くや否や、
デッキごとUNIXとヤクザを切り刻んだ、その瞬間を。

タツジンと評する他ないその妙技。
正しく、仮面の男は刺突剣によるイアイドーのマスタリーを修めたタツジンである。
男の名はスワッシュバックラー。
アマクダリ・セクト宰相たるアガメムノンが最側近、
ハタモト・エージェントの一人であった。


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「アマクダリ・セクトだな」
血煙舞う部屋に佇むミノガは、そう言った。
壁掛けの額縁には尾の先から稲光を発する勇壮なカバ。
ここはライトニングヒポポタマスの組長室だ。
「つまり、手遅れだ、クリップ。だが」

ビリダ・モギムラは茫然と相棒の話を聞いていた。
いや、聞いていなかったかもしれない。
だが。
「関係ない。やろうぜ、『ビリ=サン』」
紅に染まった表情が見えた。
彼にはそれだけで充分だったのだ。

……どこかで、銃声がした。
かくん、と頭が勝手に下がるのに気付き、クリップは自意識を取り戻す。
「ア?何だ」
「な、バカナー!?
 我がヒュプノ・コインの熟睡から自力で目覚グワーッ!?」
「ア?」
間近で喚く何者かを軽いバックナックルで打ち倒し、目をしばたたかせる。

「ああ」
暗い照明。
天井にはやる気の無いミラーボールが回り、
十人がけ程度のソファーでぎゅうぎゅう詰めとなった狭い部屋。
ビリダは思い出す。
エンシェントクラブ・クランの経営する場末のカラオケボックスだ。

ヤギを潰した後、この店に来て……そこからが曖昧だった。
ビリダはなるほど、と心中に呟く。
店自体が罠だったのだろう、
なんとかいうサンシタがもがく床をつぶさに見れば、
妖しげな紋様が描かれているのが解った。
恐らくそのモージョーは店の床全体に張り巡らされ、
何らかのジツを補強する役割を持っているのだ。

「で、お前は…ええと、サイレンサー=サン?」
「グワーッ!!」
這いずってその場を脱しようとしていたニンジャ、
サイレンサーの背中を踏み、逃がさない。
「カニのテッポダマか。お前、ここで死ぬってことでいいか?」

さっきの銃声はミノガだ。
(助けられちまったか)
ニンジャ、クリップとしては屈辱的であるが、
ヤクザ、ビリダ・モギムラとしてはそうでもない。
といって100%の感謝を抱くでもない。
相棒へのソンケイは複雑である。

ビリダは微妙な表情を浮かべ、斜め上を見る。
特に何か見るでもない。
そしてその顔のまま、
前触れなく右足でサイレンサーの背骨を踏み砕いた。

待ち伏せされたことは明白だった。
店を出て、クリップは街灯の下にミノガを見つける。
ヤクザ御用達のチャカ・ガンからする硝煙の匂いが、
彼のニンジャ嗅覚を惹き付けた。
「ドーモ」
「世話かけさせる。ニンジャだろうがお前」

ミノガは普段通りの無表情で目をくれ、ビリダも受け合う。
「俺がやられてるってのは、どう?」
「戻りが遅ぇ。
 で、お前がカラテで負けてるところは見たことが無い。
 なら、何かハメられてんだろ。そうでなきゃ、どっちみち終いだ」
「実際助かりましたよ」

ビリダが抱くミノガへのソンケイ同様、
ミノガからビリダへのソンケイもまた、一様ではない。
親愛や単なるユウジョウでは括れないものが、この二者にはあった。
「じゃ、カニ食うか」

荒れた十代をネオサイタマで過ごし、
サラリマンにもパンクスにもブラックメタリストにもならなかったビリダ・モギムラ。
ふらふらと生きていたが、ある日同年代のヒョットコ崩れ達に囲んで棒で叩かれ、瀕死の重傷を負った。

理由はあったか? 無いだろう。
ただ単に暴力の対象として選ばれた結果だ。
生まれつき体格の良かったビリダだったが、多勢に無勢。
あわやネギトロというところで彼を救ったものが二つあった。
一つは、暴走ヤクザトレーラー。
もう一つは、名も知らぬニンジャソウルだ。

トレーラーは冷凍されたオーガニック・トロマグロをツキジからどこかのヤクザに届ける途中、何故かハイウェイから転落したものであり、彼を囲んでいたヒョットコを轢いて皆殺しにした。
ニンジャソウルは、ヒョットコと共に轢き殺されかけていた彼に宿り、
その窮地から脅威の身体能力で逃れさせた。

ビリダは単純な男だ。
トレーラーを調べ、
ニンジャの速度で走り、その日のうちにヤクザとなった。
ライトニングヒポポタマス・ヤクザクランの新入りとして。
運命?そんなものは考えたこともない。
そうするのが自然だと感じた、それだけだった。

その時点で既に、ミノガは所謂若頭というものの一人だった。
当初ビリダにはサガチというグレーターヤクザが教育係として当たり、
程なくしてギブアップ。
ビリダがニンジャだからだ。
数人が入れ替わった。
そうして同じシーケンスを繰り返した後で宛がわれたのが、ミノガだった。
この組み合わせを考えたのはオヤブンだったが、
他の若頭からは反対意見も多かった。
二人の気性の不一致を懸念してのことだ。

が、これがハマった。
多くを告げず最短最適の行動を指示するミノガに、
直線的かつ災厄的なビリダの実行。
金と黒の二人はいつしかムーンクラスタの内部トラブルのみならず、
対外ヤクザ戦力として重要なポジションを占めるようになっていた。

かの巨大組織、
ソウカイ・シンジゲートとの折衝に参加したのもこの二人でだった。
単純に見れば最強のニンジャを見せることでの示威だが、
実際テッポダマのようなものでもある。
流石のビリダも、
トコロザワ近くの料亭でニョタイモリに興じるラオモト・カンを見た時は震えたものだった。

そのような状況であっても、ミノガは汗一つ流さず、
ソウカイニンジャから渡された杯を水平に掲げていた。
ソンケイも高まろうというものである。
だが、ミノガ・ガラシマは、若い。

殆どの活動をビリダに任せ、指示だけを送って殴り込みに参加もしない。
殆どの仕事中に新聞か週刊誌を広げ、カフェやオスモウバーで寛いで時を過ごす。
殆どの時間、何かしらの違法薬物を葉巻でミックスして吸い続けている……。
よく若頭を拝命できたものだと、
ビリダは不思議な気持ちで見ること頻りであった。

厄介払いを受けたのはミノガか、ビリダか。
恐らく両方だったのだろう。
うまくハマったのはたまたまだったが、
結果的にそれはレンゴウ内でのカバの地位向上に寄与した。
クランの規模は増大し、
レンゴウ最大のルナティックラビットにも迫るほどとなったのだ。

だが。
ビリダはエンシェントクラブの事務所を前に、ぼんやりと思う。
(それが原因だったのかもしれねえな)
見上げたビル壁面には手足を動かしこちらを威嚇する、
巨大なカニの映像が投射されている。

そのメガデモからクリップは感じ取る。
月のカニが怯えていることを。
目前に迫る金と黒の二人などではない、
もっと大いなる敵に対しての、圧倒的恐怖。
(アマクダリ……)
「クリップ。何考えてる」

隣に立ったミノガが、珍しくビリダの顔を見ながら言う。
「アマクダリ・セクトか」
「……ハイ」
「同じか。俺もだ」
「勝ち目あるんすか」
「調べからすると、無理だな」
「だがやる。でしょ」
「そうだ。やれ」

「死にますよ」
「もう死んだ、カバはな」
「ケジメ……復讐ですか」
「くだらねえ」
ミノガが視線を切り、前を見る。
「気に入らねえものをぶちのめす。俺はヤクザ。それだけだろ、お前も」

「ハイ」
彼にとって、納得しかない回答。
押し問答するつもりは毛頭無い。
ビリダは歩き、強く右足を踏みしめ、何mもの高さに飛び上がり、前方ビル壁面の巨大ガニ目掛け、ニンジャの脚力でトビゲリを繰り出した。

(やるしかねえ。それは……どっちの意味でなんだろうな)
血に塗れたカバの哭く部屋で見たミノガの涙が、ビリダの心中を再び過る。
だからといって、やることに変わりはないのだ。


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バブルホース、ジャイアントチョップ、シェルクラブ。
先のサイレンサーも合わせれば四人ものニンジャ。
エンシェントクラブ・ヤクザクランはレンゴウの中でも武闘派と知っていたが、これ程の人数が待ち受けているとは。

捩り切ったジャイアントチョップのサイバネ腕を振り、
纏わり付いたバブルホースの血と内臓を払う。
が、ジツによって強酸化した体液は巨大なカニバサミを容赦無く蝕んでおり、これ以上の鈍器としての利用は難しそうに見えた。
ならば、とクリップは回廊の先を見据える。

