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Ⅰ.現代アートの前史(ⅱ)20世紀中期の美術 ―アメリカン・モダンアートの時代

1924年-1945年 世界大戦開戦

 20世紀に入り19世紀までのヨーロッパが中心となる情勢に変化が起こります。アメリカやロシアなどをはじめ、他の国々も植民地を獲得し、技術を進歩させ力を持ち始めます。各国は互いの衝突を避け、獲得した領土を維持する為に武力の等質化を行う勢力均衡を実施します。当時もっとも発展していたイギリスを先頭に実施された制作でしたが、均衡はうまく働かず力に偏りが発生し第一次世界大戦(1914年~1918年)、第二次世界大戦(1939年~1945年)が結果的勃発することとなりました。2度の大戦はヨーロッパに敗北をもたらし経済的に疲弊をもたらす一方、勝者となったアメリカはヨーロッパに代わり、世界を主導する国家へと発展します。まだ文化の成熟度がヨーロッパに劣る1930年代のアメリカの芸術は、市民の生活に密着したリアリズム絵画や、リージョナリズムと呼ばれる地域主義、地方主義の絵画が主流でした。ベン・シャーン(1898年-1969年)に代表されるような貧困や差別などの社会問題が訴えられ、世界恐慌により交際交流に消極的となる世相と呼応するように、ヨーロッパのモダニズムの流入を嫌い、アメリカの独自性を田舎の肉体労働者の姿に求める傾向が主流であり、洗練されたモダニズム芸術は重要とされませんでした。そこでアメリカは発展国の象徴でもある文化的にもヨーロッパより成熟させる為に、精力的に芸術を自国に根付かせる政策を行います。1930年代の連邦美計画はその代表的な例とされ、政策では世界恐慌による失業した美術関係者を救済するための寄付金や控除を設けます。また多くのポスターやパブリックアートなどの制作を作家に発注しました。中でもメキシコ革命において多数の巨大な壁画を作成したメキシコ壁画運動は大きな影響を与えました。さらには戦争の激化により自由な表現の場と経済的豊かさを求めてヨーロッパから著名な美術家が亡命してきたことなど様々な時勢や国家政策の働きかけによりアメリカの芸術は盛んになってゆきます。1940年代後半から1950年代にはアメリカにおける初めてのモダニズム芸術の動向である抽象表現主義が隆盛となります。

1939年-1960年 抽象表現主義

 抽象表現主義は1945年から1960年代前半にアメリカにおいて隆盛を期した
動向です。カラー・フィールド・ペインティングやオールオーヴァーと呼ばれる手法が用いられ、大画面に中心のない抽象的な色面や筆跡による描画がされます。ニューヨークが中心となった動向であり、もとはワシリー・カンディンスキー(1866年-1944年)の作品に用いられた語ですが、1946年発刊のニーヨーカー誌にて美術批評家のロバート・コーツによって初めてアメリカの絵画に使用されました。当初は具体的な理論はなく、キュビズムなどの文脈を牽引する抽象表現と戦争に起因する激しい情動性を併せ持つ絵画の傾向に用いられたものですが、その理論はアメリカの批評家クレメント・グリーンバーグ(1909年-1994年)によって洗練されます。リトアニア系ユダヤ人の両親のもとニューヨークに誕生したグリーンバーグはアート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークとシラキューズ大学を卒業後に論文「アヴァンギャルドとキッチュ(1939年)」を発表します。後に主要な理論書となる「モダニズムの絵画(1960年)」により、ヨーロッパに根付く芸術文化とマーク・ロスコやジャクソン・ポロックなど同時代のアメリカの抽象画家を芸術文化の前衛として理論的に結び付け、西洋からアメリカへの芸術文化の中心の移り変わりを証明し、アメリカン・モダンアートの成立に大きな貢献を果たしたのです。デビュー作となる「アヴァンギャルドとキッチュ」では、当時リアリズムやリージョナリズムの傾向のあった主流の絵画を徹底的に批判します。正当な芸術の文脈を牽引し歴史を更新する芸術作品のみを本質的な芸術として定義し、そこから外れたものや一般大衆的なものをキッチュ(低俗なもの)として芸術から排除し、アメリカの前衛芸術の純化と正当性を強固なものへと昇華させるため、モダンアートの定義を明確にします。

 グリーンバーグは平面性(視覚的イリュージョン)の追求を前衛芸術の条件とし、フォーマリズムという切り口によって理論を展開します。芸術の独自性を絵画の平面性に見出し、絵画から内容を排除して芸術としか言い表せないようなものを作成しようとした理論ですが、平面性とフォーマリズムという2つのキーワードに焦点をあててその理論を整理します。まず平面性とは、絵画作品における2次元性の事です。元をたどればフランスのナビ派の画家モーリス・ドニ(1870年-1943年)が発表した「新伝統主義の定義(1890年)」における「絵画が、軍馬や裸婦や何らかの逸話である以前に、本質的に、ある順番で集められた色彩で覆われた平坦な表面であることを、思い起こすべきであといった文言に起因し、グリーンバーグは近代の芸術において、芸術が自立性を探求する中で「平面性」を強調することが芸術の純化の過程の中で基礎として残ったものであるとし、マネからセザンヌ、キュビズムといったモダニズムの歴史は平面性が強調された歴史であったと述べます。よって抽象表現主義の絵画では、遠近法によって絵画の中に何らかの光景を描くことをご法度としました。次にフォーマリズムですが、美術批評家のロジャー・フライとクライヴ・ベルによって提唱された理論です。当時は絵画の物語性が重要とされていた時代であった為、印象派を論じるために形式を重要とする理論を打ち出したものです。グリーンバーグの理論はフォーマリズムであると解釈がされています。フォームとは形式と訳すことが可能であり、形式の対となる概念として「マチエール(素材、質量料)」があります。ここでいう物質とは、絵画の支持体であるキャンバスや絵の具といった媒体を指します。従来の絵画では「内容」を図像として表し、それを解釈する様式がとられますが、グリーンバーグはそれを否定し、フォーム「形式―物資」が内容より先だって表に存在し、内容は物質の中から立ち現れてくるものとしました。内容より物質が先立つとしたこの思想には、キリスト教、ユダヤ教の偶像崇拝を禁忌とする信仰や、唯物思想と観念論といった対の思想が関係します。観念論または唯物論とは超越的な真理の様なものを巡る議論です。観念論はプラトンを創始者とし、この世で私たちが見ているものを物事の真理(イデアと名称)から発生した影であるとしたものです。つまり私たちを取り囲む物は全て虚像であり、真理を見るには外的な物ではなく自身の内の中へ志向を傾ける必要を説いたものです。一方唯物思想はプラトンの弟子のアリストテレスを創始者とし、私たちを取り囲む物の中に心理があるものとします。つまり内容よりも物質が先に立つものとする思想であり、グリーンバーグは唯物論では心理の影であるこの世の光景を描写する絵画がさらにその影として心理とは程遠い存在となってしまうのに対し、唯物主義の立場をとってフォーム(物質=キャンバスや絵の具)を重要として絵画を作成することで唯物的に心理に近しい存在を芸術デア達成できるとしたものです。

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