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実現しなかった北部支線の分社化

沖縄本島の名護以北のバス路線、いわゆる北部支線を運行しているのは、沖縄県豊見城市に本社を置く琉球バス交通と、那覇市に本社を置く沖縄バスである。この2社は、名護市には営業所を設置するのみであるが、かつては2社の共同出資により、名護市に本社をおく北部支線専属のバス会社の設立構想があった。


北部支線は赤字だけど補助金額が低い

北部支線が走る名護市以北は、沖縄本島中南部と比較すると、面積は広いが、居住人口が少ないことも影響して、多くの路線で赤字であり、現在でも補助金で保たれている状態である。
その補助金であるが、かつては適用基準が厳しかったようで、「1社での運行」または「2社以上でも競合率(同一区間を走る割合)が50%以下」という条件があり、琉球バスと沖縄バスの2社によって運行されていた北部支線は、全路線が適用対象外であった。

沖バス、琉バスの両社が共同運行から新社設立に踏み込んだ背景には、北部地域路線が財政上最大の“重荷”であるという危機感とともに、共同運行では「地方バス路線維持費補助制度」の適用が受けられないということがある。生活路線の赤字を国や県が穴埋めする補助制度は、一地域一社、または路線競合率50%以下が適用対象。

琉球バス、沖縄バス「北部新社」の設立成るか/4社統合の突破口へ/遅くとも来年9月までに(1997年6月29日 沖縄タイムス)

最初の構想は1985年ごろ

こういった事情もあり、北部支線を1社にすることで補助金を受けられるようにするという考えは、古くからバス会社の中にはあったようで、最初の分社化構想は1985年に出されている。

その過程で、1985年5月、琉球バス・沖縄バスによる「北部新会社」構想が出された。本島北部の非採算路線9路線を運行回数で42%、車両数で40%削減するというこの計画は、組合や北部市町村会の強い反対にあい、6月には白紙撤回されたが、合併交渉の最中にこのような提案がされること自体異例で、会社の姿勢に対して地域住民の強い疑問を残すことになった。

バスラマ・インターナショナル11号(1992年4月 ぽると出版発行)p.29~30

上記にもあるように、減便が主目的となっていたことに加え、当時、沖縄県の主導により、琉球バスと那覇交通の統合が進められていた中で、分社化という合併とは逆行する計画であったこともあり、県、市町村からの賛同は全く得られず、早々に計画は白紙となった。

去る5月中旬、琉球、沖縄両バス統合による北部支線運行のための新会社設立案が報道され、関係地域に大きな衝撃波として広がりましたが、同案はつまるところ、不採算路線を切り捨てることであり、地域振興にも重大な影響を及ぼすことは論をまちません。赤字の北部支線を切り離して、琉球バスと沖縄バス統合による新会社を設立するという両社の案は、私たち利用者には余りにも唐突として出てきた感じを持つものであります。なぜなら県の方針は2社集約であり、当面はその第1段階として西銘知事の提言で取り組まれている琉球バスと那覇交通の合併がどのように具体化するかが焦点となっていたからであります。赤字の特定地域を切り離すなどといった話は全く聞いておりません。北部支線切り離しのねらいは、政府の過疎対策補助金を引き出していくための体制づくりであると言われ、去る5月14日付琉球バス、沖縄バスの両社長名で送った関係市町村への協力依頼でもそのことが挙げられています。北部市町村長会は、この会社案にいち早く反対を表明し、関係当局に要請行動をとり、また北部の関係高校においては早速きめ細かい利用状況の調査をなし、去る6月11日、校長、教頭連絡会を持って対処策を練っております。

沖縄県議会 1985年(昭和60年)第7回定例会-7月5日-3号
太字は筆者によるもの

昭和60年5月13日 琉球バスと沖縄バスの北部支線を切り離す別会社構想が明らかになる。
昭和60年6月12日 私鉄沖縄と琉球・沖縄バスは「北部新会社設立の白紙撤回」に合意した。

バス合併問題の経過(1985年7月31日 沖縄タイムス)