大ハサミを無造作に持ち上げると、
シェルクラブの連続メイアルーア・ジ・コンパッソを受けた背中が軋んだ。
だがクリップは、
その痛みをバネにするかのように、力強く大ハサミを投げた。
「イヤーッ!!」
「「グワーッ!!?」」
ワザマエ。
クリップの投擲したハサミ腕には関節部が存在し、途中で折れる構造であった。

それをブーメランめいて用い、
緩やかに湾曲した回廊の先に控えた未だ見えざる敵を薙ぎ倒したのだ。
声からして、クローンヤクザ部隊。
クリップはエンシェントクラブの戦力を再評価する。
既に6ダース以上のクローンヤクザ。
尋常の数ではない。

クリップらを打倒する為にルナティックラビットの支援を受けていると考えても、多い。
クリップは確信する。
(とっくにツルんでたってわけか)
アマクダリ・セクト。
その組織の名をよく聞くようになったのは、ごく最近だ。

ソウカイヤが滅び、裏社会の秩序が乱れた時。
ムーンクラスタ・レンゴウも少なからず痛手を受けた。
混乱するネオサイタマの闇に忍び寄ったキョートのニンジャ組織、
ザイバツ・シャドーギルド。
手練れだらけだった。
レンゴウのニンジャも大勢死んだが、何とか守りきることはできた。

動乱を制し、ようやく他を顧みる余裕ができた頃、
初めてその名前がビリダの耳に入った。
天から下るというネーミングには不遜さを、
セクトという位置付けには不穏さを感じ、
いちヤクザであるビリダの眉をしかめさせる。

その印象は間違っていなかったのだ。
ビリダ・モギムラは思う。
奴らはヤクザではない。
ただのニンジャ組織でもない。
ミノガは言っていた。
具体的なことは何もわからないが、そのわからなさこそが本質かもしれん、と。

それが、あっという間にこの様だ。
興隆がいつだったのかすら定かでないアマクダリ・セクトは、
一年足らずでネオサイタマに蔓延るようになっていた。
噂ではソウカイヤの後進であり、その残党が母体となったのだという。

ラオモトというカリスマを失った者達が一つ所に集う?
にわかには信じられなかったが、
ビリダがそれ以上の不審を抱く間も無く、
ライトニングヒポポタマスを取り巻く状況は悪化していった。
手遅れ、とミノガは言ったか。
このカニの武力を見ればワカル。

連中が複数のメガコーポと繋がっているのは確か。
だが不気味だった。
オムラ・インダストリやヨロシサン製薬をはじめとする暗黒メガコーポとソウカイヤの関係は、必ずしも一対一のWin-Winではなかった筈。

ゴキゴキと首を鳴らし、ビリダは回廊を往く。
ミノガを通じて知る限り、メガコーポは常に狡猾に主導権を争っている。
アマクダリに協力した結果、
ソウカイヤ支配と同じ轍を踏む危険性が見えない筈も無い。

何かがそこにあるのだ。
そしてもしかしたら、それこそが秘密結社アマクダリ・セクトの喉笛に食らいつく手がかりなのかもしれない。
クリップは静かに奥歯を軋ませる。
なら、やるだけだ。

……ビリダ・モギムラは単純な男だ。
その直線的な思考が故に暴走することも多い。
だが今、彼はその思考故に、アマクダリに敵する者の中で極めて早く、最も正確な形でその正体に接近しつつあった。

回廊から外れた幅広な渡り廊下の先、目的の組長室。
バイオパイン製のシックな両開きの扉がクリップを迎える。
「ザッッッケンナコラーッ!!」
一蹴りで、蹴り開ける。怒号と共に。

そこにいたのは、
エンシェントクラブのオヤブン、ギモリ・ヨベ……ではない。
ビリダの知らぬ人物だった。
顔の上半分を覆う仮面が目に飛び込んでくる。
それがメンポであることに気付いた一瞬後、
クリップのニューロンは今だかつて無い程に加速していた。

 来る。
 正真正銘、真っ向正面からの攻撃。
 それがアンブッシュとして成立する。
 驚異的速度の一撃。イアイドか。
 だがカタナは。細い。見切れぬ。
 斬撃ではない。突き。
 横は。確かめる暇は無い。
 下がれ!

クリップは気付けば二連続でバックフリップを打っていた。
一度目のフリップでヤクザガウンを脱ぎ捨て囮に、
二度目で大きく跳び下がる。
すぐさま姿勢を戻し、カラテを構えた。
心臓が聞いたことの無い速度を刻む。
紅く染まる視界に、切り刻まれたガウンの羽毛が散っている。

「確かに、並の使い手ではないようだ」
ヒュンヒュンと甲高い風切り音が、ビリダの背をざわつかせる。
男が得物を振るう音だ。
「あちらをアクシスに任せて正解だったな」
クリップは見る。見える。
眼はやられていない。眉間が薄く割かれただけだ。

ハーフメンポの伊達男は針のような刺突剣の切っ先をビリダに向け、
言い放った。
「ハジメマシテ、クリップ=サン。
 スワッシュバックラーです。
 アマクダリ・セクトより、貴殿を殺しにつかまつった」
「そうかよ」
室内の空気が凝り、歪む。

恐るべき殺気が、それだけでビリダを殺しにかかっていた。
ここで死ぬか?
クリップは自問し、自答する。
「やってみやがれ。ドーモ、クリップです」


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ミノガ・ガラシマは最後の銃弾を撃ち終える。
簡単な仕事だ。
クリップの襲撃から逃れようと出てきた腰抜けを、一人ずつ撃っていく。
だが流石に数が多かった。
空のマガジンを放り捨て、
スクラップを積んだ簡易バリケードから這い出る。

エンシェントクラブ、ビル前駐車場。
ミノガは表情を変えず歩み出た。
彼に撃ち倒されたカニのヤクザらの落とし物を拾う。
ドス・ダガー、ヤクザオート銃、チャカ・ガン……。
これまでそうしてきたように、ミノガはそれらを検分する。

そうして彼は、その中に見慣れない自動小銃を見出だす。
製造元は、オナタカミ。On-A-Takami。
「これか」
低く呟き、
そこらに倒れたヤクザへ銃口を向けると、躊躇いなくトリガを引く。

果たして、弾は出なかった。
『指紋認証、未登録コードを検出。ロックするドスエ』
不快な手応えに答えるように、
銃がオイランドロイド音声でエラーを知らせる。
人殺しの武器には過ぎた機能だ。
「アカチャンめいた話だな」

ミノガは思案する。
クリップがいつ戻るか、ではない。
自身の独白に、想起するものがあったのだ。

人は皆、赤子からスタートする。
だがそのスタート地点に何があるかは、千差万別だ。
その点、ミノガは恵まれた環境に生まれたと言ってよかろう。
衣食住、遊び、学び、ブディズム、道徳。

頭の良い子供だった。
経験をすぐ吸収することに長け、
他に無い発想を導き出す術を知っていた。
所謂神童という奴だ。
その才能が発揮されれば、
ネオサイタマの先端技術を更に押し進めるような、
歴史的科学者にでもなっていたかもしれない。

だがそうはならなかった。
成人したミノガは、ヤクザとなったのだ。
職業選択の自由があるネオサイタマで、
明らかに無謀な道を選び取った彼を、
しかし責めるものは周囲に一人としていなかった。
何故なら彼は、ゴダラ・ガラシマの一人息子だったからだ。

ライトニングヒポポタマス・ヤクザクラン。
その跡取り。
ミノガ・ガラシマは、
ヤクザクランに生き、ヤクザクランで育った、生粋のヤクザだった。
そうありたかったのだ。

電子戦争で妻と子を失った父ゴダラは、
後妻として入った女との子供を著しく大切に扱った。
カチグミ相当の高い教育を施し、
父子の触れ合いも欠かすこと無く、跡目として育てようとさえしなかった。

母はアッパーガイオンから移り住んだキョート人であり、
環境の変化に適応しきれずミノガが12の時分に死んだが、
その奥ゆかしさはミノガに一人前の男としての品格を備えさせた。
総合的に見て、良い両親であったと言えるだろう。

ミノガはヤクザにならなくても良い筈だった。
恩義を背負いながら家と縁を切り、
教養と頭脳を武器に貪婪の街ネオサイタマに漕ぎ出でることもできた。
父も、それを望んでいるかのようだった。
彼の自由を縛る者はいなかった。
だが今、彼はヤクザなのだ。

……オナタカミ製自動小銃を背負う。
未発売製品の横流しである。
エンシェントクラブとアマクダリの関与を決定付ける証拠となるだろう。
ミノガは既に、アマクダリの手が及んだメガコーポを調べ上げてある。
オナタカミはオムラ破産前からアマクダリとの繋がりを持つ。

イッキ・ウチコワシが起こしたオムラ下請け企業の煽動で接触した形跡。
それに前後する時期、経歴不明の外部技術顧問の参画があり、
中小コーポであったオナタカミ社は急速に成り上がっていった。
旧オムラ技術者の再雇用によるIP吸収だけでは説明の付かない勢いで。

