門松とシラス撒き

お正月といえばお節が頭に浮かぶかもしれない。私にとっては神様の拠り所になるという門前に立てる門松だ。都会で暮らすようになっても、松と輪飾だけは買ってきて立てるようにしている。

子供のころはまだ古い風習がいろいろと残っていた。学校が休みになる12月25日ごろから準備に取りかかるので、何でもやりたがりの私は、デカンのそばで手伝わさせてもらっていた。デカンとは住み込みの男の使用人のこと。私が小学生のころまでは、男女ともに住み込みがいる家だった。ちょうどこの文章中のころのデカンは、サトルさん。女中さんは、フミちゃんだった。サトルさんの仕事は、主に外の庭掃除や家畜の世話などだった。フミちゃんの仕事は、食事の支度や家の中の掃除などだった。

自給自足の家だったので、何もかも手作りだった。

納屋にむしろを敷いてしめ縄を作っているサトルさんの横で、私は縄をないやすいように木槌で藁を叩いて柔らかくするのを手伝った。サトルさんは暖簾のような形のしめ縄を作った。

翌日は城山という場所に、竹、松、ユズリハ、ウラジロなどを取りに行った。毎年のことだからどこにどの植物があるかは、ほぼ覚えていた。ウラジロがある辺りは日陰の林の中だから、その下を見ると蔓性の赤いイチゴが熟れている。頬張るととても美味しかった。

採取した植物を抱えていそいそと帰って、両脇の石門に門松を立てる。しめ縄の真ん中に橙をつけて、竹に吊るして立てた。ユズリハ、ウラジロを格好よくつけて門松の出来上がりだった。

立派な孟宗竹はいくらでもあるけれど、竹を斜めに切った門松を立てることはなかった。そのころは情報を得るのは新聞や雑誌だったが、こもで巻いた丸い樽の中に綺麗に切った松や3本の孟宗竹が立ててあるのをみて、立派だなとみほれたものだった。

私が育った都城盆地は、シラス台地だ。崩れそうにない畑から、サトルさんがシラスを取ってきて庭に撒いた。田舎の家だから庭は広い。庭がまるで雪が降ったようになるまで、隈なく撒いた。めったに雪の降らない地方だから、雪に見立てて撒くのだろうと思っていた。シラス撒きは、いつの間にかやらなくなった。

今の時代は便利だ。ネットで調べてみたら、今でも神社などで年越し行事としてシラスを撒くという。五穀豊穣や無病息災を願ってシラスを撒くのだそうだ。子供だった私は、雪が滅多に降らないので白くして清らかにするのだとばかり思っていた。

このエッセーを書いている外では、雪がしきりなく降っている。庭の木々にも白く積もった。横浜でもめったに雪が降ることはないけれど、故郷の都城盆地よりは降ることが多い。

私が小学生のころまでは、我が家には藪入りの風習が残っていた。1月16日になると親がやってきて年奉公の契約が結ばれるのだった。当時は、本人に給料が払われずに家の人に渡っていた。母は、サトルさんとフミちゃんに真新しい下着などを一式揃えて、年末に渡していた。木綿の真っ白が目に焼き付いている。私たち子供にも買ってくれた。大晦日の夜にお風呂に入って新しい下着に着替え、年越し蕎麦をいただいた。石臼でひいた蕎麦粉で、フミちゃんと年越し蕎麦を作った。

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