人名に使われる漢字の用法の話

これはアドベントカレンダー「言語学な人びと」の記事です。(2023/12/20)

「人名に使われる漢字の用法の変化について」という論文を、『語文』(大阪大学国語国文学会)121号に載せました。
 副題を「一字一音(一字一拍)の読みを中心に」と付けました。「一字一音」というのは、萬葉集などで言うところの意味合いで、漢字一字について単音節に対応する、というような意味ですが、「一字について単独の音を有する」という意味ではないことを示すために「一字一拍」という括弧書きを付けました。日本における(日本語表記における)漢字には複数の読みがあることが当たり前のようにあるわけですが、人名に使われる(あてられる)漢字については、ますますその様相を強めています。
 今回書いたものでは、池上禎造(1976)で示された、「略訓の増加」という観点から、「略訓で一字一拍に至るもの」の増加、という点を中心に据えることになりました。訓を削る「略訓」ということ自体が、意味と音の結び付いた「形態素」から離れる現象ですが、削られて一拍に至っているものは、当然、意味との繋がりが無くなっています(意味との繋がりの「よすが」が漢字に託されている、と考えられるわけですが、それを託すことを意識していないだろう漢字の当て方もあるようです)。
 たとえば、田口二洲(2016)「読み別 名づけに使える おすすめ漢字リスト」で「あ」と読むことになっているものは次の通りです。
 上安在充有会合当亜吾阿空昂直明和亞宛娃荒称彩逢揚開愛雅遭編 
これは、「あ」で始まるものではなく、「あ」と読める漢字のリストであり、このリストは「あい・あう・あえ・あお・あおい・あか・あかつき・あかね・あき・あきら・あく・あぐ・あけ。あけぼの・あけみ・あさ……」と続きます。「上」を「あ」と読むのは「上がる」「上げる」などによるものであり、送り仮名表記との関連も考えられますが、「荒」(あらい)を「荒らい」、「彩」(あや)を「彩や」などとは書かれることは(常識的には)ないのに、これらを「あ」と読むのは、やはり「略訓」と見るべきでしょう(「上がる」から「あ」になるのも、送り仮名表記との関連はありますが、やはり略訓です)。
 名付け指南本で、略訓について明示してあるものとして、高島照永監修・名前プロジェクトN・E(2006)『赤ちゃんに最高の名前を贈る本』(永岡書店)に、

名づけの場合、漢字の読み方は自由で、これらを「名乗り」と言います。 名乗りには変則的な読み方が多くあります。
①  「心」を「ここ」、「奏」を「か」など本来の読みの一部を省略したもの

という記述がありました。もう少し、古い記述がありそうにも思いますが、搜せておりません。

 意味との繋がりが無くなってしまえば、これは、漢字の表音的な用法、ということになる、と言えるでしょう。ただ、表音的用法で表される「音」がいくつもある、というのが、現在の状況です。以前のように、「祐」をスケともマサとも読む、というような、訓(ないし訓読みにあたるもの)が複数あるのではなく、訓読みに由来するものではあっても、訓との繋がりが絶たれた音(「音読み」の「音」ではなく、「音形」というようなところです)が、複数あるわけです。
 表音文字が複数の音を示す、ということがあります。平仮名の「は」が"ha"とも"wa"とも読まれますし、英語の"s"が"s"とも"z"とも読まれる、また、これは文字列ですが、"gh"がどういう音を表すかが問題となることもある、などです。漢字の表音的用法でも、そうしたことがあるわけですが、これがますます増えてきているわけです。
 さて、「漢字の表音的用法」と書きましたが、この論文を書いておこうと思ったのは、このあたりのことを書いておきたかったからでもあります。
 「はじめに」の部分を引用しておきます。

 本稿は、命名に際しての漢字の用法の変化(乃至、用法に対する意識の変化)を見るものであるが、まず、筆者の漢字観を確認しておく。現代日本においても、漢字は表語文字であると考える。無論、表音用法と呼ぶべきもの(意味を消して音を示す)や、表意用法と呼ぶべきもの(音を消して意味を示すもの)もあるが、どちらかに限定されているものではない。中国語を写す際よりも、表音よみの用法、表意のみの用法が増えていることは確かであるが、日本語を表すものとしても、漢字は表語機能を保持している、と考える。
 そもそも、文字は言語を写すものであり、表音文字であっても、文字列が形態素(乃至、過去において形態素であった(と見なされている)もの)と結び付くのが普通である。ただし、表音文字は、単独の文字ではなく、文字列になってその機能を有する。漢字は、文字列でない単独文字においても、形態素との繋がりがあり(ある場合が殆どで)、表音文字とは異なる。
 また、複数の語(形態素)と結び付くことはあっても、語形のない「意味」と結び付くのは、漢字の中心的な用法ではなく(周辺的な用法であり)、表意文字とは言わない方がよい、と考えている。
 本論では、名づけの際における漢字の用法について扱うが、漢字の表音的な用法が拡大している状況を見て行くことになる。