そこには必ずや、何らかの得体の知れない力が働いている。
アマクダリ・セクトがそれであるとすれば、奴らは一体何なのか。
その目的とするところをうっすらと察した時から、
ミノガの戦いは始まっていた。

そう、これはイクサだった。
組のシノギを半ば放棄してやっていたこと。
誰にも明かしてはいない。相棒にも。
全てはライトニングヒポポタマスを、
父の居場所を、変わりゆく世界から防護せんが為。
一人の男がアマクダリという組織を相手に挑む、孤独な暗闘だった。

誰も知らぬ。その筈だった。
ミノガ・ガラシマはその日、人生最大のショッギョ・ムッジョを実感した。

ライトニングヒポポタマスの組長室。
倒れたゴダラと他の若頭。
血で塗り潰されたカバの家紋。

定例会議の刻限に遅れたミノガを待っていた光景は、凄惨の一語に尽きた。
それでもミノガの頭脳は、即座に状況を分析し、
何が起こったのかを、冷静に把握しようとしていた。

皆殺しか。イレズミ背負ってんだ、そういうこともあるだろう。
それを受け入れるだけの度胸は、とうに身に付いている。
だが……ミノガは気付いてしまった。
一人、多い。

下半身だけが残った死体が一つ。
組員ではない。だがヤクザだ。
爆発物で焼け焦げたスーツの後ろポケットに、何かある。
乱暴に抜き取る。
ムーンクラスタ・レンゴウの同盟印と、ミノガ・ガラシマの顔写真。
ミノガは全てを悟った。
これは、自分を狙った襲撃だ。

……異変を知って、駆け込んできたクリップが吠える。
その時の自分の顔は、覚えていない。
声をかけて、共に飛び出す。
当然のようについてきたビリダ・モギムラという男が、
何を考えているのか、いないのか、知った事ではない。

怒れるヒポポタマスは、その稲妻の尾を裏切り者に向ける。
叩き潰す。
それが誰かなど、潰してから考えれば良い。
若きゴダラならそうしたであろうことを、やる。
自身の行動がもたらした結果が最悪であろうと、
立ち止まってなどいられなかった。

そうして今、ここまでやって来た。
クソッタレ裏切り野郎を潰す。
アマクダリ・セクトに対する。
その目的は……どうやら、概ね果たせそうであった。
「ああ、その銃はそこに置いていっていただきたい」

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事務所ビル正面ゲートに人影。
ミノガは反射的に銃を向け、トリガを引く。
収奪したチャカ・ガンから、三発の銃弾。
頭。喉。心臓。
反動を利用したリズミカルな射撃。

いずれ劣らぬ致命の弾丸。
だが、ヒュンヒュンと風が鳴いた後、
それらは切り裂かれて地面に落ち、KILLIN、KILLINと静かになる。
それが見えていたわけではない。
が、瞬時にミノガは察した。
「ニンジャか」
「いかにも」

洒落た風体の男は落ち着き払って言う。
「ミノガ・ガラシマ氏かな?
 お初にお目にかかる、スワッシュバックラーと申します」
 得物を納め、丁寧にオジギをするスワッシュバックラー。
「俺に用か、アマクダリ」

「ご明察だ。鬼謀と伝え聞くだけある」
「それで?」
質問からノータイムで、両足を狙って一発ずつ。
ミノガの放った銃弾はしかし、
僅かにブレたスワッシュバックラーの人影を透過する。
いずれもかわされたのだ。

ニンジャに銃は通用しない。そんなことはわかっている。
「用件はシンプルです。貴殿をスカウトしたい。承服願えますかな」
「断れば?」
言いながらもう一発。眉間。当たらない。

「さて、私にとっては作戦失敗。主に残念な報告をせねばならん」
スワッシュバックラーは大袈裟に腕を開き、溜め息をついてみせる。
芝居がかった野郎だが、イクサに身を置く者の風格がある。
ロウソク・ビフォア・ザ・ウィンドか。
ミノガは張り詰めた神経を意識した。

「こっちも一つ。クリップ、死んだか」
「どう思われますかな?」
ミノガの無表情の凝視を、スワッシュバックラーは涼やかに受けた。
その装束には目立った傷もない。
ミノガは導き出す。
「逃げたか」
「さて」

「殺すか」
「骨の折れることでしょうがね」
「カバと同じようにか」
「フム。ハタモトの私が参ったのは、その件への詫びでもある。
 こちらのクランが先走ったのです。
 故に、ギモリ殿にはケジメしていただいた次第」
「どうあれカバは死んだ。動かん事実だ」

「続ければよろしい。セクトが後押しいたす」
「やけに買うな」
 ミノガはチャカを捨て、ドス・ダガーを抜く。
 そして考え、導き出す。
 舌打ちと共に。

「なるほどな。強ち嘘でもないわけか。
 今、ウサギにもニンジャを送ってる。そうだろ」
スワッシュバックラーは答えず、やや口角を上げる。
「セクトが欲するもの。正確におわかりのようだ」
「俺達はブッダの掌の上か」

ミノガには見えた。
レンゴウは潰さず、戦力は削ぎ、
その上でオツキミを乗っ取る、アマクダリの戦略が。
俺達の暴走も計算のうちか?
ヤニとザゼンの決まった静かな怒りが、ミノガの内を駆け巡る。
「この街を想うならば、貴殿の取るべき道も知れる筈」

スワッシュバックラーが、歩み寄る。
「いかがかな?」
「フーッ……」
息をつく。
確かにカバは、レンゴウは残る。
残される。
再び外敵からオツキミを守った英雄として。
事実を隠蔽するアマクダリの傀儡として。

「貴殿らには、この地を護る責務があるのではないかな。
 このまま路傍で万人と同じく地に伏すか、
 セクトの一部となり永遠不変の天上に誘われるか。ご決断めされよ」
「人はニルヴァーナになど辿り着かん。
 ましてやヤクザではな。やれ、クリップ」

「ィィィイヤァァァーーーッッッッ!!!」
絶叫。
それは天から降り来た。
空を裂くカラテシャウト、豪雷の如し。
クリップ。ビリダ・モギムラ!
十階建てヤクザビルディング、屋上からのアンブッシュである!

「なんと、上か!」
スワッシュバックラーはしかし対応する!
クリップの叩き下ろすジャンピングカワラ割りチョップが触れるよりゼロコンマ1秒速く、しなやかにしゃがみこんで真横に回避。
パンキドー発祥のワーム・ムーヴメントにも似た動きを終えて立ち上がり、剣を構える!

KRAAAAAAAAAASH!!!!
カラテチョップが地面に直撃、爆発!
飛散したアスファルト片がスワッシュバックラーを襲うも、剣戟で撃墜!
やや遠いミノガは、防弾コーティングされたヤクザガウンでの飛礫防御が間に合う!
両者無傷、だが!
「ザッッッ…………ッケンナコラーッッ!!」

キアイを発し鬼気迫るクリップ。
グレーのスーツ装束は穴だらけ、かつ血みどろである。
その惨状を作り出した刺突剣を構え、
スワッシュバックラーが左右にステップする。
「先程は逃げの一手だったが。心境の変化かな?」

「閉所は分が悪いだろ、得物持ちがよ」
「敵の心配とは。その、言いにくいことだが、バカなのかね?」
「いいや、カバだよ俺は」
「何とも、愉快な男だな!」
言って、走り出すスワッシュバックラー。
ニンジャのイクサが始まった。
ミノガは下がり、
駐車場に停まったまだ生きているヤクザセダンに乗り込む。

如何に優れた頭脳を持ち、訓練された技術があろうと、
カラテ熟練者同士のニンジャ達が繰り広げるイクサの場では児戯にも等しい。
防弾ガラスとナノカーボン製装甲に守られたヤクザ仕様車の中は、
今のミノガにとって比較的安全な観覧席と言えた。

独り、走り去ることも今ならできた。
だがミノガはそうしなかった。
彼もまた、カバであり、バカだからだった。
しかもそのカバは、もう死んでいるのだ。
止まるわけがない。
「やっちまえ、ビリ=サン」
ミノガは、笑っていた。


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「イィーーヤヤヤヤヤ!!」
五連続の剣戟!
スワッシュバックラーの刺突剣は目にも止まらぬ速度で襲い、
クリップの防御を一手上回って肉を刺し貫く。
血飛沫が散り、降りしきる重金属酸性雨に混じる。

対し、クリップの反撃は間に合わない。
大振りなカラテパンチは必殺の勢いでスワッシュバックラーを掠めるが、それだけだ。
クリップに短打やワン・インチ・パンチのような最至近距離でのワザのマスタリーは無い。
体格を利用した長い手足での攻撃はリーチに優れるが、
敵の武器には及ばなかった。

「さあ、さあ、さあさあさあさあ!!」
再びスワッシュバックラー。
クリップを中心に円周上を走り、
遠心力を利用した連続回転斬りを繰り出す。
音速を超える切っ先はニンジャ動体視力をもってしても見切り難い。
「クソが! 全くやりやがる」

