見出し画像

沖縄のヤチムン

沖縄のヤチムンというと、戦後の壺屋焼きが有名ですが、

実はそれ以前の江戸時代から、日本向けの輸出品でした。

琉球の窯業は、秀吉の朝鮮出兵と関係があり
1609年に琉球が薩摩の支配下にはいると、
島津氏が李氏朝鮮から連行してきていた、
朝鮮人の陶工を3名招聘して、1638年
現在の那覇市の泉崎にあたる湧田で陶器を焼かせました。

それ以外にも読谷村の喜名にも喜名焼きが、
沖縄市の知花にも知花焼きがありましたが、

1682年の尚貞王の時代に、これらの
地方の窯を合わせて、牧志村の南の壺屋に
統合して、壺屋焼きが登場します。

その後、壺屋は琉球一の窯場になり、
日本向けに多くの陶器を輸出しました。
その中には、抱瓶や、釉薬を使わない
「鬼の手」と言われた荒焼(アラヤチ)で
泡盛の容器として江戸、金沢、京都、
大阪、長崎で出土します。

酒の容器として使用された後も、
お茶葉の容器として再利用され、
現代まで伝わっているものも多いのです。


引用:平成21年 考古史料に見る日本・沖縄

http://www.pref.okinawa.jp/edu/maizo/bunkakesho/chosa/maizo/tanto/documents/kokopdf.pdf




今日のニュースを語ります。