岡島昭浩(2023)


文字というのは、言語を写すものであり、言語には当然音があるから、文字が音を写すのは当たり前で、「表意文字」と言っても音を写すのは当たり前で、わざわざ「表語文字」などという必要はない、という考え方もあるのかもしれませんが、「表意文字」と呼ぶ時に、表音機能のことまで言及しているものは少ないように思われ、それが、上に書いた「表意文字とは言わない方がよい」という記述に繋がります。
 このあたりは、当然ですが、
  河野六郎(1994)『文字論』三省堂
あたりが参考文献であり、「表音文字は文字列で形態素に結び付く」といったあたりは、
 早田輝洋(1977)「日本語と表音文字」『現代作文講座6文字と表記』明治書院
あたりが参考文献です。

 さて、ドキュン・ネームとかキラキラ・ネームと言われるものは、名前の音形を指している場合と、漢字の読み方(当て方)を指している場合との両方があるようですが、ネット上などでも、しばしば話題となるところです。一方で、日本の人名は昔から読みにくかった、と言われることも多いわけですが、旧来の読みにくさと、近年の読みにくさの違いを考えると、一字一音(一字一拍)の読みが拡大した、ということがある、というのが、この論文の主旨です。一字一拍の用字が求められる背景に、従来、あまり用いられてなかった音形の名前の増大もあります。「あろよ」「みりあ」「えれな」などの名を漢字二字で表記しようとすると、「あろ」「ろよ」「みり」「りあ」「えれ」「れな」などの読みをもつ漢字が必要となりますから、1拍ずつの3字に当てることが行われます(「みりあ」に「実愛」「碧愛」などを当てた例が「お名前辞典」にあるのですが、これらは「み(の)り」「み(ど)り」のような「略訓」なのでしょう。ただ、「実愛:みりあ」は「み」に「り」を「読み添え」たということかもしれません。嘗て、「読み添え」は、「の」とか「が」とかいったものが中心でしたが、現状は、これがだいぶ増えてきたようです)。
 今回の論文で資料としたのは、名付け本です。1980年代ぐらいまでの名付け本は、漢字ごとの説明(姓名判断に関わる画数などの情報を含めて)が中心で、具体的な名前の音形のリストは示されないものが中心でした(示されていても漢字ごとに纏められていて同じ音形で異なる表記となるものを見出しにくいものでした)。西沢(1960)、小林(1967)、朝霧(1986)、香川(1986)、脇田(1986)、内田(1990)、山口(1992)、国脇(1992)など、これを載せているものもありますが、名づけ情報の中心をなすものではなく、後掲のように数量的にも1995年以降のたまひよ名づけ本の類に及びません
・西沢秀雄(1960)『愛児の名づけ字典 正しい命名』日東書院 https://dl.ndl.go.jp/pid/2965405 (昭和41年の奥付のものも同内容)
・小林国雄(1967)『現代人の国語辞典』東京法令出版 (1969の改訂10刷による)の付録「名づけ辞典」 https://dl.ndl.go.jp/pid/2517080/1/437
・朝霧しずか(1986)『すぐに役立つ赤ちゃんの名づけ方百科』ナツメ社 
・脇田直枝ほか(1986)『いい名前・悪い名前・普通の名前 名前はコピーだ!』四海書房
・香川織江(1986)『赤ちゃんの幸せ名づけ事典』日本文芸社
・内田一郎(1990)『〈新しい〉赤ちゃんの名前事典』池田書店
・国脇泰秀(1992)『個性で選ぶ新しい赤ちゃんの名前』西東社
・山口晴久(1992)『選んでつける 赤ちゃんの新しい名前』高橋書店

上記のほかに、
・佐野透『愛児の名前のつけ方』池田書店(1987年13版)
にも、女性用の「かな名前のサンプル」として、「適当な漢字を当ててもいい」というサンプルリストがありましたが(pp.173-201)、これが、なかなかのリストです。「ヘンな名前、トッピな名前ばかりという印象をもたれた方は、もう一度本文を読み返していただきたい」というのですが、どうでしょう。
リストの中から、ネット上の「お名前辞典」に存在しないものを「あ」で始まるものだけから挙げると下記の通りです。