クリップの脳内をかつて対面した強者が過る。
ウサギの古強者、ブラッディアイ。
シノギの場で出会したソウカイ・シックスゲイツ、ソニックブーム。
レンゴウ総出で追い返すのがやっとだったザイバツの刺客、
ワイルドハントやインペイルメント、ジェミニシャドウ。

ブラッディアイは死んだ。
ソニックブームも、死んだと聞く。
ブラッディアイを殺したワイルドハントらはわからないが、
ザイバツは崩壊したらしい。
クリップが殺してきた人間やニンジャと同じく、皆死んで、消えてゆく。

そう、皆、生きるものはいつか死ぬのだ。
不死に近いニンジャとて、殺されれば死ぬ。
自分も同じ。
いや。
ビリダは思う。俺は違う。
俺はもう、あのトレーラーが落ちてきた時、死んでいたのだ。

古事記に記されし電光のカバの如く、
心臓を喪いながらも暴れ狂う災害となったのだと。
「イヤーッ!!」
正面を蹴り砕くヤクザキック。
両腕を振り回しラリアット。
飛び上がってのストンピング。
ハタモトの剣士には、いずれも通用しない。

クリップのカラテは、ほぼ見切られたと考えるべきだった。
その間に受けた傷は数えきれぬ。
致命部位は避けているが、限度はある。
スワッシュバックラーの隙を突き、必殺の一打を加えるしかない。
方法は……ある。

クリップはカラテを立て直し、スワッシュバックラーを見据える。
引いた左手を握り、開き、また握った。
「見事、クリップ=サン。稀有な頑丈さだ」
「そりゃドーモ」
「楽しませてくれる。が、私一人遊んでいるわけにもいかん」

「戻ってきてくれたこと、感謝する。
 殺すと宣言しておいて逃げられたものだから、実際バツが悪かった」
軽妙な口調を保ったまま、スワッシュバックラーも構え直す。
剣を持つ利き手を後ろに、弓を引き絞るような姿勢。

切っ先は一瞬たりともブレず、クリップの脳天を狙う。
「改めて。オタッシャデー」
スワッシュバックラーから放たれるキリングオーラが、何倍にも膨れ上がる。
常人ならニンジャリアリティショックによって心停止しかねない圧力!

だがクリップは下がらない。下がるわけがない!
彼は死せるカバなのだ。
下がるどころか!
「ム……!」
「イヤーッ!!」
先に仕掛ける!
しかも前傾姿勢、つんのめる寸前、狙われている頭部を無防備に晒した、突進の態勢で走り出す!

「覚悟したか!? ィィィ……」
猛然と迫り来るクリップを、油断無く迎えるスワッシュバックラー。
ぴたりと定めた剣先は揺らがぬ。
そしてキリキリと引き絞られた利き腕が、少しずつ静かになり……
ある一線を越え、解放される!
「イヤーーーッ!!!!」

一条の矢と化したスワッシュバックラーが、
猛進するカバの脳天を貫通し、死に至らしめんと射出される。
激突まで、一秒未満。
クリップとスワッシュバックラーの視線が、交錯する。
……ビリダ・モギムラは、笑っていた。

「!!」
仮面の剣士はそれを見た。
そこにあるのは死の覚悟ではなく、勝利への確信。
ただの突進ではない!
「ヌ……イヤーッ!!!」

放たれた矢が、ほどける!
なんたるワザマエ!
スワッシュバックラーは弾道ミサイルにも匹敵するカラテ速度へ到達した自身を、巧みな体さばきだけで減速、軌道を変えた!
クリップの突進を紙一重で避けながら横ざまに斬り伏せる形への転換を、
一瞬で行ったのである!

「ARRRRRRRRGHHHH!!!!」
笑い吼えるクリップ。
その横に滑り出るスワッシュバックラー。
カバの猛撃は外され、
怒れるその首を刈り取らんと、剣戟が振り下ろされる!
勝負あったか!?

否、否である!!
「これは!?」
斬撃が、止まる!
クリップとスワッシュバックラーの間に挟まる人影!
それは、おお、ゴウランガ……ヤクザである!?
ヤクザ!?一体何が!?

答えは単純であった。
スワッシュバックラーが軌道を変えた一瞬後、
クリップはミノガが殺し散らしていたヤクザの死体を、左手で掴み上げていた。
自身の巨体でそれを後ろ手に隠し、
すれ違いざまのスワッシュバックラーへ向けて一気に振り上げたのだ。
……それが何だというのか?

スワッシュバックラーの放った一閃はバイオバンブー数本を容易く斬り飛ばす程の強烈なもの。
哀れなヤクザ死体ごときで打ち合える筈もなし、
正に肉切り包丁で骨まで断つのコトワザそのままに、
クリップの太い首に達するに違いなかった。

だが、なんたることか!
ヤクザ死体の胴は切り別れるどころか、剣を食い込ませてさえいない!
有り得ざる現象である。
しかし、これはニンジャのイクサなのだ。
有り得ざる現象の一つや二つ、起こる!
(まさか……ムテキだと!?)

「クリッピング・ジツ!!スッッッッゾコラーーーッ!!!!」
振り上げられたヤクザ死体が、必殺の剣を弾き……
宙にあるスワッシュバックラーの全身ごと、撥ね飛ばす!
「ヌウゥゥーーーッ!!!」
甲高い金属音が、夜のオツキミに響き渡る!

弾き飛ばされたスワッシュバックラーは苦悶の表情を浮かべながら、
キリモミ回転で宙を舞う!
(秘したか、ジツを!この土壇場まで!)
然り。
衝撃の一瞬を経て、スワッシュバックラーは見抜いていた。 
クリップが用いたジツの正体を。

「シューーーッッ……受けやがった」
ヤクザ死体をブレーキにして停止したクリップが、
スワッシュバックラーを振り返る。
その目前、数センチ先のアスファルトに何かが落ち、刺さる。
細長い金属の棒。
折れたる刺突剣の切っ先であった。

ヤクザ死体と打ち合い、折り飛ばされたのだ。
クリップは左手に持つヤクザ死体の脚を手放し、それを抜き取る。
「細っこいのに何て硬さだ。テメエごとぶち砕くつもりがよ」
愚痴るように言いながら両手で持つと、膝を支点にもう一折り。

更に束ねて四つに折り分けた金属片を駐車場に転がし、腕を組むクリップ。
「だが大分スッキリした」
「それはチョージョー」
スワッシュバックラーが元の調子で受け合う。
「カタナは剣士の命のようなもの。
 フィニッシュムーブも退けられ、実際こちらの負けと言える」

「ア?逃げんのか」
 クリップが腕を解き、殺気とカラテを再充電にかかる。
「おっと!コワイことだ。いかにも、お暇させていただくがね」
伊達男は背筋を伸ばした見事な姿勢で立つ。
完全に構えを解いている。
チャンスか。いや。
クリップは剣士を見る。

「今しがた、無線で連絡があった。
 ルナティックラビット・ヤクザクラン。制圧完了とね」
「何……何だと?」
「そういうことだ。
 少々泥臭いが、良きカラテだったよ、クリップ=サン。
 では、カラダニキヲツケテネ」

一瞬で飛び退ったスワッシュバックラーが、
事務所ゲートを越えて見えなくなる。
と同時に、ビリダの眼前にヤクザセダンが走り込んだ。
ミノガだ。
防弾窓を下げ、顔を出す。
「ご苦労。カニはウサギにも犬送ってやがったようだ。
 通信傍受したが、ウサギも鍋にされた」
「ああ」

「つまり、俺を使う策は不採用。オツキミは奴らが直接取る」
「つまり?」
ビリダが静かに訊ねる。
答えが分かっている問いだった。
「乗れ」
ミノガが無表情で促す。

ビリダは無言で助手席にかけ、頷いた。
「よし」
そしてセダンは発進する。
金と黒、二人の最後のイクサの場へ。


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「直接ってのは?」
ハイウェイへ向かうルート1024の途上、ビリダが訊ねる。
「アマクダリの直轄域になる。
 管理は中枢か下部組織かわからん。アマクダリはアマクダリだ」
淡々とミノガが答える。

「セクトか。クソが」
「恐らく、まだ大きくなる。オツキミもその一つ」
「チクショウ」
「奴らはレンゴウを取り込むつもりだった。
 カニに騒がせてな。だがそれはもう無い」
「俺ら暴れたからすか」

「結果的に、そうなった。んなこと考える余裕、あったか?」
目を細めるミノガ。
ビリダもまた、フロントガラスの向こうを遠い目で見る。
「で、どこへ?」
「オツキミ・ジャンクション地下」

交差点が近付く。
ビリダは赤信号を睨んだ。
ミノガはハンドルを握ったまま、ほんの数秒だけ、目を閉じる。
そのまま止まらず、突っ切る。
後方からヤクザクラクションの嵐。
「ニンジャになる時、トレーラーに轢かれかけたんすよね、俺」