1993年12月より共同運行開始

1回目の分社化構想は早々にとん挫したが、赤字路線を維持するための、運行効率化を目的とした共同運行化が1993年12月28日より開始された。
この共同運行化により、全体の運行本数自体は減便となったものの、同時に2社のバスが運行されるダイヤが無くなったことや、共通定期券の導入などにより、乗客からすると実質1社になった形となり、利便性は向上したようである。

琉球、沖縄バス2社は28日から北部全路線で競合路線を廃止、共同運行する。25日、那覇市内のバス協会で両社代表が発表した。これによって、総運行台数は減るものの、同時に2、3台がバス停に来ることがなく、通勤・通学時間帯に支障がないように調整。また利用者は定期券を両バスに使用できると同時に効率運行、定時運行のサービスが受けられる。会社側は重む一方の赤字幅が改善されるものと期待している。

琉球バス 沖縄バス 北部で共同運行/28日に発車「オーライ」(1993年12月26日 沖縄タイムス)

参考までに、共同運行前の2社の北部支線を以下に示す。

共同運行前の北部支線の運行状況
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

上記を見てもなんとなくわかるが、かなりの区間で2社による重複となっており、共同運行開始前の競合率(他社のバス路線と重複する区間の割合)は、琉球バスが69.7%、沖縄バスが72.2%であった$${^1}$$。
共同運行化により、当然ながら100%の重複となるが、運行本数を半分ずつ担当し、運行便での乗客数に関わらず収入は折半となることから、バス会社的にも赤字改善に多少はつながったようである。

そこで琉球バスとの共同運行が話し合われ、1993(平成5)年6月、北部支線共同運行の協定書を交わし、同年12月より実施した。これにより、無駄な競争や対立もなくなり、定時運行が確保され、サービス向上に効果をあげた。琉球バスとは運行回数も2分の1ずつ、収入も折半することになった。

沖縄バス60年のあゆみ(2011年3月 沖縄バス発行)p.40~41

この共同運行は、2023年9月現在も続いており、本来であれば会社を跨いだバス路線のダイヤ調整や運賃収入の折半は、独占禁止法に引っかかるところであるが『生活路線維持のための共同経営』を目的とした「道路運送法に基づくカルテル(独占禁止法適用除外)」として、公正取引委員会からの認可を受けている$${^2}$$。

なおこれは余談であるが、沖縄バスが単独で運行していた区間は、2023年9月現在もほぼ全区間のバス路線が維持されている一方で、琉球バスが単独で運行していた区間のほぼ全区間が廃止となっていることから、結果論かもしれないが、各社の路線網の設定も、倒産した琉球バスと、倒産を経験していない沖縄バスの違いとして現れているのかもしれない。

1997年ごろに2回目の分社化構想

1993年の共同運行は効率化には繋がったが、結局のところ2社による運行であることには変わりないことから、相変わらず全路線が補助金適用の対象外であった。
そのため再度、2社による新会社設立の構想が1997年にあがった。

琉球バス(長浜弘真社長)と沖縄バス(大城孝心社長)は、沖縄本島北部の両社のバス路線を分離し、新会社を設立することで合意したことが25日までに明らかになった。両社は7月上旬にも「北部新会社設立統括委員会」を発足させ、具体的な検討を開始する。琉球バスの長浜社長は「遅くとも1998年9月までに新会社を設立したい」と話しており、2003年度の都市モノレールの開業前をめどとした両社と那覇交通、東陽バスのバス4社が進める路線バスの統合・合併に弾みをつける動きともなりそうだ。

北部で新会社設立/琉球バスと沖縄バス合意/来秋めど 第3セク目指す(1997年6月26日 沖縄タイムス)

この構想は1回目の時とは異なり、路線バスの認可元である沖縄総合事務局の指導もあったようで、学識有識者も含めた「北部新会社設立委員会」を設立し、具体に1998年9月1日の会社設立を目指すという具体的なものであった。

