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Youtube感想文 Re:Hack 慶應義塾 伊藤学長編(後編)

視聴した動画

日経テレ東大学 Re:Hackについて

イェール大学 成田先生と2ch創始者 ひろゆき氏 急に喋れるようになったピラメキパンダ(一説によるとテレ東 高橋Pのクローン)の3人がMCを勤め、日本社会を牛耳るドン・黒幕・暗躍者をゲストに呼び、何の忖度もなく聞きたいことを聞く総合雑談番組。思いと意志と論理があるゲストは株を上げ、そうでないゲストは思いっきり株を下げる、ゲストにとっては恐ろしく見る方は最高に楽しいコンテンツです。これまで自民党 菅前総理をはじめとする大御所政治家やビッグダディーこと林下さんなど、広い領域からゲストを呼び、さまざまな雑談が繰り広げられています。

視聴した回の勝手な要約

慶応義塾大学 塾長である伊藤公平先生をゲストに招き、これからの日本の大学のあり方をさまざまな角度から雑談した回となります。特に、今後社会全体が萎んでいく日本において、そもそも大学が果たす役割や、大学の存在意義がどうあるべきかが主眼に置かれています。
例えば、大学の存在意義=研究機関としての機能とその研究機関に貢献する若い才能を育成することとすると、潤沢な資金や人的環境的資源が重要になります。
となると、その資金源が重要になるのですが、そこで議論になったのが、「お金をたくさん払えば、行きたい大学に入学できる」制度が悪なのかどうかということです。所謂、裏口入学の是非。私立大学法上、裏口入学は違法となります。また、伊藤塾長曰く公平な入試制度があるからこそ、学校法人に対する税制の優遇が認められているとのことでした。
成田先生・ひろゆきさんは、ガチガチに法に縛られた制度が資金繰りを悪くしていて、大学機能が果たせなくなっている可能性を指摘します。対比としてあげられた米国の大学では、裏口入学ではないが寄付金を払って入学できるような仕組みは実際存在しているし、また卒業生らの大学への寄付金も桁が日本の大学とは桁が二つ違うということでした。学生が世界中から集まる米国には才能も集まり、金も集まる米国の大学に対して、日本の大学は今後どう進んでいくのか?伊藤塾長が挙げられた今後への施策は、慶応の教訓である半学半教の推進でした。例えば、学生たちがコーチを務めるAIコンソーシアムのように、学生がただ教員から学ぶ場ではなく、学生が学生や付属校の学生に最先端の技術を教えていく、教員や大学は、その学生の活動をサポートするために研究を続けたり、プラットフォームを整備することに注力する活動が挙げられます。これを受けて成田先生から、「大学生を大学の既存制度から解き放ってあげる制度を作るのはどうか」という提案がでます。つまり、細かい単位取得活動の代わりに突き抜けた活動を修学活動として認めるような制度です。大学が率先して、学生を大学の外で学ぶ機会を励起する。伊藤塾長もこの内容に同調します。こういった法制上大学生が卒業のために、どうしてもやらなければいけないことが、日本の若者が突き抜けることを邪魔してしまっている、とのご意見でした。最後に成田先生から伊藤塾長へ、「文科省の制度の問題点はどこか」という質問が飛びます。その答えは、前述通り、上位の人間を突き抜けさせるための制度になっていないことである、という回答でした。ただトップを突き抜けさせるための制度を悪用して、平均以下の人間を多数生み出してしまう大学を産みたくない文科省の考えも理解できる旨のフォローで動画が締めくくられました。

私の個人的な感想・学び

強い人は優しい・そして意志が宿る目で笑う

伊藤塾長は、伊藤忠の御曹司であり幼少期より、その帝王学を叩き込まれてきたであろう方です。また専門分野は量子コンピューターで、ゴリゴリの物理学者。小難しい話をしてしまいそうな肩書きにみえますが、全くの逆。`MCらの話を聞き、そして平易な言葉と完結な言葉で自信を持って回答する。見下す訳でもなく、謙る訳でもなく、ただ対等に目の前にいる人に尊敬と意志を持って対応する姿に、終始感動を覚えました。強い人は、いつも本当の意味で優しく、未来を向いて溢れ出る笑顔で日々を過ごされている。
自分もそんなふうに笑って戦える日々を過ごせるように、成長していきたいと思った次第です。

日本一億総貧困に陥るメンタリティ

成田先生が、別の番組で「日本は格差を考えられるほど、格差を生み出せていない」と発言されています。今回の動画を見て、その言葉が頭に浮かびました。自分自身の経験を振り返っても、日本の教育制度は、「ついてこれない人を置いて行かない」方針だと思います(自分はついていけないけないほうだったのですがw)
先天的とか後天的とかは置いておいても、0から1を生み出せるような人間はごくわずかです。そういった才能をより昇華させるための制度にはできていないのが現状だと感じます。
もちろん全ての人の人権が守られるべきだし、すべての人間は生きているだけで尊いものです。ただ、日本という(たぶん)資本主義国家に生まれた以上、成長がなければ新陳代謝は止まってしまうので、いい意味で人間を差別して、才能を開花させるような倫理観が醸成する社会になってほしいと思います。
そのために、まず自分にできることは、そういう人間が特例的に扱われることを許容することです。客観的にみて、自身には無から有をうむ特別な才能はありません。ただ、そういう人たちと共に、社会に貢献したいという思いと意志は持っています。なので、年齢の上下に固執したり、才能に嫉妬したりするのではなく、全員を尊敬し、無から有を生むプロセスに少しでも貢献してやろう、という思いでこれからの日々に臨んでやろうと思った次第です。そんな気持ちにさせてくれる、神回でした!

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