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沖縄のコンカフェ歴史①

前回のブログに書いたように沖縄もここ数年コンカフェが増えてきた。

そもそもコンカフェって何?と思う方もいると思うので説明すると、「特定のコンセプトを全面に出して他のカフェとの差別化が図られたカフェ」を略してコンカフェといい、いわゆるメイドカフェのような秋葉原っぽさを感じれるお店を僕のいうコンカフェでは差している。

沖縄のコンカフェの歴史を語る時、外せないのが2009年11月にオープンし今も国際通りで営業している

「Candy」

さんだ。

こちらのお店は店内が椅子、テーブル、カウンターなどがある空間にアニメ要素を店内に盛り込んだお店だが、モノがぎゅうぎゅうに置かれているわけではなく比較的居心地のいい空間だ。
スタッフのことはキャストと呼び、お店の制服はオープン当初リトルバスターズの制服で、以後チェックの制服やアニメのコスプレなどで出迎えれてくれた。

実はこのお店、その前がパロディという25年の歴史をもったライブハウスの跡地ということで、もともと大きな音出しが出来る空間となっている。それを生かすようにこのお店にはステージが設けられており、このステージでお店で働く女の子たちがアニソンを毎日歌って踊るというエンタメ性の高いお店としてオープンした。

私が最初にCandyに行ったのはオープンして1ヶ月後の12月で、当時沖縄にはそういうお店が無かったので、とても新鮮だった(アニメイトはあったけど飲食店ではないしね)

そして、僕の人生はここで大きく狂わされる(ありがとう)

このCandyというお店の店舗としての素晴らしさ、アイドル性を兼ね備えたスタッフの着飾らない接客、そして毎日のように練習して出勤キャスト全員で作り上げる毎日どこか違う1日2本のステージ。それを盛り上げる元ライブハウスの音響と照明。とにかく凄かったのだ。

ステージのパフォーマンスは最初の時期はソロ曲も多かったのだが、それでも必ずユニット曲(キャスト複数名で1曲を踊る)は1〜2曲入っていた。そしてユニット曲は日に日に増えていき、いつもどの曲が来るかわからない状態で、お客さんは出勤キャストで今日はどんな曲を出すんだろうと予想し合うなんてことが日常だった。

ここで一つ声を大きくして言いたいのだが、ユニットで曲をやるというのはとても大変だ!

お店のスタッフがアニソンを歌うステージがありますというお店を僕は東京や大阪行くたびに見てきたのだが、ここ10数年、いまだにCandyほどキャストがまとまってユニットライブができるお店を見たことがない(勿論ソロも良かった)

それにはいろんな壁があるし、その壁を今超えることはそうそう出来ないと思っている。

Candyは異質なのだ。いわゆるコンカフェはスタッフとカウンター越しで喋ることでの楽しみを作るお店が多い(所謂ガールズバースタイル)。
その中で、トークという手段が無くてもお客さんを楽しませる殺傷能力の高い武器を持っていたのだ。

Candyはお客さんもステージでカラオケができるお店だ。お店で知り合った人同士でカラオケを一緒に歌い、友達になる。友達になったら一緒のテーブルで飲むようになり、アクティブな常連は自分達もステージで魅せたいとなって、カラオケでキャストの真似をして踊るなどお客さんもその空間が生み出した自然体なコミュニティに浸かっていった。
中にはお客さんたちと会いたいからという理由で来る人も出てきた。

そのお客さんたちの出会いがキッカケで動き出したコミュニティもあり、沖縄の踊ってみた琉⑨というコミュニティ(というよりサークル?)もその一つだ。沖縄の踊ってみたコミュニティの元祖がここだと考えると奥深いものを感じる。


私自身も、ここで出会った年上の皆さんと一緒にアニソンコピーバンドを始めたり、琉⑨として踊ったり、アニソンイベントを主催するなどオタク活動のルーツはこのお店に戻ってくるので、ありがたい。

お店のオーナーさんやキャストは変わってしまったが、いまもこのお店が名前をそのままに営業しており、コロナ禍を乗り越えて営業してることは沖縄のオタク界では快挙であり、大切な要素だと思っている。
今は新しい形のお店になっているし、コロナの制限でステージが出来ないなどあるみたいだが、興味持った方はぜひ行ってみてほしい店舗の一つだ。


当時の他コンカフェ的立ち位置のお店


Candy以外にも10年以上前にコンカフェはあった。

「ベリーハウス(らぶハートプラス)」

私が認識してるところで、沖縄で一番初めにできたメイドカフェ的立ち位置のコンカフェがこちらのお店。
2010年の4月に国際通りにオープンし、スタッフは当初30名いた(らしい)
メイドと執事がお迎えしてくれるお店で、Candyよりも観光客向けのより秋葉原っぽく感じるメイドカフェっていうコンセプトがハマるお店だった。
こちらもハロウィンやバレンタインなどのイベント時にはステージをやったり盛り上げているお店で、こちらのお店のイベントに行くとCandyのお客さんとは変わる客層で、お客さんは小さな沖縄でも多少二分してるとも感じた。

こちらのお店もオーナー変わったり移転などもして形が変わっていく中の、2011年10月31日で閉店してしまった。最後のイベントに行ったことを今でも覚えている


他にも思いつくところが
アキバ系カフェ、妹カフェ、メイドリフレ系店舗というのが10年くらい前の店舗で思い出すところである。そして上記のお店はアキバ系カフェ以外行ったことないので今ではどういうお店だったのかわからずじまいである。

そして、風の噂でCandyより先にメイド喫茶があり、そこが元祖ではというのを聞いたことがある。そして私が調べた限り、糸満に該当するお店があったのだが、メイド喫茶DAYという営業日にメイド服を着るスタンスだった模様で、普段は喫茶店寄りで、メイドカフェといっていいものかが判別できなかった。
そしてそのお店も閉店しており今は確認することが出来ない。。。


これが約10年くらい前のコンカフェ歴史である(あくまで私視点の持ってる情報のみだが)

沖縄のコンカフェを振り返るとなるとここら辺が黎明期といえる時代なのかなと思う。

そして私の周りにはその黎明期に出会った大切な仲間や友達が沢山いる。今もその皆さんへの感謝と、楽しいこと仕掛けるから待っててねという気持ちを持っている。


オタクは好きなものを家で楽しむだけじゃなく、もっとフランクに外に出て、同志を見つける、外に二次元のような煌びやかさを探しに行くものだと10年も前の沖縄コンカフェ界隈を振り返っては思い知る今日この頃です。


長くなってしまったので今日はこの辺で。
また続き書きますので良かったら見てください。

最後に。。。2011年当時。来場者で700近く、関係者入れたら800名超えた僕が主催という形で携わったアニソンイベントのポスター画像を貼って終わります。


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