沖縄バス(大城孝心社長)と琉球バス(長浜弘真社長)は10日、両社が共同運行している北部11路線を分社化し、新会社を設立することで正式に合意した。北部新会社設立委員会を設置して分社化作業を進め、来年9月1日の発足を目指す。今月22日に初会合を開き、資本金や出資比率、人員体制など新会社の概要について具体的な協議を開始する。同設立委員長に就任した大城沖バス社長は「北部6市町村や周辺離島村にも出資を求めたい」と述べ、第3セクター方式を視野に入れていることを明らかにした。
 (中略)
北部新会社設立委員会は、両社役員が委員となる北部新会社設立統括委員会、事務局、専門部会で構成するほか、弁護士や公認会計士、学識経験者などによる指導委員会も設置。総務部会・財務部会・運輸部会の3つの専門部会で具体的な作業を進めていく。

沖バスと琉バスが新会社設立で合意(1997年7月11日 琉球新報)

1回目の分社化時とは異なり、順調に進みそうであったこの構想であるが、1998年7月時点で1ヶ月設立が遅れることとなり$${^3}$$、さらに1998年9月時点では時期未定で先延ばしとなった$${^4}$$。
2回の延期とも事務手続きの問題と報道されたが、沖縄バス創立60周年誌によると、この分社化構想とほぼ並行して、那覇交通と東陽バスを含めた、沖縄本島の4社バス会社統合の構想があったようで、やはり分社化とは逆方向の統合の話が優先され、新会社設立の構想は自然消滅してしまったようである。

1997(平成9)年、準備室を開設し、実現に向けて幾度も協議を重ね、車両台数、従業員数、運転手の数、賃金等々具体的に案ができあがっていった。新会社の名称も両社で従業員から公募し、「やんばるバス」とほぼ決まりかけていた。そうこうするうちに、乗合バス4社の統合問題が浮上し、それが国からの融資で実現できそうな情報等が流れ、北部新会社設立の計画は自然消滅してしまった。会社の存続をかけ、経営改善策としての計画であったが、まぼろしのやんばるバスとなってしまったのである。

沖縄バス60年のあゆみ(2011年3月 沖縄バス発行)p.45

3回目の分社化構想は無さそう

4社統合を理由に白紙となってしまった北部支線の分社化構想であるが、そもそもの4社統合も、2002年12月に県の融資を得られないことで資金不足となり、実現することはなかった$${^5}$$。
加えて、2002年2月に道路運送法が改正され、バス路線の改廃が許可制から届け出制に変わったことにより、2002年3月末をもって71番・運天線、2003年3月末をもって74番・名護東部線、2004年9月末をもって69番・奥線と、相次いで北部支線が廃止された。

なお、この相次ぐ廃止と前後して2003年10月には「沖縄県生活バス路線確保対策補助金」の支給制度が新設されており$${^6}$$、2012年3月に新設された「沖縄県地域公共交通(陸上交通)確保維持改善事業費補助金」の支給制度$${^7}$$と共に競合率に関する要件が緩和(1日の利用者数が150人以上の場合のみ競合率が影響)されたことから、現状の共同運行でも、北部支線7路線のうち6路線に補助金が支払われている$${^8}$$ようなので、3回目の分社化構想はしばらくは出てこないであろう。

脚注

  1. 琉球バス 沖縄バス 北部で共同運行/28日に発車「オーライ」(1993年12月26日 沖縄タイムス)

  2. 令和4年度公正取引委員会年次報(2023年 公正取引委員会)p.198

  3. 北部のバス新会社/設立遅れる見通し(1998年7月29日 沖縄タイムス)

  4. 新会社"発車遅れ"/沖縄・琉球の北部路線バス(1998年9月30日 沖縄タイムス)

  5. 沖縄バス60年のあゆみ(2011年3月 沖縄バス発行)p.47

  6. 沖縄県生活バス路線確保対策補助金 交付要綱(沖縄県Webサイト)

  7. 沖縄県地域公共交通(陸上交通)確保維持改善事業費補助金 交付要綱(沖縄県Webサイト)

  8. 陸上交通(バス路線の確保・維持)(沖縄県Webサイト)

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