「楽しくなくて当然」という覚悟

 趣味、習い事、トレーニングなど自分を成長させるような行動に関して、高額な商品やサービスを買っていても三日坊主でやめてしまう人が多くいるように思う。
 一説によると、人から評価されたり、注目されていないと続ける意味がないと感じる人が多いからだという。だから「何かを継続したいならまずは周囲の人に宣言しましょう」などという(内向型からしたら)信じられないようなノウハウも存在するのだろう。
 私は極めて内向的なタイプなので、そんな自分の行動方針を周りに言い散らすような恐ろしいことは頼まれてもやりたくないが、それでうまくいく人もいるというから驚きだ。内向型は特に周りに言わなくても淡々と継続して習慣化ができる人が多いと思う。
 とはいえ、そんな習慣化が得意な内向型だったとしても、全くなんの苦しみもないわけではないので、その辺、乗り越えるための心構えみたいなものを言語化してみよう。

仕事なら耐えられる理由
 どんな苦手なことでも仕事なら仕方なく耐えて、続けることは多い。それがなぜ可能かというと、まず金銭的な対価をもらうことができる前提なのと「辛くて当たり前、楽ならラッキー」くらいの気持ちで臨むからだ。

下手に楽しもうとするから辛くなる
 仮に仕事が楽しいと思えるなら最高ではあるが、そんなことはレアケースだ。ワーカホリックのイカれたビジネス書の著者でもあるまいし、仕事は基本辛いからその分対価をもらうものだと考えよう。
 だからなるべく辛くなければ幸運……というのもあるが、同じ収入でも、その辛さがないぶん得したと考えるくらいで良い。
 辛くて当然なので、その今やっている仕事自体になんとか面白い、楽しいところを見つけるような必要は全く無い。その苦労と期待のズレが乗算されてもっと仕事が嫌いになるし、最悪、二度と職場に復帰できなくなる危険性もある。辛いなら辛いと素直に認識しよう。
 もし周囲を見渡して、自分に(今の仕事より)もっと向いていて、得意なことがあれば、そちらに異動できないか打診するとかで良い。楽になりたいなら「辞める」のでは無く、まずは自分の能力の適性によって楽になる方向がないかを検討したほうが幸せになる可能性が高い。どこに逃げても似たような踏ん張りどころは存在する。

「楽しくないならやめたら」の無責任な意見を無視
 習慣化から話がズレているように思うかもしれないが、これは「仕事くらい諦めをもっていれば、どんなものでも習慣化は可能になる」ということだ。
 ここで「そもそも対価が無い、趣味の対価は「楽しさ」だ、楽しくないならやめた方がマシだ」と無責任なことを言い出す輩がいるが、そんな意見は無視しよう。自分で習慣化を果たした実績と自信こそが、金では買えないとてつもない対価なのだ。
 このnoteも一年以上、毎日更新してみたが、金銭的な対価は何もない。しかし、この習慣化の実績と自信と方法論は自分の中に確実に生まれたし、こうして記事にも実感を持って書けるし、いつか書籍のネタにもなるだろう。
 その何ものにも代え難い対価を得るために「習慣化の壁」を越えるまでは楽しさは諦めて、淡々と粛々と続けるだけでいいのである。

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