都合が悪いことを認められるか

 ちょっと前に「最近ソースがなくても自分に都合のいい意見なら盲信するネット利用者が増えているのではないか」的な意見を見かけて、なるほど確かにその傾向には思い当たる節がある……と思ったが、原因は「知性」にあるのではないかと思いついたので、そこからつらつらと考えてみた。
 知性とは、単なる知識や情報の蓄積だけではなく、柔軟性や逆境にも対処できる精神の強さも含まれる。なかでも、都合が悪い現実を冷静に受け入れられるのは真の知性と言えるのではないだろうか。

客観的な視点
 知性の高い人は認識可能な範囲に余裕があるため感情的な反応ではなく客観的な視点から事実を見つめる能力が高い場合が多い。都合が悪いと感じる事柄でも客観的な現実を受け入れ、それに対処する柔軟性がある。
 逆に知性が低いとソース不明の情報を盲信して、感情や欲求に動物的に素直に従うことを優先させて暴走しがちであり、むしろそういう意思や理性の力で衝動を抑えず感情と欲求を優先させることが人間味があって良いとすら思い込んでいるふしがある。

学びの機会
 都合が悪いと感じる状況には、新たな学びの機会が潜んでいる。知性の高い人は逆境や課題に立ち向かい、そこから何かを学び取る。いや、学びとる機会と考える意思の力を持っている気がする。
 先述の「認識可能な範囲に余裕がある」とはまさにこれで、認識可能な範囲が狭いほど事実を受け入れるキャパが狭く自分に都合のいいことだけを信じたがる傾向にあるのではないか。

人間関係
 自分の都合が悪いことを認めることは、人間関係を築く上で重要になる。その都合の悪いこと(ミスや認識の違い)をネタにして攻撃的にくる相手ですら誤りを認め、謙虚に向き合う姿勢は、周囲の信頼を築くことにもつながる。

問題解決への近道
 都合が悪いことを無視したり見過ごしていると問題解決が難しくなっていく。知性の高い人には、問題を直視して根本的な解決策を見つけ出そうとする理性や意思の力がある。都合が悪い状況にあえて挑み対処することで、個人は成長し知識や洞察が深まる。これがさらに知性の進化につながる好循環を生む。

 まとめると都合が悪いことを認めることで知性が高まり、より豊かな人間関係や成果につながる。むしろ都合が悪いと感じる瞬間こそが、真の知性を発揮する機会が巡ってきたと好意的に捉えることもできる。
 逆に感情や欲求を優先させた方が気持ちいいからと、一時的な快感に身を委ね、調べもせず印象で判断したり、自分に都合が悪くなったら喧嘩したり無視したり、なりすましで印象操作に励んだり……そんなムーブを繰り返していてもなんの成長もないのはわかるだろう。当たり前だが。

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