「知ってる」
「話したこと、ありましたかね」
高速で横に流れる色とりどりのネオン看板が、
金と黒の二人を忙しく照らす。
ストリートの喧騒が、酷く遠い。
いや、元々遠いのだ。
「ああ、ノウカイの度にな」
むしろ今、近付いて意識できるようになった。

「地下に何があるんです」
「見りゃわかる」
やがて、道の先に高架道路が見えてくる。
ハイウェイ、そしてオツキミ・ジャンクション。
登りの傾斜に乗れば、ネオサイタマのどこにでも行けるだろう。
だが男たちは、何処にも行かない自由を選択していた。

ハンドルを切り、下りのスロープへ。
ゆっくりと左に、弧を描き降りていく。
途中、立ち入り禁止のカンバンを付けたフェンス壁。
突き破り、オツキミに慣れたビリダも知らぬ場所へ進む。
「あのニンポ。もうバレただろ」
「ハイ」

クリッピング・ジツ。
クリップが有する、ニンジャの力。
掴んだものを「固定」する強力な力だが、
ムテキ・アティチュードの一種であり、使用には極度の集中を必要とする。
カラテの消費も著しく、タネが割れれば対応されやすい。
故にこれまで、ミノガの指示で使用を控えていたが。

「隠すな。使ってけ」
「ハイ」
ビリダは小指から順に拳を折り畳み、みしりと握りこむ。
「固定」したものは手を離さぬ限りムテキに覆われる。
絶対防御であり、堅固な武器にもなる。
だが指一本でも離れればダメだ。

掴むものが何かは問わないが、サイズには限界がある。
クリップ自身のカラテを用いる以上カラテ保存則が働く。
クリップのカラテでは、人間大が限度だ。
加えて、持続できるのは五秒程。
カラテ再充填に要する時間も長く、リスクが大きい。

スワッシュバックラーとのイクサは薄氷を踏むがごときものであった。
奥の手のジツを使ってなお、勝ったとは到底言えぬ結果。
クリップは遂に一打もスワッシュバックラー本人にカラテを見舞うことかなわず。
あのような強者がまだいるなら、厳しいことになろう。

道は少しずつ幅広になり、次第に開けた空間が顕になってきた。
連続していた天井照明が、
いつのものか分からないような弱々しいものから、
何か未来的な意匠の落ち着いた明かりに変わっていく。

ビリダは得体の知れないものを感じた。
何か巨大な焦燥感があった。
尋常なアトモスフィアではない。
「何なんすか、ここは」
「知らん」
ミノガもまた、鋭い目で周囲を見ながら、注意深く運転を続ける。
「だが、推測はしてきた。……あれだ」

空間の突き当たり、
重機搬出用と思しき大型のゲートと、
人間用の一般的な片開きのドアがある。
「降りるぞ、クリップ」
「ハイ」
ヤクザセダンを降り、ミノガとビリダは近付く。

ドア脇にはキーパネルがあり、赤色のデジタル数字が踊っている。
この空間を照らす明かりが既に証明していたことではあったが、電気が通っている。
生きているのだ、この施設は。
「マジでなんなんだ」
「中継局」

ミノガがぽつりと呟き、パネルに手を触れる。
「ア?中継?」
「そうだ。電子戦争以前のな」
淀みなく押す。0293。オツキミを示すコードナンバー。

ミノガの所作を、ビリダが不気味そうに眺めた。
「わかるんすかコレ」
「ムーンクラスタ・レンゴウは、
 元々こいつを守護する役目を与えられたグループだった」
「ア?ヤクザじゃなかったんすか」
「メガコーポの傭兵がヤクザを装ったのが始まりだそうだ。隠蔽だな」

ミノガは懐からムーンクラスタ・レンゴウの同盟印章と、
ライトニングヒホポタマス・ヤクザクランのバッジを取り出すと、
パネルの前に翳す。
ストココココ……どこからかUNIXの計算音が聴こえてくる。
ミノガは目を閉じ、ビリダは見開いた。
ドアのロックが外れ、ひとりでに動き出したのだ。

「オヤブン……いや、オヤジは、更に元々ヤクザだった。
 ヤクザが傭兵になって、またヤクザだ。笑ったろうな」
「あの人が傭兵? 似合わねえ」
ビリダが笑い飛ばす。
「俺も、話聞いた時は笑った。人間、結局元に戻る」

ミノガが静かに歩き出し、背を屈めたビリダが後に続く。
「つまり、ここのことは知ってたんすね。ミノガ=サンも、オヤブンも」
「何かがあることはな。後は調べて、推測だ」

二人はドアを潜り、遂にそれを見る。
「どうやら、当たりか」
そこには地下空間を圧倒する、
バイオダイオウイカめいた巨大構造物があった。
白銀に艶めく無数の足が、所狭しと空間の隅々にまでのたくっている。
怪物は三重の大トリイを背負い、
やや小振りな、それでも相応に大きい箱を抱えていた。

「……見てもわからねえ」
「イカのオバケさ」
ミノガは特に説明しない。
クリップには必要の無い話だ。
「要はLANだ。足はケーブル。箱はUNIX 。トリイは無線。壊すなよ」
「ハイ。てっきりぶち壊すのかと」
「ある意味そうだ。ハッキングする」

ミノガの推測は的を射ていた。
この施設こそは、
T1回線ケーブルネオサイタマ総合中継局『オツキミ・ジャンクション』。
旧世紀においてインフラの要となったものの一つ。
メガトリイ社と協賛コーポが秘匿せんと画策した、
かつての都市大動脈、その物理アドレスであった。

「アー……」
ビリダは解れた髪に手を突っ込み、ガリガリと掻く。
思い至った可能性に、沸き立つ怒りを抑えるように。
「まさか、もしかして、アマクダリどもは、こいつを?」
「ああ。オツキミは、ついでだ」

ミノガは平坦に答える。
無感動故ではない。
その怒りが、ここまでの彼の原動力だった。
「奴らは、これを取りに来る。
 そろそろだろう。存外長い。ウサギは良く耐えたな」
「ああ。聴こえてきてる」

クリップの耳は、この場所へ降りてくるクルマの走行音を複数捉えていた。
「アンタを守る。それでいいんだな、ミノガ=サン」
「頼んだ」
ビリダは背を向け、ドアから出る。
ミノガはUNIXを目指して急ぐ。

どちらも、何も言わなかった。
金と黒の二人は、互いにわかっているのだ。
ここが、カバの眠る地となるだろうことを。


 -----


広々とした地下空間は大挙する戦闘ワゴン車の群れで埋め尽くされ、
先程までの穏やかかつ冷えきった空気から一転、
一触即発のアトモスフィアに満たされていた。

「ぞろぞろと押し寄せやがる」
ビリダは呟き、三方からにじり寄る者たちを注視する。
「ドーモ、クリップ=サン。
 我々はアマクダリ・セクト。私はアンプラグドです」
「サンドストームです」
「グリーンシックルです」

「ドーモ。アマクダリ・“ウゴノシュ”・セクト=サン」
ニンジャらは答えない。
クリップの行動を牽制しつつ、ワゴンへ向けて指示。
排出されたクローンヤクザが動き、一斉に射撃態勢を整える。
対ニンジャに有効とされるサンダンウチ・タクティクスに則った、水も漏らさぬ陣形。

クリップは欠伸を噛み殺す。
軽い背伸びの後、屈伸。
左腕を肩からぐるぐると回し、手を握る。
開く。握る。
音が聴こえそうなほど、強く。
ビリダは自問した。
ここで死ぬか?

答えず、クリップは目を見開き、叫んだ!
「ライトニングヒポポタマス・ヤクザクラン!
 ビリダ・モギムラ!!イヤーッ!!!」
「「イヤーッ!」」
左からサンドストーム、右からグリーンシックル。
クリップは大音声と共に真っ直ぐに駆け、挟撃を避ける。

当然、正面からの攻撃が待つ。
「イヤーッ!」
アンプラグド。傭兵ニンジャ。
クリップも知る相手だった。
アマクダリに雇われたか、それとも、この男も屈したのか。
圧力を受け、レンゴウを裏切ったカニのように。

アンプラグドのチェーン・ボーが頭上を襲う。
「イヤーッ!」
右腕を振り抜く。
ボーは弾いたが、弱い打撃だった。牽制だ。
アンプラグドは素早く飛び下がる。
「イヤーッ!!やれ!」

「ザッケンナコラーッ!!」
クローンヤクザ部隊の銃撃。
逃げ場の無い、面で押す制圧射撃。
一対多、多勢に無勢。
脳裏に閃くのは棒を持ち迫るヒョットコ達。
あの時のような助けは、もう無い。

ここで死ぬか?
繰り返し問うそれは、ビリダ自身の声だろうか、
それとも内なるニンジャソウルがざわめく音だったろうか。
「ARRRRRRRRGH!!!」
雄叫びでクリップは答える。
再び走り、右腕を、掴む!

