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哲学不在の日本


俺がコロナを恐れないのは
それが大した事がない感染症だ
という理由ももちろんあるが

それ以上にコロナを恐れる事で
人間が人間らしく生きられなくなる
その事を危惧するからである。

それは、人間らしく生きるとは?
幸福に生きるとは何か?
この点について考える。

日本には哲学が不在なんだ。

人はいつか死ぬ
だから、それまでは精一杯
幸福に向かい生きていこう
出来れば周囲の人の役に立とう
これが俺の生きる基本である。

だから俺は生命至上主義ではない
生きていればなんでもいいとは
決して思わない。

病室で体中管だらけになり
地獄の苦しみを味わいつつ
植物状態で100まで生きるくらいなら
酒を飲み仲の良い友と語らい
充実して50歳で死んだ方がいい

コロナを恐れたところで
死ぬ事を忘れられるわけではない
他の病気でも事故でも人は死ぬ
そんな事も忘れてコロナだけを恐れる
これが滑稽でなくてなんだ?

そして何より
人は孤独では生きられない。
愛を確かめようと言葉を交わし
抱擁をし、異性間でも同性間でも
究極的にはsexをするだろう?

肉欲の処理なら右手だけで充分だが
ただ精子を放出するだけでは
埋められない寂しさや悲しみを
かりそめにも埋められると思い
金銭なり、情愛なりで人は
なけなしの性を買う事がある。

動物だからな
それはそうなんだよ。

しかし、コロナは人と人が触れ合う
この根本的な事を阻害する。
死ぬかもしれんから?
バカ言え、死なない人間などいない
それが遅いか早いだけの話だ。

コロナ恐いといいながら、
家に籠って大酒を飲み
暴飲暴食しても、
成人病で死ぬんだぜ

俺は人だから他人が必要だ。
人と人が信頼と愛情を交換するのを
死ぬのが怖いという下らん理由で阻害する
コロナウイルスとコロナ恐い病には
哲学上も決して屈するわけにはいかん。

特に政治家は哲学しろ!
医者も哲学しろ!
多少死者が出る程度の事で、
過去何百万年も続けて来た
人と人の触れ合いを
新生活なる臆病なプランで
破壊してもいいのか?

生きているとは心臓が動いていて
息をする事ではないんだぞ!

今日のニュースを語ります。