毒を持てと言われるけれど、意識して持とうとすると、「そうじゃない」ってなるんだよね
たしか、岡本太郎だったかな。自分の心に毒を持て!みたいなことを言ってた、ていうか、そう言う本を出してたはずです。。
その書籍、一度読んだとは、思うけど、たぶん、意図することはこういうことかなと思っています。
芸術家とか表現する人として必要なのは、強烈な個性だったり、言いたいことだったりなんでしょう。その強烈な個性は、みんなから喜ばれる薬とか美味しい食べ物ではなく、むしろ、毒なことが多い。劇薬で強烈で受け入れ難いものなんでしょう。
それを総称してまとめて、毒を持て。ということなんだと思っています。
だけど、どうなんでしょうか。
意識高い系の人たちって、そういわれると、すぐ、
「あー、わかった。毒ね。毒なら俺持ってるよ。ほら。毒でしょ。」
みたいなことを言うんですよね。
その、毒俺持ってるよ!的なセリフを聞くと、この本を読んだみんなは、
「そうじゃない!」って思うはずなんですよね。
でも、この意識高い系の人に限らず、そこそこ多くの人が、表現するには、毒とか、劇薬とかを自分に持たないと、って意識しちゃうんですよね。
そうするとやたら、シュールさにこだわったり、理解されないことこそ正義みたいな、ゆがんだ表現になりがちなのかなー。って気がします。
私は、凡人代表には、なれないものの、凡人の一人としての意見を言わせてもらうと、毒って持とうとすると、どうしても、「そうじゃない」ってなっちゃうと思うんです。
アイドルの人が、演技すると、すごく違和感が、あるように、多少意識したところで、逆に違和感しか無いよ。見てて、見てられないよ。みたいなことを思われるじゃないかなー。と思います。
その中でも、一部の人は、コスパの悪さとか、考えず、しっかり、続けて、違和感が無くなるくらいまで、頑張る人もいます。
だから、毒を持て、と言われて、最初の一瞬とか、三日坊主とか、生兵法とか、そういう時は、「そうじゃない」って思われても、しょうがないのかな。と思います。
それを、聞いて、向いてないとか、才能が無いとか、思いがちなのですが、それって、単純に、場数が足りて無いだけ、の可能性が高いと思います。
サポートされたら、嬉しくて飛び上がっちゃいます。