「クリッピング・ジツ!」
自身の全身をムテキ!長くはもたぬ!
襲い来る弾丸の壁に突っ込み、飛び抜ける。
第一射を越え、第二射を破り、第三射を過ぎ……クリップは無傷!
そのままクローンヤクザ部隊に突撃、
掴んだ右腕を、イアイめいて解き放つ!

「「「グワーッ!!??」」」
長い腕の届く範囲、クローンヤクザの首が飛ぶ!
緑色の血液が一列に噴き出し、広間を染めた。
まるで美観地区に設えた噴水のイルミネーションのように、
その色は徐々に赤く変わる。
「いつ見ても嫌な色だぜ」

クリップはカラテを構え直し、短く飛ぶ。
足元を襲う、カラテシックルとでも呼ぶべき鎌状の武器。
空中で身体を捻り、掬い上げるようにキャッチ。
その回転の勢いを殺さず、後ろに投げ返す。
スリケン返しの要領だ。

「チィーッ!やる!」
「イヤーッ!」
舌打ちするグリーンシックルと思しき声。
そちらは見ず、突っ走る。
第四射到達の前にヤクザウェーブを越えんと。
だが突如、クリップの視界が遮られる。

何も見えぬ。
さながらアンテナの壊れたテレビ端末の如く、
白黒のモザイクで塗り潰され、光の向きもわからぬ。
「今だ、ブラックボイス=サン!!」
アンプラグドの指示が飛ぶ。
狙い通りか。しかも、まだニンジャがいた。
シツレイか?いや、彼らが交わしたのは集団アイサツ!

この視界は恐らく、サンドストームとやらの仕業だろう。
視界をジャックする恐るべきジツ。
既にクリッピング・ジツは使ってしまった。
再充電の隙を得ねば。
それ以前に、ブラックボイスなるニンジャは何を。
後手に回るか!

「SSSHHHHHHHHHH!!!!」
 KABOOOOM!
「「アバーーーッ!!?」」
「グワーッ!!」
クローンヤクザをも巻き込んだ衝撃が、クリップの全身を打ち付ける。
同時に来る浮遊感。跳ね上げられた。
視界は未だノイズに沈む!

クローンヤクザ部隊を囮に誘い込み、前後不覚に陥れて一気に畳み掛ける。
サンダンウチなど前提に過ぎぬ。
三次元的に孤立したこの状態は、遥かに無慈悲であった。
身動きの取れない空中で、
クリップは迫り来るチェーン・ボーとカラテシックルを感じる。

ニンジャソウル感知能に乏しいクリップは、五感に全てを集中させた。
背を狙うシックルは、ダメだ。
心臓に当たらぬことを祈る。
代わりに。
「イヤーッ!!」
前方のボーを、止める。

「何!?」
見よ!
クリップは頭頂を破砕せんと投げられたボーの先端を、
両の拳で挟み込み、カラテを完全相殺している!
ヤクザである彼が無意識の内に見出だした、
シラハドリ・アーツの亜種とも言える決死のアティチュードである!

充分な回転から産み出したカラテ遠心力を乗せる一撃は、
アンプラグドにとってのヒサツ・ワザであった。
この回避は想定外!
故に、彼の行動には一瞬の隙が生じた。
クリップは見逃さない。
「ィィィイヤァァァーーーッ!!」

背を抉る鎌を意識から跳ね退け、掴んだボーを、引く!
「ヌ……グワーッ!!?」
腰を落とし踏ん張ろうとしたのが仇となり、
一気に引っ張り上げられるアンプラグド。
危地を悟りボーを手放したが、その身はクリップ同様空中にて無防備。

空間の天井は高く、
叩き付けられる可能性こそないが、地上復帰までは何もできぬ!
その間にクリップは落下する。
「イヤーッ!!イヤーッ!!」
着地間際チェーン・ボーをがむしゃらに振り回し、
見えぬままに周囲を威嚇。
そこで、不意に視界が立ち戻った。

クローンヤクザ部隊は残存。
離れた位置にニンジャ二人、サンドストームとグリーンシックル。
サンドストームの目鼻からは夥しい出血。
ジツのフィードバックか。
暫くは使えまい。
一方グリーンシックルは未だ無傷、両手に鎌を構える。

アンプラグドは空だ。
ではブラックボイスは?
「「「スッゾコラーッ!!」」」
見つける間も無く、クローンヤクザ第四射。
数が減れば恐るるに足りず。
射線を見切り、チェーン・ボーを振り回して迎撃。

それでも全ての弾丸はかわせぬ。
クリップが取るべき行動は。
クローンヤクザ部隊を殲滅するか。
チェーン・ボーを最大伸長、サンドストームの脳天を叩き殺すか。
アンプラグドへと飛び付き、
暗黒カラテ奥義、アラバマオトシでも試みるか。

敵それぞれの脅威度は、先のスワッシュバックラーに及ぶべくもない。
だがこのイクサは、ヤクザ抗争やニンジャ同士の決闘とは違う。
複数のニンジャを相手にしたことはあったが、
クリップはそれらとの明確な差を……
イクサの中に紛れる非人間的なアトモスフィアを感じていた。

それが、クリップの判断力を鈍らせる。
「SSSSSHHHHHHHHHHH!!!!」
 KABOOOM!KABOOOOOOM!!
なんの前触れもなく悲鳴めいたシャウトが響き、
不可視のショックウェーブが発生、空気を裂いてクリップを直撃!
「グワーッ!!チクショウ!」

咄嗟に防御し、地面に踏み留まる。
クリップは見た。
戦闘ワゴン車後方より身を乗り出した黒装束ニンジャを。
奴がブラックボイス。
ダメージは小さいが、不可避の衝撃。
危険だ、しかしやや遠い。

ミノガから離れすぎる訳には。
アブハチトラズ。
考えている間にも、カラテシックルが飛ぶ。
向き直った直後、ヤクザ第五射の音。
吐血しながら指で印を組むサンドストーム。
更には空中で姿勢を取り戻したアンプラグドが……

時間が、泥めいて鈍化する。
クリップはまたも叫んだ。
最早理性が追い付ける段階ではなかった。
死せるカバの怒りに突き動かされたクリップは、
全てのカラテを完遂する。
せねばならない。
判断よりも速く、彼は動いた。

弾丸を投げたボーで散らし多くのクローンヤクザを殺した。
背の鎌を抜いて投げ、
スリケンボウガンを構えたアンプラグドの腕を斬り飛ばした。
掴んで投げ返した鎌はグリーンシックルへ。
それを追うように走り、サンドストームらに接近。

「イヤーッ!!」
白目をむき座るサンドストームに正面からのカラテパンチが突き刺さる直前、脇腹に衝撃。
飛び下がったグリーンシックルが投げた二本目。
深い。
内臓に届いたか。
構わず殴る。構わず、殴る。

「サヨナラ!!」
首骨が折れたサンドストームが爆発四散。
省みず、すぐさま近いグリーンシックルを追う。
胃から何かがせり上がる感覚。
血だろう。
だからといって、やることに変わりはない。
踏み込んでショートジャンプし、トビゲリ。

「イヤーッ!!!」
カラテシャウトに血が混じる。
「グワーッ!!」
クロス腕で防御するがたまらず吹き飛ぶグリーンシックル。
追撃のスリケン投擲。
「グワーッ!グワーッ!!グワーッ!!??」
一つ、二つ、三つ四つ五つ。

素早く投げた五発全てが、頭、脚、胴に命中。
勢いを増し、グリーンシックルはそのまま重機搬出ゲートに到達、叩き付けられる。
ゲート表面にヒビが走る程の衝撃。
「グワーーーッッ!!?サヨナラ!!」
全身の骨が砕き折られ、グリーンシックルは爆発四散した。

 KABOOOOM!KABOOOOM !
ザンシンしたクリップの左右からショックウェーブ。
即座にガードを……右腕が、上がらない。
「グワーッ!!」
間に合わず、衝撃が頭部を激しく揺さぶった。
右、脇腹か。

刺さった鎌から、何かが染み出す。
ドク・ジツの類だ。
見誤った。背中で受ける、では済まなかったわけだ。
恐るべき部隊だった。
スワッシュバックラーの報告を受けアマクダリが差し向けた、
クリップというニンジャを確実に殺す戦力。

「グワーッ!!」
クリップは衝撃に挟まれ、倒れて転がる。
辛うじて顔を上げれば、
地上復帰したアンプラグドが、スリケンボウガンを構えて走ってくる。
奴は両腕サイバネ。出血は無い。
クリップは立ち上がろうとして、血を吐いた。

力が入らなかった。
毒が回り、意識が朦朧とする。
それでいて、五感は異常にクリアだった。
(これは)
アンプラグドが見下ろしている。
スリケンボウガンが、クリップの頭に押し当てられる。
(おしまいか?)

