第2回 私が見た「生きる」~大川小学校 津波裁判を闘った人たち~

このnoteはドキュメンタリー映画「生きる」~大川小学校 津波裁判を闘った人たち~の監督である寺田和弘に届いた、映画を観た方からのコメントを紹介していきます!ぜひ、映画が公開されたら見てください!!そして、コメントをお寄せください!!!


第2回目のコメントを紹介するのは…
フリーライターの峠淳次さんです。峠さんは1954年大阪府生まれ。創価大学文学部卒。1979年公明新聞入社。 東日本大震災取材班キャップ、 編集委員などを経て2019年からフリーに。編著書に『命みつめて~あの日から今、そして未来へ』(鳳書院)などがあります。

 あの日、大川小学校で何があったのか。なぜ74人もの児童が犠牲にならなければならなかったのか。ドキュメンタリー映画「『生きる』~大川小学校津波裁判を闘った人たち~」は、その真実を求めてやまなかった遺族たちと、その代理人弁護士二人による闘争の記録である。
 彼らの前に立ちはだかったのは、学校現場や教育行政の前線にある大人たちの、あまりに無責任な自己保身と事なかれ主義の体質だった。悲しみのどん底にある遺族たちを前に「(子どもが亡くなったのは)宿命だ」と言ってのける市長、生き残った児童からの聞き取り調査メモを廃棄・隠蔽していた市教育委員会、さらには遺族らの心を土足で踏み荒らすごときの一般市民からの無神経な誹謗中傷・・・。映像が浮き彫りにする彼ら大人たちの、無情、無慈悲にして傲慢、陰湿な態度に慄然とし、怒りがこみ上げる。
 周知の通り、大川小津波訴訟自体は、国や県、市の「組織的過失と責任」を断罪して幕を閉じた。原告側の全面勝利である。だが、映画の終盤で遺族たちは語る。「一歩が終わったばかり」「これからだ」といった趣旨の言葉を。おそらくは、この映画の〝肝〟は遺族たちのこの言葉にこそあるのだろう。そう、大川小の〝事件〟が残した苦い教訓を、同時代に生きる私たち一人ひとりが次代へどう伝え、どう生かしていくか。あるべき学校の姿を、あるべき教育の理想を、命を守る社会をどう築いていくか。一方で東日本震災と大川小の記憶が風化しゆき、他方でいじめや子どもへの暴力・虐待などが絶えない今この時の日本社会にあって、映画「生きる」はそう私たちに問い掛けているに違いないのだ。
 教員や行政関係者だけにとどまらず、すべての大人たちが観賞し、ここから勇躍の一歩を踏み出してほしい。そう願うとともに、私自身もそうありたいと心新たにしている。


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