論理的とは

 論理的とは、簡単に言うと「筋道を立てて考えること」だ。そのために物事をある種の型にはめた理性で考えていく。
 例えば、何か問題があったときに、感情や直感ではなく、事実や証拠から順序立てて理由を考えて、主張とその精度の高低を整理し判断するのが論理的な考え方と言える。
 つまり、簡単に言うと感情に左右されず冷静に考えて物事を理解しようとする姿勢や方法を「論理的」と言う。
 そして、そもそもの「論理」とは、人間の思考や議論を理性的に組み立てるための体系的な原則のことを指す。
 論理はかつて多様な人種、民族がひしめく地中海東岸で誕生し、古代ギリシャで体系化された。
 言葉が完全には伝わらない少数民族が互いの利害を調整するため「根拠が伝わる」考え方が必要だったのだ。統率者が不在の状況下で下手な動き方をすると大損したり命を奪われるため、きわめて高い緊張感で磨きぬかれた思考様式である。人類史を塗り替えたイノベーションとも言われる。
 論理は主張や結論を根拠や前提から導き出すための方法論であり、再現性が高く正確で合理的な思考を支えるものだ。
 ちなみにディベートは「論理」の塊のような催しとなる。論理を知りたければ(まともな)ディベートを見るといい。
 ディベートと称して揚げ足どりの論破合戦みたいなのが日夜Abemaあたりでお祭り騒ぎのように繰り広げられているが、ああいうのではない。
 賛成、反対のどちらに立つかはその場の抽選で決まり、厳格な発言ルールの元、参加者はどちらのメリット、デメリットも挙げられないとスタートラインにすら立てない。
 だから参加者は事前に徹底した調査が必要で、対象についての考慮漏れや盲点を無くした上での参加が必須となる。
 そして徹底的にあーでもない、こーでもないとお互いの考慮漏れを探りながら結論を検討するのが目的である。これはつまり相手の立場に立ってメリット、デメリットの両方を考えられないと話にならないということだ。
 そのメリット、デメリットを「主張」から「事実」の提示で「根拠」として、その根拠の「精度」はどの程度かを示し「証拠」とする。この流れで組み立てた言葉の応酬が続く。ディベートは(正しく運用されたら)まさに論理の塊と言っても良いくらいの様相を呈している。
 即席でもディベートの主張、事実、根拠、精度、証拠……の型に思考をはめて発言するだけで、論理的な物言いが可能になるだろう。

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