「タフな男だったが、幕切れだ。
 サラバ、クリップ=サン」
アンプラグドはトリガを引く。
三連式のスリケンボウガンが、ボー・スリケンを無慈悲に射出する。
それはクリップの脳髄を破壊し、
一匹の哀れなカバを眠りに着かせるだろう。

眩んだ意識が、記憶を呼び起こす。
時が歩みを止め、遂には逆行する。
ソーマト・リコールと呼ばれる現象。
ビリダにとってはこれで二度目だ。
一度目は、彼がニンジャとなった夜。
ハイウェイから落ちるトレーラーを目にした時。

そう言えば、あの場所もハイウェイが近かった。
ビリダの想像が加速する。
ヒョットコ達は、どこから出てきた?
あんな人数が歩いていれば、レンゴウのヤクザが取り締まったはず。
隠れ家があったのかもしれない。
オツキミで、レンゴウが普段近付かない場所……。

まさか。
あれは、オツキミ・ジャンクションだったのか?
ヒョットコがビリダを囲んだのは隠れ家を守る為で、
その隠れ家が、ここだったのか?

ビリダは運命など信じない。
今想像したことが事実だったとしても、何も変わらない。
この回想が消えれば、スリケンに撃ち抜かれる。
全て終わり、ナムアミダブツ。
(スンマセン、ミノガ=サン)
だが、その時。

クリップの視界が、闇に包まれた。
一足早く、毒が彼に死の暗黒をもたらしたのか。
そうではなかった。
ビリダには、バツンという何かの音が聞こえていた。
次の一瞬で、その正体が判った。
照明だ。

光が戻った。
ほんの一瞬の暗転が起こしたことは、多くない。
アンプラグドがビリダから飛び退った。
ビリダは一瞬後の死を免れた。
ブラックボイスがワゴン車の影から顔を覗かせた。
それだけだった。

だがそれが大きな変化だったのだ。
ビリダを含め、
ニンジャ達が困惑に陥っているごく短い間を狙って、それは現れた。

ミノガ・ガラシマの操るメガトリイ社製大型装甲トレーラーが、
ヒビの入った重機搬出ゲートを、
内から突き破ってエントリーしたのである。


 -----


ミノガは、勿論気付いていた。
あの日、
ライトニングヒポポタマスにマグロを手配したのはミノガだからだ。
父の誕生日の祝いだった。
やけに配達が遅いとツキジの運送屋に連絡すれば、
転落事故で未達だという。
溜め息をついた所にあの男が現れたのだ。

(ビリダ・モギムラ。
 訳あって、こちらの世話になりたく参上した。
 俺はニンジャだ。
 オニイサン方の力になりてえ。マグロの手土産もあるんだ)
クランの誰もが、新手の発狂マニアックだと思ったろう。
だがミノガの直感は、そいつが100%本気であると告げていた。

この男は、ライトニングヒポポタマスに必要だ。
……ミノガはその直感を疑っていなかったが、
それだけで動く男でもなかった。
ビリダという男の素性を、行動の理由を調べた。
そして巡りめぐって、この場所の存在に辿り着いたのだ。

レンゴウが守るべき場所を人知れず占拠していたヒョットコ達。
そいつらにリンチを受け、死にかけたが、蘇った男。
男が死に瀕した状況。
そこからオツキミの真実に至ったミノガ。
インガオホー。

インガオホーというならば、
暴力を以て生きる自分達にはそれなりの末路が待っていて然るべきだろう。
だがミノガは思う。
ヤクザを救う為にヤクザとなったあの男には、
いくらか救いがあってもいいはずだ。
例え今、ここで死ぬのだとしても……。

「ザッケンナコラーーーーッッ!!」
 KRATOOOOOOOONNN!!!!!
メガトリイ社製大型装甲トレーラー!
それは車載大型UNIXシステムの運搬と完全なる保守を目的に産み出された旧世紀テクノロジーの遺児であり、T1回線中継局の核として埋め込まれた無敵のUNIX塊!

その質量は暴力であり、轢かれればニンジャと言えどネギトロ重点!
アンプラグドはその怪物の登場にいち早く反応する。
スリケンでの迎撃、カラテでの制止、いずれも困難。
左右にハンドルを切られる可能性も鑑み、真上に飛び逃れる。
轢殺回避!

だが飛び上がった空中で、アンプラグドは見た。
クリップが膝を突き、起き上がる様を。
何故動ける?それだけではない。
トレーラー運転席から投げ落とされた何かを、クリップがキャッチした。

ヤクザガンだった。
クリップが狙いをつける。
凝縮された時を、アンプラグドは感じた。
三連式のスリケンボウガンは一発の威力に乏しい。
デッカーガンに匹敵するヤクザガンの銃弾を防ぐ術は、無い。

BLAM!
放たれた弾丸は落下するアンプラグドの左胸に、吸い込まれるように飛ぶ。
アンプラグドは考える。何が敗因だった?
クリップを全力で包囲する作戦に、間違いは無かったはず。
結論が出る前に、重金属の銃弾は彼の心臓を突き破った。
「無念。サヨナラ!」

爆発四散するアンプラグドを見て、クリップはよろけた。
「クリッピング・ジツだ。無茶やらせるぜ」
その手は右膝を掴んでいた。
弾道の安定には、不足する腕の力を補強する必要があった。
発射の瞬間、自身をジツで固定し、砲台と成したのである。

充電されかかったカラテも、これでまた使い切った。
クリップは走る鋼鉄の怪物を見る。
形こそ違うが、トレーラーはトレーラーだ。
再び倒れながら呟く。
「ハハ……また、あんたのトレーラーに助けられたな」

「「「「「アバーッ!!!???」」」」」
オバケめいたクルマは、その場に残っていた者達を蹂躙した。
ワゴン車は薙ぎ倒されスクラップに。
クローンヤクザは発砲して抵抗するも、
怪物の皮膚に傷一つ付けられず、悉くネギトロと化していった。

ブラックボイスの姿はない。
アンプラグドの死を悟り、既に離脱したのか、
それとも鉄塊の餌食となったのか。
……クリップは知る由もなく、
死に物狂いでトレーラーを走らすミノガにも見えていなかったが、
答えは後者である。
彼は爆発四散済みだった。

ブラックボイスの変種ショックウェーブ・ジツ。
地続きであれば距離を問わず強力な衝撃を放つことができるが、
代償として地面に立ち地層と自身のニューロンを深くコネクトしなければならぬ。
ジツの連射に許された移動距離は短く、
バッファロー二頭分をも凌ぐ大質量の突撃を避けるには足りなかった。

広場を激震させるトレーラーの行進が止む。
後に残ったのは、倒れたままのクリップのみ。
トレーラーを降り、ビリダに近付くミノガ。
「動けるか、クリップ」
「ダメです」
「動け」
「無理です」

クリップが顔を上げ、ミノガを見る。
スーツはボロボロ、顔面の半分は傷だらけの血まみれ。
暴走トレーラーの手綱を握るのも楽ではなかったらしい。
「男前、上がったんじゃないすか」
「だろう」

ジョークに乗るミノガは珍しい。
ビリダは調子に乗って言葉を継ごうとするが、うまく頭が働かなかった。
「アー……」
ニンジャの強靭な肉体は、受けた毒を中和するのに手一杯になっている。
敵がいなくなったことで緊張が解けたのも合わさり、
猛烈な眠気が襲ってきた。

出し抜けに突っ伏すクリップ。
「オイ」
ミノガは駆け寄るが、すぐに聞こえた寝息に、溜め息をつく。
そして広場の出口方面を見やる。
「フーッ……」

乗ってきたヤクザセダンは無い。
回収されたのだろう。
トレーラーは幅、高さ共に通路をオーバー。
アマクダリのワゴン車は、そのトレーラーで自分が全滅させた。
ミノガはもう一度、溜め息をつく。

ビリダは2m超の巨漢である。
こいつをどこまで運ばなきゃならない?
その作業はミノガにとって、
アマクダリ撃退よりも深刻な難行であるように思われた。


 -----


ゆっくりと曲がる道を、金と黒の二人が行く。
ヤクザセダンで通った、オツキミ・ジャンクション地下への道。
今はミノガがビリダに肩を貸し、徒歩で地上に戻る。

ビリダは途中で意識を取り戻していたが、
実際歩くこともままならなかった。
毒が思った以上に強いのだ。
暫くは絶対安静だろう。
「スンマセン」
「貸しだ。何度も言わせるな」

「そういや、ハッキング。どうなったんすか」
クリップが不意に訊ねた。
「やるだけはやった」
ミノガは答える。
それが成功を意味しないことは、クリップにも察せられた。
「そうすか」

ミノガにできたことは多くない。
地下施設のシステム表層を操作することには漕ぎ着けたが、
それ以上はプロテクトが段違いに強く、手が付けられなかった。
更に車内モニタに広場の状況が映ってからは、
ビリダ救援の策を練る必要もあったのだ。

遠隔操作で照明を落とし、
ゲートを開きながら間髪入れずトレーラーで介入。
実際には、グリーンシックルの激突で異常を感知したゲートは開かず、
そのままトレーラーで突き破ることになったが。
お陰で要らぬ怪我を負うことになった。

