日本から世界に通用する技術

 先日、Quoraに「なんで日本人は世界に通用するアプリやソフトウェアを一つとして開発できなかったんですか」と質問があり、Ruby開発者の降臨があったようだ。
 曰く「一つとして」は偽で、Rubyのように通用したものはあるにはあるが、日本は国内だけで生存できるマーケットサイズがあるため、海外に進出する必要が無く、人口や市場規模と比較して世界的なアプリやサービスが少ないのではないかとのこと。
 個人的にはMicrosoftやGoogleや FacebookやTwitter的なシステムやサービスは、以下だと思っている。
・かつてITバブル黎明期には思いついていた
・新しいものをひたすら怖がった
・海外からの外圧と戦わなかった
・許容範囲を工夫して決めることはなかった
・当時の企業利権のため法律を利用して潰した
・重箱の隅つつきの難癖をつけ法を改悪
・有能な技術者を逮捕した
 それに、有能な技術者が、わかりやすく凄いものを作ると(それを利用して)犯罪行為を行った者への犯罪幇助として捕まえたので、後に続く天才たちが(一部凄さがわかりにくい技術に携わる者を除き)一斉に消えた。
 そこで「だったら海外で活躍すれば……」的なことを言い出す輩がいるが、それも英語が母語ではなく、国内だけで生存できるマーケットサイズがあることで難しいだろう。
 英語が母語では無い場合、なにが問題になるのか。
 まず、多くの先進的な技術や情報が英語で提供されているが、英語が直感的ではないことで、コミュニケーションや情報収集のハードルが高すぎる。
 天才ならその辺のハードルなんて超えられるだろうと思うかもしれないが、米国には母語が英語で同じくらいの天才が多数いる。一つあれば済むものが、二つ必要になるのは確実に不利なので、それは壁と呼んでも良いものになるだろう。
 他にも以下の要因が考えられる。

文化的な要因
 日本の労働習慣がアイディアの柔軟性を妨げる。上役に(業務とは別の観点から)気に入られ、忖度した物言いをしなければ何も始まらなかったり、起業するにもハードルが高過ぎたり、失敗が恥や穢れとして許されなかったり……このような、伝統的な階層構造や意思決定のプロセスが革新を抑制する可能性がある。

市場の閉鎖性
 日本では一部の成功した国内企業が市場を独占しているため、新興企業が成長する障害となっている。これが競争を制約し、新しいアプリやソフトの開発を阻害する。

技術の専門化
 日本の技術者は先述の「新しくて破壊的なイノベーションを起こすと逮捕される」可能性を恐れて、目立つのを嫌い、特定の地味な分野に特化せざるを得ない傾向にある。これが、異なる分野にまたがる総合的な発想の幅を制約する可能性が高い。
 唯一そういうのと戦ったのが、ひろゆきさんと堀江さんだが、トラブルは長期間続いたものの、法律を守っていたひろゆきさんは逮捕されず、法律に楯突いた堀江さんは逮捕されたという面白い話があるが、それは別の話としてまたいつか触れるかもしれない。

 以上から、目立たず、一般には使われない分野でも、地道に世界を変える技術は生み出され続けているようなので、安心して見守っておこう。

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