女護衛兵

王を守る琉球の女護衛兵


15世紀中頃、尚巴志の王統が続いている頃は、
琉球では女性は鬼道(霊的)の力を持つと言われ
相対的に高い地位を得ていました。
当時、琉球においては、王命を群臣に告げるのは
女性であり、場合によっては、
剣を持って、王を護衛する事もありました。

侍女は100名余り王命を伝える


李朝実録によると、1456年、久米島に漂着した
朝鮮水軍の梁成は、琉球での見聞を残しています。
それによると、

侍女は100人余りいる、遠方の村長が
吉日を撰んで城庭で宴を開く、群臣は庭で飲食し音楽はない
王は層閣にいて降りず、婦人に命を伝えさせる

としていて、王の回りに100名の侍女がいた事が
分かります。

およそ王の挙動するに女官剣を杖して侍衛す


さらに、このような女官は王の動向に従い移動し、
場合によっては、剣を持って護衛する事もありました。
当時の記録にも、
およそ王の挙動するに女官剣を杖して自衛すとあります。
剣を杖にするとは、腰に佩くのではなく、手に持って
杖のようにしているという意味でしょう。

当時の琉球の女性の衣服は、ドゥジン(胴衣)とカカンで
朝鮮の女性と同じであると梁成は言っています。
この服装は身体の側面で紐で結ぶもので帯がなく、
それ故に女官は、剣を手に持っているのではないかと思います。

その後も門番としての仕事の名残が残った


この剣を持って王を守護するという職務は、太平の世には、
形骸化して、それぞれ門を守る番人に変化していきます。
剣を持って立っていた女官も、表からは姿を消し、
大内原や王のプライベートルームにしか出てこなくなりますが
それでも、ある門の番は女官が務める習慣があった事が
女官御双紙には出てくるようです。

剣を杖にして立っていた15世紀中頃の琉球の女官、、
はなはだ太古の風ありです。
沖縄には、戦はイナグのサチバイという格言があり、
女性が戦いでは先頭を切ったという意味なのですが、
これは従来、戦の前にあったノロ同士の呪祖合戦の事を
形容したものだと考えられています。
しかし、或いは、本当に国王に従い、戦場まで剣を持って、
供をしていた女官達がいたのかも知れません。

琉球・沖縄の歴史を紹介しています。
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