「正直、死ぬかと」
「ああ。次を考えねえと」
ビリダが起きている分、少しは重さがマシになっていた。
ミノガはそこから連想する。
人間、生きている間は物じゃない。

死んでしまえばただのモノだ。
魂はもしかしたらあって、それはどっかに飛んでいくのかもしれん。
けれどそれは人間だった魂であって、今生きてる俺達とは違う。
だから俺達人間は、ニルヴァーナなんぞに辿り着かないんだ。

父の言葉だった。
特別印象に残っていたわけでもない。
だが、あのスワッシュバックラーという男の言葉で連想したのだ。
あのニンジャは、自身の語った言葉を本気で信じていただろうか?
ミノガにはわからなかった。

緩やかに弧を描く道が、終わりに差し掛かる。
古びた頼りない明かりが途切れ、
トンネルの向こうにネオサイタマの猥雑なネオン光が見えてくる。
ミノガは思考する。
これからのことを。

まず、アマクダリの追手をかわすだけでも困難だ。
当ては少ない。
ネオカブキチョが有力だったが、
ニチョームでの騒動を考えると避けるべきか。
どこも、いつ取り込まれるか判ったものではない。

オツキミ地下の再ハッキングには、ハッカーが必要だ。
それも特上の、ヤバイ級ハッカーが。
T1回線を欲するような組織、
そこに属するエンジニアやセキュリティに対抗できる程の人物など、
実在しているのか。
最早都市伝説レベルだ。

オナタカミやヨロシサンがバックに付いているなら、
そちら側からの攻め手もあり得る。
しかし単純に巨大。
破産前のオムラめいた無謀なプロジェクトを進めるメガコーポでもなし。
総じて、戦おうと思って戦える相手ではない。

辛うじて可能性があるとすれば、その巨大さを逆用する手だ。
アマクダリ・セクトの名の通り、
分割化が進めば疎密の偏りが生じるはず。
だがそれすら、問題箇所の切除だけで事足りてしまうかもしれない。

何か根本的な、決定的な一手が必要だ。
それは例えば、システム全体を揺るがし、
その隙に乗じて敵の中枢を単独で壊滅させうる、
悪魔のような、死神のような存在……。

ミノガは頭を振った。
そんな都合の良すぎる存在、居るわけがない。
考えねば。
かつては神童などと持て囃された程度の頭はあるのだから。
やれるだけのことは、やってやりたかった。

緩い上り坂が終わる。
ミノガは振った頭を上げて、前を見た。
逆光を浴びる、誰かがそこにいた。
 BLAM!

「ア……」
ミノガは、聡い男だった。
死ぬ寸前でさえ。
「ミノガ=サン!?」
ビリダの反応はニンジャにしては遅すぎたが、
誰がそれを責められただろう。
彼とて死の縁にあったのだから。

 BLAM!BLAM!!
「グワーッ!!」
逆光の誰かが撃つチャカ・ガンの銃弾は、
クリップの両胸に正確に飛び込んだ。
先に力を失ったミノガと共に、ビリダが倒れ込む。

倒れたことで、逆光が少し翳る。
ミノガは、その顔を見た。
涙を流し、二人に銃を向ける人物。
ナムサン。
それはミノガもよく知る、
ライトニングヒポポタマス・ヤクザクランの若者だった。

クラン襲撃の事実は、ミノガとビリダしか知らない。
カバを襲ったカニはアマクダリと繋がっており、
レンゴウ内の敵を粛清することで地位をアピールするつもりだった。
ミノガらが気付かぬところで、
彼らはカバ殺しのゲコクジョ者だと喧伝されていたのか。

故に。
この若者は涙しているのだ。
ヤクザにとって、オヤブンは親も同然。
それどころか、ミノガはゴダラ・ガラシマの実子なのだから。
二重の意味での親殺し。
信じられるわけがない。
「ウ……ウワーッ!!」

若者は銃を捨て、走り去った。
彼はどこへ行くだろう?
心臓から流れる血潮が冷え行くのを感じながら、ミノガは思う。
願わくば、裏切り者を誅したことを誇りに、クランを受け継いで欲しい。
きっとその為に、撃ったのだろうから。

すぐ隣で、ビリダが血を吐いた。
やはり、二人のカバはここで死ぬ。
二人が、そう直感していた通りに。
ミノガの目はとっくに霞み、何も見えない。
「ミノガ=サン……オヤブン……スンマセン……サヨナラ」

それが、クリップというニンジャの断末魔だった。
ミノガの目に強い光だけが映る。
爆発四散したのだ。
もう見えないが、
このクソッタレな世界から、跡形もなく消え去ったのだろう。

ミノガはふと思った。
ニンジャは人間ではない。
この世界に、その死の痕跡を残さない。
死んでもモノにならないのだ。
ならば、彼らは……ビリダは、ニルヴァーナに行けるのかもしれない。

何の気休めにもならない想像だった。
天上に迎えられるのだとして、何だというのか。
だがミノガには、もうそこまで考える力は残っていなかった。
気休めの想像が、
あの男の唯一の救いになっていてくれることを願うだけだ。

普段のシノギでは然程役に立たなかったが。
自身の生きる道を決めかねていたミノガにとって、
ヤクザに助けられ、
ヤクザになりたがったビリダ・モギムラという野郎の出現は、
救いだったのだから。

そうして、ミノガ・ガラシマは息を引き取った。
たった一人、
オツキミ・ジャンクション地下へ続く下り坂の、ほんの入り口で。
稲光のカバは、眠りについたのだ。


 【エピローグ】


「足労でしたな」
「まあな」
リムジンはオツキミ・ジャンクション地下を出て、
ストリートを通らずにそのままハイウェイに上がる。
車内には、運転手を除いて二人。
禿頭の巨漢と、その付き人らしき人物である。

「オツキミの者が、何かしたのでしょうか?」
「さて。違うようにも思うが。ま、レガシーな機構だ。
 時が経てば、そのようなこともままある。
 世に不滅というのは無いものだ」
「それを貴方が仰るか、スターゲイザー=サン」

禿頭の男の名は、スターゲイザー。
アマクダリ最高幹部の一人にして、オナタカミ社の特別技術顧問。
もう一方がその副官、パスファインダー。
いずれもニンジャである。

「アガメムノン=サンには何と?」
「正直に伝えるだけだ。
 オツキミ中継局は原因不明の障害により機能不全。
 T1回線は一部を除き利用不能、とな」
「復旧できる技術者がおりませんからな」
「まあ、俺が叱られれば済む話だ」
「ご冗談を」

ハイウェイ上空にはトリイラインが走り、
マグロツェッペリンがゆったりと回遊する。
ネオサイタマ。
この街は、常に明るく暗い。

「それに、得るものはあったからな。
 あのトレーラーは、オナタカミに改修させる」
「確かに堅牢な作りでしたが、お使いになられるのですか?」
「基地局が移動する必要は、もうない。使えるものは使うとしよう」
「なるほど、了解しました」

この街に生まれたものは、この街で消えてゆく。
それは人間、生物に限った話ではない。
ムーンクラスタ・レンゴウという連盟ヤクザ組織はその日滅び、
オツキミの地は無法地帯となった。

「しかしそうすると、セクトに抵抗したヤクザらというのは……」
「そもそも守り続けていたことからして、何の意味も無かった。
 ショッギョ・ムッジョというわけだ。同情する」

二人のヤクザのイクサは、後の世に何の影響も及ぼすことなく。
インガオホーはここで完結し、どこにも繋がる事はない。

「さて、俺はここらで降りるとする」
「クロームドルフィンの件ですな」
「ああ。オツキミの後始末は任せた。
 面倒だろうがな、パスファインダー=サン」

リムジンはハイウェイの向こうに走り去る。
アマクダリ・セクトという闇の結社にとって、
この界隈で起こった出来事など数多ある雑事の一つに過ぎない。

ネオサイタマの闇は、未だケオスの只中にある。
天より下りし力がその深い混沌の海を干上がらせ、
整然たる不毛の地へと変えていこうとしている。
ライトニングヒポポタマスの死骸は泥濘に沈み、
最早誰にも顧みられることは無いだろう。

だがそれでも、そのイクサは確かにあった。
灰色の街でたった二人、
暗澹たる未来を払拭せんが為に戦い、己の有り様を貫き通した男達がいた。

それはヤクザという枠組みを越え、人としてあるべき姿を選択した、
誇るべき尊厳、その証明であったのかもしれない。
故に読者諸氏よ、祈って欲しい。

彼らの行いがコトダマに乗り、
人に辿れぬニルヴァーナの地へと、届けられるよう。
眠れるカバに、安らぎあれ。

ナムアミダブツ。ナムアミダブツ……。

【ノーワン・リーチ・ニルヴァーナ 終わり】


◇本稿は小説「ニンジャスレイヤー」を題材とした二次創作小説です。
 「ニンジャスレイヤー」公式とは一切関わりありません。 
 

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