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文化を超越しながらこの世界を探求すること

  このEPは前作「okkaaa - EP」の系譜的作品であり、本物の想像力に出会うための探究と記録のようなものだ。今の僕にはこの「探究と記録」は必要不可欠だった。なぜなら、自分がもう一段階大きくなるには、ここでメタファーを暗示する音像と世界観をしっかり身に付けないといけないと思ったからだ。世の中に投げかけたいことを発信することをやる一方で、じっくりとそのための環境を整え、問題や音楽としっかり向き合いたい。僕が世界や物語を構築するにあたって、まずこれをする必要があった。僕は本作で新たな「探究と記録」を開始させることになる。これはまだ見ぬ地平を作り上げる体験だ。自らの作法に向き合い、この世界で深く息をする覚悟なのだ。

 本作の制作にあたって、自身のスタンスや作法に対して真摯に向き合えた気がする。ここ2年あまり、自分のクリエイティブは全て自分で請け負ってきた。デザインからプレスまで全て。デジタルディストリビューターの到来により個人で世界に作品を発信できるようになったし、マスメディアを経由しなくても個人に語りかけるように作品を発信していける。表現は、不特定多数に向けるよりも、いくつかの友達に語りかけるぐらいが丁度いいのかもしれない。いい作品は本人の姿をありありと伝えてくれるのだから。

 むろん個人でやれる限界はあるが、僕は僕自身の内部に引き下がって納得いくまで作品を作り出したい。それで食べていけるぐらいにのめり込めば、そこから得意なことと今やっていることと掛け合わせながら進むことで何か新しいものが見えてくるということもだんだんわかってきた。前作「okkaaa - EP」で培ってきたDIY的なノウハウの集大成をここに見ることができると思う。

 そして本作でたどり着いた大きなキーワードがある。それは「文化を超越すること」である。文化を超越することとは何か?本作では「ミックスマスター」という言葉を用いてそれを説明している。この言葉はSpotifyが調査し発表した「Culture Next: Z 世代とミレニアル世代を定義するトレンド - Spotify」にも登場する。

K-POP のような世界的なサブジャンルが急速に広がっている現象からも分かるように、若者たちは国際的なミックスマスターになっています。マーケターは、Spotify でジャンルやサブジャンルをターゲットにして、このオーディエンスとつながることができます。これにより、ブランドは新たな文化的トレンドに合わせて独自の機会を得ることができ、ターゲットリスナーが特定のジャンルを聴くときに、コンテキストに応じた関連性を持たせることができます。
(Culture Next: Z 世代とミレニアル世代を定義するトレンド - Spotify)

 活動初期からも意識的に行動してきたことではあるが「ジャンルそのものを融解する」というテーマ性にも繋がる。自前の感性やクリエイティブを信じ、全て一緒くたにして混ぜ合わせるのだ。ジャンルなんて関係ない。僕はもはや地球の市民であるという意識がある。海賊的な交流がこの開かれたネットワークの世界では可能なのだ。その点で、他の世代とは違い海賊的な交流で他文化を混ぜ合わせ自身の文化値を超越するという面で僕らはマスターなのだ。

僕が見てる世界に境界線なんてないね
次はどこへ行こうなんて語りたいんだ
たくさんの海賊的な文化と
音楽と夢と愛と嘘を
一緒くたにしてかきまわせ​
okkaaa「ミックスマスター」

 本当の価値だってそうやって泥臭くやった先にあるんじゃないかな。タイプビーツで直感的に良いと思ったその音で音楽をやるんだ。僕はそれで大きなステージに立てることを証明したい。だいぶ頼りない綱を渡っているように見えるけど、21世紀的にはこのアプローチは正しいと思う。よってたかって世界を構築されるよりも、自分の本質に向き合うんだ。

 一方、この境界線のない世界には見えない大きな「壁」があるのも確かなのだ。民主主義的な意味合いでもこのミックマスター的な思想のアレルギー反応としての「壁」や、見えない思想の囲い込みに僕らは囲まれている。まさに「分断」「フィルターバブル」という言葉が示しているように。この世界はダークな思想で覆われているなと。僕は自身の楽曲「印象派の夢」の歌詞でこの「壁」について言及している。

僕らの街はハイファイな夢を見てる
大胆に曖昧に息をしてるの 
ただ君は耳を澄まして
その夢を見るの  
森は日が暮れ
取り巻く獣たちにとらわれないように
夢を見ている
この街を覆っているものは
虚な夢のようなものだ
okkaaa「印象派の夢」

 たとえ見えない「壁」に覆われていたとしても自治的に前に進まなくてはいけないのだ。夢を見ているならば、その境界線がない世界で僕は僕自身の内部に引き下がって、そこに一つの世界を見つけ出すのだ。そしていつかそれを打ち破らなくてはいけない。むろん形のないはっきりとした力強い世界じゃない。予感とおぼろげな欲求のうごめいてる世界だ。そうしてそこでは一切が流れ動いている。(この一連の意識は「想像の遊牧民」「印象派の夢」で組み込んでいる)

 重要なことの一つは、これらの作品を完成させても未だ「探究と記録」の最中であるということだ。本作ではこのミックスマスターという思考を通してよりその問題意識の土台を作ることができたのではないかと思う。だが、この「探究と記録」はまだ土台に過ぎない。この時代性を汲み取る意識を持ちながら、僕はこの世界に対して音楽や文章を通してコミットメントをしていきたい。目を閉じて考えを巡らし、僕がこの時代にいる意味性を芸術とともに考えていきたい。まだ取り留めもないが、このEPは次の旅への重要な鍵となる。ぜひこの作品を手に取ってぼくの「探究と記録」に付き合ってほしい。

他愛もない独白を読んでくれてありがとうございます。個人的な発信ではありますが、サポートしてくださる皆様に感謝しています。本当にありがとうございます。