見出し画像

Ⅰ.現代アートの前史(ⅰ)20世紀前後の美術-モダンアートの時代

(ⅰ-ⅰ)1830年フランス7月革命

 芸術の歴史は主に16世紀から19世紀までの「中世(近代以前=プレモダニズム」と、19世紀から始まり20世紀までの「近代(モダン)」、さらに1960年頃からは「近代以後(ポストモダニズム)」という具合の区分けが一般的です。現代アートとは主に1960年代からのポストモダニズム以降の芸術を指して呼称されます。本項ではまず、現代の様な社会環境とともに現代アートの基本的な思想が作られる近代=モダニズムと呼ばれる歴史の転換期を取り上げます。

 近代とは現代よりも前の時代を指して述べられる歴史区分の呼び方であり、社会のシステム自体の名称でもあります。18世紀後半から19世紀前半のフランス革命による国家の民主化が近代化の起源とされ、それまで社会は宗教的権力を持った教皇などが秩序を治める中世という時代でしたが、革命により一般市民が中心となった市民社会に時代が変わりました。決定的な出来事として、1830年のフランス7月革命による王政の廃止があります。市民の発起により民主主義が重要とされ、個人の意義や自由が尊重される社会へと移行することとなったのです。近代化によって国家は選挙により権力を得た指導者が統治を担う現代の基本的な社会のシステムを形作るとともに、科学や産業の技術も急速的に発達します。社会の近代化を推し進めるヨーロッパは各国への貿易を求めた開国の要請を行い、また植民地の争奪競など様々な運動によって社会が急速に変革した時代となりました。ヨーロッパから始まった近代化は大戦の勃発する20世紀に向けて全世界へと拡大します。

(ⅰ-ⅱ)1855年パリ万博

 芸術も同じく近代化によって民衆に開かれ、それまで宮殿や協会を演出する為に用いられ、鑑賞が限定されていた芸術作品は市民に公開されるとともに、王族の肖像や宗教の物語を視覚的に表す役割から解放されます。象徴的な出来事として、現代アートの原点の一人とされる画家ギュスターヴ・クールベの1855年パリ万博における「オルナンの葬儀」を巡る事件があります。パリ万博への出展の審査を受けた「オルナンの葬儀」でしたが、その内容は普通の田舎町の葬儀の様子を描いたものであり、歴史画は王族や神々の物語を描くための格式の高い絵画であるという当時の常識を逸脱していた為に、痛烈な批判を受けて万博を落選します。これに対しクールベは万博会場前に小屋を建て個展を開きます。クールベのこの行動は、それまで個展という習慣が無かった為、史上初めての個展と言われます。展示会場にて掲げられた作品に対するクールベの見解を綴ったテキストは後にレアリスム宣言(写実主義)と呼称され、今日でいうところのコンセプト文となります。この頃より芸術は既存の概念から解放され、芸術の価値や独自性、芸術とは何であるかという芸術文化自体の探求を作家は作品制作の目的に置き、その成果の発表の場として個展を開催する現代の一般的な作家活動の形式が形成されます。

(ⅰ-ⅱ)近代芸術

 近代社会においては、「理性を高く持つことによって社会は発展する」と考える理性主義(合理主義)という思想が登場し、その思想を根本に科学技術の進歩や合理的な社会システムの構築を急速に推し進めます。芸術においてもその思想は影響し、文化に進化を求め、古いものを超えてより革新的な作品の発表を志す前衛(アヴァンギャルド)的な姿勢に価値が置かれることになります。写真技術の発明もこの頃の出来事であり、芸術はより一層制作の目的を単なる記録や再現に置くことが許されなくなります。このように様々な近代化の影響のもと現代の芸術は誕生します。

現代アートの創始者としては先に挙げたリアリズム絵画の画家ギュスターヴ・クールベ(1819-1877)、色彩の探求を重要とし、遠近法を壊したセザンヌを経てキュビズムへと発展した印象派など明確に一人を選び出すことは困難です。現代美術の文脈を明確化するフォーマリズムを提唱したクレメント・グリーンバーグは印象派の中心事物であるエドゥアール・マネ(1832-1883)を原点とします。マネは背景を削除した平面的な絵画が革新的であり、フォーマリズムの平面性と結びつけて論じられます。また、ダダイズムの作家マルセル・デュシャン(1887-1968)は今日のアートに欠かせないコンセプトを持ち込みます。デュシャンはクールベの絵画を「網膜的(視覚的)である」と批判し、レディメイドと呼ばれる既製品をほとんどそのまま用いた作品を発表します。デュシャンは中世まで風景、人物や物語を表す芸術の様式に疑問を投げかけ、これからの芸術はそこに込められた意味が重要であるとしました。今日では常識となった現代アートの構成要素にコンセプトを持ち込んだ人物となります。中でも1917年のニューヨーク・アンデパンダン展に出品を拒否された「泉」は男性便器に偽名のサインをしただけの作品であり、デュシャンの思想を読み取れる重要なものとされます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?