黒歴史になっても迷走する必要性

 何か表現を始めるにあたって、たとえ黒歴史になったとしても一度は迷走した方がいいのではないかと思うようになった。迷走をせずに一発でスタイルを確立してしまえるなら低コストで良いが、逆に低コスト程度しか「迷走しない」ことによるメリットはないような気もする。迷走含め一つの個性になるものだ。その辺りを少し考える。

自分に合う合わないを知る
 まずすぐ思いつくのが、自分に合う合わないを知るための迷走期間だ。世の中で流行っていること、まだないこと、皆が見過ごしていること……何か良さそうなものはそこら辺にゴロゴロとある。
 一見、自分には合わないだろうなと思うものの中にも、やってみたら実はかなり楽しくできた、みたいなものが眠っている可能性はある。
 無理のない範囲で色々試すのはいいだろうし、それが世の中に向けて発表できそうなくらい手応えがあるものなら思い切ってやり終えてしまえばいい。
 それが時間と共にダサいものになっていったら黒歴史化するが、その中から得られる学びや創造性は大きいように思う。
 仮にいくらやっても手応えがなくても、その失敗が別の道を見つけるヒントになったりするかもしれない。

学生時代に見つける暇がない
 理想としては学生時代の多くの時間をその探求に充てられると良いのだが、周囲からは「社会に適合できるだけの知能と従順さはあるか」と逐一確認されているので、そんな新しいことをやっている暇は作りづらい。
 だから試す場所を確保することから始める必要があるのだが、限られた余暇を使ってそれを見つけるとなると一つ一つの試しが慎重になって失敗を恐れるあまり身動きができなくなることもある。
 ひとまずは「一度も自分がやったことない新しいこと」「無料で手軽に始められること」「まだやっている人が少ないこと」あたりから始めるといいだろう。ハズレも多いが、どれかに手応えを感じる可能性も、ハネる可能性もある。

迷走することで得られるもの
 先に「低コストであることしか〝迷走しない〟ことによるメリットはない」という旨を述べたが、逆に迷走することで得られるメリットにはどのようなものがあるのだろう。以下に列挙してみよう。

・失敗から学べる
・創造性を刺激する
・成長
・枠組みを超える
・問題解決能力の向上
・柔軟性の向上
・意志の強化

 主にはこれくらいか。迷走したり失敗するダメージの覚悟があるなら、それほど辛いものでもなく数多のメリットを享受することができそうである。

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