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魂の交通が必要なのだ、前例のない負の春の祭典のなかで。

想像力の境界線が家の中だけに押し留められる生活も1ヶ月も続くとそれが新たなノーマルになっていく。新たなノーマルを獲得しつつある現状を書き留めておくことは重要だと思うし、書くという行為自体が前に進むための一つの答えなのだ。この話はあとでゆっくりしようと思う。

同世代のアーティスト、ELIOが「Body Language」にて”もう衛星を介して話したくない”と綴っていた。身体性を帯びた会話を失い、交通がなくなった今、むしろ物理的なものへの憧憬が高まりつつあるのも感じる。とは言いつつも最適な改善形態を考えなければいけないな思うし、今はこの世界でどうやって想像力を広げられるかの議論が必要だ。そして今回はその想像力を広げられる議論を以下でしていくことにする。また以下に書くことは僕のステイトメントであり、これからの活動の指針である。ゆっくり読んでほしい。

想像力を広げるための魂の交流

経済は停滞していて、ライブやリリースパーティーがなく、アーティストでさえ沈んでいる現状に、僕らがそこから這い上がり、生き延びる方法、それはやはり芸術しかないのだと思う。新しい音楽を聴くという行為すら難しいと感じるかもしれない。でもパンデミックの中でも世界は回り続けている。それに伴って文化は動く必要があるのだ。沈んでしまったアーティストを奈落の底から救い出せるのはやはり僕ら自身なのだ。僕も、一ヶ月前に作品を出したばかりだが、聞いてくれてる人がいるだけで先駆的に前に進める気がした。今だからこそまさに、目に見えない魂の交換が必要だと思う。だから僕は全力で作品を作り続けている。今のこの瞬間をやり過ごすための作品ではない。それは停滞しているのと一緒だ。この場に及んで常識論を振りかざす口当たりのいい作品を出すつもりは更々ない。今僕にとってできるのは目に見えぬ魂の交換ができる作品を作り続けるだけなのだ。

“書く”という処方線

そして作品を作るということ意外にもう一つの答えがある。それは書くという行為だ。ただし、世界との正しい距離感を保ちながら。

状況が深刻化した世界は今とても饒舌になっている。粛々と声を届け、よい世界にしていくのは勿論重要だし、批判こそされてカルチャーではあるが、他者行きの気分で一方向的に話しているのをみるとゲンナリする。(もちろんそれを自覚的にやっていくスタイルの人は尊敬しかないのだが。)そんな饒舌になった世界はいわば天気予報なもので即時的な情報で振り回されてしまう。その空疎な空間で議論をした気分になるのはもううんざりだ。そして言語ウイルス説のように解放的な恐怖や言論が新たな恐怖を生み出す。

【日本赤十字社】「ウイルスの次にやってくるもの」 https://youtu.be/rbNuikVDrN4

だから、僕は自分らしくいるための正しいバランスを見つけ出さないといけないなと思った。それが世界との正しい距離感を保ちながら”書く”ということだ。この処方箋は宇野常寛が「遅いインターネット」という本で示してくれた。(https://slowinternet.jp/)

そして僕の"書く"という行為は音楽制作であり、このnoteである。

もちろん、物事の善悪を判断することは作家の最も重要な仕事だと思うけど、そうした判断を他人にどのような形で伝達するかとかタイミングの決定は個々の作家に委ねられていいはず。僕は物語に置き換えるのを好むだけで。だから焦らなくていいとこのタイミングで自分に言い聞かせておく。

まずは、この想像力を広げるための魂の交通を5月にでる作品と共にこのnoteで紐解いていこうと考えている。ポッドキャストも始まります。僕は想像力を必要とする事がしたいと思っている。まだ駆け出しではあるが、楽しみにしていてほしい。目に見えない魂の交通を信じて。


okkaaa

他愛もない独白を読んでくれてありがとうございます。個人的な発信ではありますが、サポートしてくださる皆様に感謝しています。本当にありがとうございます。