あえは あえび あかぎ あかざ あかば あがな あがね あかの あがの あがら あきも あぎな あくね あぐね あけぎ あげほ あこう あこま あこも あこや あごう あごと あさざ あしぎ あしび あせび あそか あそみ あたか あでか あどか あどり あねみ あびな あまぎ あまご あまも あむい あむり あめら あもり あゆえ あゆも あゆよ あらね あれか あれみ あわら

こんな感じなので、計算の対象から外したのでした。

 1995年刊の『最新版 たまひよ名づけ百科』の表紙に「これはひきやすい! 音(呼び名)で選べる最新赤ちゃんの名前1万2000例」とあるように、これ以降、漢字主体ではなく、名前の具体的な音形から漢字表記形を示しているのが特徴となっていますが、音形の増加も目につきます。上記ほど突飛なものではありませんが、従前の音形のリストに比べると明らかに増大しているのです。例えば、上記の小林(1967)に載っている「あい」で始まる名前は、「あい」「あいこ」だけ、朝霧(1986)でも「あい」「あいこ」「あいな」だけ、国脇(1992)で「あい」「あいか」「あいこ」「あいの」「あいみ」「あいり」、たまひよ(1995)で「あい」「あいか」「あいこ」「あいな」「あいみ」「あいむ」「あいり」あたりから、たまひよ(2002)で、

あい あいあ あいか あいこ あいさ あいな あいね あいの あいみ あいむ あいら あいり

西東社編集部(2014)『赤ちゃんの名前ハッピー漢字事典』西東社の「響リスト」では、

あい あいか あいき あいく あいこ あいさ あいしゃ あいじゅ あいせ あいな あいね あいの あいは あいひ あいみ あいむ あいら あいり あいりん あいる

さらに、上記のネット上の「お名前辞典」にあるものだと、

あい あいあ あいあい あいあん あいい あいう あいえ あいお あいか あいかな あいが あいき あいぎ あいく あいこ あいさ あいし あいしゃ あいじ あいじゅ あいす あいすい あいず あいせ あいせい あいそ あいち あいつき あいと あいな あいに あいぬ あいね あいの あいのん あいは あいば あいひ あいひめ あいび あいふ あいぶ あいほ あいま あいまる あいみ あいむ あいめ あいめい あいも あいや あいゆ あいよ あいら あいらん あいらんり あいり あいりい あいりいん あいりこ あいりす あいりっつ あいりん あいりんこ あいる あいるら あいれ あいれい あいれん あいろ あいわ あいん

とさらに増大します。数で言えば、小林(1967)に載る女性名の音形は全部で736、西東社のものは全部で2873に及びます(男性名は、小林3090、西東社3490で、女性名ほどは増加していません)。ネット上の「お名前辞典」では、音形で、男女ともに一万を越えています(漢字表記形では全部で20万ほど)。

 私は、30年ほど前でしたでしょうか、「和良子」さんという女性名を、「わらこ」や「からこ」などではなさそうだから「かよこ」さんだろうか(「わよこ」でもなさそうだ)、と推定したことがありましたが(確認出来ないままです)、これだけ女性名の音形が増大しますと、類推も効かなくなってきます(菅原緑夏(2002)『新版・幸せを呼ぶ赤ちゃんの名前事典』には、別の字ですが「わよこ」があります)。今ですと、「和」を「あ」「い」「な」などと読ませることもあり、読みの推定は難しくなりそうです。「子」のない「和良」だったら、3拍である可能性を考えると(女性名で4拍はかなり珍しいでしょうが)、「和」を2拍で読むケース、「良」を二拍で読むケースなどを考えると、これまた多様な読みが推定出来そうです。

 漢字表記しか書かれていない戸籍・運転免許証・マイナンバーカードと、ローマ字表記しか書かれていないパスポートが行われている現状に、名前の漢字表記から読みが分からないという実態が強まると、戸籍に読み仮名を記載する、ということは必要なことだと思っております。


 ちょっと纏まりませんし、最後あたりは「言語学な」から少し外れるようなところでもありますが、こんなことろで。

なお、論文は、紙のものが出たところで、webでの掲載は、一年後となっています。

(岡島昭浩)


文献
池上禎造(1976) 「漢字と日本の固有名詞」『懐徳』第四六号 https://hdl.handle.net/11094/90538 (一九七六年十月 『漢語研究の構想』岩波書店)

岡島昭浩(2023) 「人名に使われる漢字の用法の変化について─一字一音(一字一拍)の読みを中心に─」 『語文』(大阪大学国語国文学会)121号 pp.42-57

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