見出し画像

こっそり他人を見下すべし

人間は他人の噂話が大好きである。
特に醜聞が大好きで、寄ると触るとそんな話ばかりする人もいる。

普段は不幸そうで我が身の不遇を常々呪っているやうな人が、
自分よりも大変な目にあっている著名人の悪口やうわべだけ
心配するような顔をしている時の表情の輝きは眩しいの一言だ。
まさに人生の素晴らしさを満喫しているという具合で
こちらは内心苦笑いするばかりである。

ポリアンナ物語という小説に、小さな幸せを探して不遇な日々を
喜びに変える少女が出てくるが、あんな話は嘘寒い虚構であって
人の不幸を探して我が身の幸福を喜ぶ方が想像力も忍耐も不要で
ずっと簡単で、ネタもありふれている。

だからこそ、無料で人を喜ばしスポンサー様を獲らないといけない
テレビは良いニュースより、悪いニュースを、
善を勧めるより、救いようのない悪党の愚にもつかない言い訳を
取り上げては信じられないと叩き続けて視聴率を取る。

それを義務のような顔で淡々とこなすコメンテーターと
芝居がかった司会者のオーバーリアクション
これを見ている視聴者の世にも嬉しそうな顔こそ、
平和でなくてなんであろう?
戦時なら、人を叩いてる暇もなく生きるのに必死なのだから
著名人を叩いて笑っておれるのは下品ながら平和の一部というものだ。

しかし、kawausoはああいう集まって人を悪く言うのが嫌いだ。
聖人君子めいて言うのではなく、つまらん連中が集まって
誰かを叩くのを聞くとヘドがでる。

あのような悪口は人に話さないで、ひとりでこっそり思うものだ。
テレビに向かい、パソコンディスプレイに向かい、
くだらん人気だけの著名人に、思うさま悪口をぶつける愉悦は
精神を安定させる一服の清涼剤である。

こんなに害がない愉悦はない。
snsに書きこまず、他人に話さず、一人で人を見下して思うさま
腐すのだから最高だ。
誰にも反論も顰蹙も買わず、己の精神の帝国で他人を罵倒する
こんな聖人君子な楽しみはないではないか?

kawausoさんは、人の悪口も言わないで、いつもニコニコして
感じがいい人ね、などと盛大に勘違いされ人当たりもよくなる。

これに比べれば、浅い知識で著名人のTwitterに粘着して
見当違いの罵詈雑言を吐き散らしている連中等、
わざわざ自分の底の浅さを世界に喧伝しているだけのアホである。

諸君、人を見下すならこっそり、自分の精神世界でやるといい
自分だけが爽快で人に迷惑をかけない最高の趣味だ。





今日のニュースを語ります。