ゲームの課題解決する面倒さ

 子供の頃はゲームを楽しんでいた気がするが、最近はゲームのほとんどが面倒でやってられない。原因は明確で、ゲームが「やりたくもない課題を押し付けてくる装置」としての機能しかないからだ。
 こちらから能動的に「こうしたらどうなるのか」とクリアを目指して働きかける作りになっていない。ミッションを急に提示してきて、いわゆる「おつかい」感が強いものが多いし、以前別の記事でも取り扱ったが、アクションをやる場合、体力の減り具合で段階毎の行動パターンで攻撃してくる謎の敵の動きを読みながら適当に攻撃を当てる作業にしか感じない。弾幕を避けられても嬉しくないし、パズルも「知らんがな」となってしまう。
 どうすれば「こうしたらどうなるか」と能動的に働きかけたくなる内容になるのだろうか。
 それには「簡単すぎるかも」な導入から、少しずつ複雑化していき、制約が少しずつ解除され、不満があったところが解消され、面倒が解消されていく……というのを段階を経て続けられるような内容がいい。
 まず何をすればどういう嬉しいことが返ってくるのかというのが最初に示され、それが簡単すぎるくらい簡単に設置されていることだ。
 それを基本として、次々とやれることが広がっていくようにする。海外(中華も含む)のインディタイトルは導入は上手いことが多く、広告からついやってみようという気持ちになる。
 だから組み立てとしては「こうしたらうまくいくだろ」と誰でもついつい思ってしまうものを提示しておき、手を出してしまいたくなる感情を常に刺激する作りにしておいてほしい。
 広告の展開で上手いと思ったのは、誰でもクリアできそうなダンジョンモチーフのアクションパズルが提示されており、めちゃくちゃな操作で戦士が歩いて、ミノタウルスに切られたり、溶岩に落ちたり、針山に突き刺さったりする「いや、下手すぎるだろ」と思わずツッコミを入れたくなるものだ。
 実際のゲームもやったが、そのダンジョンパズル部分は普通に面白く遊べたが、そのパズルを解放するために意味不明なストラテジーをやる必要があり、面倒すぎてすぐにやめた。
 いまふと思い出したが、キャラで引っ張ろうとするものもキツい。昆虫並みに巨大な眼球をした華奢な造形のキャラが悪者の存在によって苦しめられているという設定が多いが、さすがに感情移入も同情も難しい。
 まとめると、まず、導入にシンプルに「つい手を出したくなる何か」があり、そこから何度も応用や展開が続くが、そのどれもが必ずつい手を出したくなる作りであることが重要だ。
 結果、ある程度進んだところで無理やり課題を押し付けられたような感覚にはならず、そのゲームでやることは全て自然と体に馴染ませることができるのではないか。

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