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答えきれなかったのは『デザインミュージアムは必要なのか?』というそもそもについてのこと。

5月1日に発売された雑誌『AXIS』のデザインミュージアム特集で多くの識者に交ざり、僭越ながらコメントを寄せさせてもらっいるのですが、編集部からいただいた質問では答えることのできなかった自分なりの思いがあるので、ここに載せておきます。

まだ本誌が手元にないので、同様の言及がすでに為されていたり、より深い考察をされているのかも知れませんが、自分なりに。

※かなり長文ですみません
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『AXIS』の販売告知ツイッターにデザイン関係者であれば誰もが賛同しそうな構想が、未だに実現していません。」と載っていました。これは逆説的に言えば、デザイン関係者以外には賛同されてはいない現状があるということです。これはまさに社会がこれから必要としているデザインミュージアムの在り方について、かつ、次の時代に必要とされるデザインのコアコンセプトがないまま施設としての話が進み、業界内輪で内容の話になっているからだと思います。

そのことを考えたときに1999年、福岡アジア美術館の開館記念式で学芸員の黒田雷児さん(現福岡アジア美術館運営部長)の行ったレクチャー『アジア美術館が無くなる日にむけて』(覚えている限りでは。ほんとは違ったかもしれないですが。。。)を思い出しました。

びっくりすることに、オープンの目出度い記念式典の中で、黒田さんは、なぜ、美術館が必要なのか?どのような状況が来れば美術館は必要なくなるか?という壮大な仮説を語りだしました。

オンラインで記録として何も出てこないことが残念でしかたないですが、うろ覚えの記憶で書くと、
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美術館は、美しさとは何か。表現とはなにか。生きるということは何か。それらを自分自身の気づきと思考にするために、多くのアーティストが残した作品に向かい合いながら、時間と体験を重ねる場だということ。すなわち、一人一人の中に美しさや、生きるということへの美意識が育った時には美術館は必要なくなるのではないか。
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というものでした。

そして、
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いつか、一人一人の中に美に対してのが芽生えるそんな日が来るように、必死に美しさや、表現、生き方の多様性や深みや面白さを伝えることのできるプログラムや収蔵や運営を考えてアジア美術館は挑んでいきたい。
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という力強いもので、その後の僕が美術館に勤めることを決めた背景の一つにもなりました。

今のデザインミュージアム設立の議論において、何か足りないものを感じているのは、まさにこれでした。何のためにデザインミュージアムが必要か、何を役割として背負う覚悟があるのか、それがしっかりと共有されていない気がしてなりません。「他国があるのだから、日本にも無いよりあったほうが良いよね」で始まっていないだろうかと。

もちろん、必要性は感じます。しかし、まずはアンチテーゼでもなんでもよいのですが、『デザインミュージアムとは、一人一人の中に何が芽生えれば、どう自立が達成できれば、必要なくなるのか。』そんな大きなヴィジョンからの逆算からでもよいので、なぜデザインミュージアムが必要かをもっと語り合うべきです。

このままでは、何を置いて、どう見せて、誰が館長で、どこにつくる、という話になりがちです。これはデザイナーなら誰もがクライアントがヴィジョンとコンセプト無しに突然、細部を求めはじめゲンナリした経験があるのと同じ話しです。結果、良いものができるのは、偶然の産物であり、その確率は低い中で誰かが犠牲となるデスマーチです。(デザイナーなら経験したことありますよね?)

あと『先進国でデザインミュージアムがないのは日本だけだ。これは恥ずべき事なので設立する際には国立であるべきだ。』という声も聞こえきますが、これこそいわゆる「ハコモノ行政」と変わらぬ話しになるのではないか。WHATやHOWよりもWHY?から問いはじめることを大切にするのが、僕らが歴史から学び、デザインにアップデートした思考だったはずではないだろうかと思ってしまいます。

このまま、多少は見せ方やコレクションに工夫はあれど、基本的にみんなが安易に想像できるだろう巨匠と呼ばれる方の作品が並び、個人の才能と意匠が評価の軸なり、その背景ある社会のニーズ、クライアントの設問や思考プロセスがマジックボックスのまま、デザイナーとは特別な才能をもった人、表面的なマスターピースがもてはやされる場になるデザインミュージアムは僕は本当に嫌です。加えて、クリエーターが美術館の収蔵庫を目指し喜ぶようになった場合はもう墓場としてしか機能しないと思います。

どうしたら社会の課題を見つける視座に気付くことができ、どう細部まで気配りすることで関係性が良質になるのかを学ぶ場になりえるでしょうか。

特に現在は「成長=善」である時代の終焉を迎え、ひとりひとりが世界のダイナミックな変化を感じているタイミングです。価値指標をGDPからSSRへへと移行することが求められている時代です。さらに、21世紀に入ってから、表現技術やその成果物が増えたことよりも、テロ、金融危機、自然災害、パンデミックを体験し、今後は気候危機と食糧難なども加わり、「人はどうやって生きていくのか?」が経済、産業、哲学、研究など多くの分野をまたいで研究され検証や実証、実装がされるべきだと考える人が多いタイミングであり、事実、世界はもうそう動いています。

デザインが成長の中で必要とされる時代から、人類のサヴァイブ(身体的・文化的双方で)のために必要になる時代のデザインミュージアムが捉えるべきデザインの役割は何であるべきでしょうか。

まずは、デザインミュージアムとは何の実現を目指すものなのか。それを話し合い、一つの方向性を導びくことがされるべきなのでしょう。しかも収蔵の対象者となるようなクリエーター自身やデザイン関係者と呼ばれる人だけでなく、他領域の知見を多く取り入れながらデザインミュージアムがあるべき意味を社会に提示するステップがいまの社会において、これまで以上に重要ではないかと思います。

デザインミュージアムをデザインするためには、まずはWHY?からのスタートをしっかりするべきだと僕は感じています。

しっかりとWHY?に対する"応え"を持ったデザインミュージアムがこれからの未来に対して作られることに期待しています。