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15番・寒川線の歴史を調べてみた
那覇バスが運行する15番・寒川線は、沖縄県南風原町の新川営業所を起点とし、那覇市の真地団地、寒川を経由して、三重城を終点とするバス路線である。
このバス路線は、運行開始当初は那覇市内線であったものの、後に那覇市外線となり、再び那覇市内線となり現在に至っている。
1982年に那覇市内線として運行開始
15番・寒川線の運行開始は、1982年1月4日のことである$${^1}$$。当時の運行ルートは、三重城営業所(現・三重城)を起点とし、商業高校前、牧志(現・てんぶす前)、寒川を経由して、真和志高校前で折り返すルートであった。
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現在の坂下琉生病院前から那覇インター前までの、金城ダム通りを通る約2kmが独自ルートであった。
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1982年6月末当時の運行本数は、1日16本であった。また、この時点では那覇市内のみを走行する路線であり、那覇市内線としての扱いであった。
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昭和56年度 業務概況(1982年8月 沖縄県陸運事務所発行)p.23より抜粋
1983年に真地団地まで延長し那覇市外線に変更
運行開始から約1年後の1983年1月6日には、真和志高校前から先の真地団地にまで延長された$${^2}$$。延長後も変わらず、1日16本であった$${^2}$$。
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この延長に伴い、15番・寒川線は、那覇市内均一運賃区間の境界バス停であった真和志高校前を越えて運行されるため、那覇市外線へと変更となっている$${^3}$$。延伸区間の大半は、行政上の区分では那覇市内になるので、新たに那覇市内均一区間にこれらのバス停を追加すればよいようにも思えるが、一日橋が、那覇市内ではあるものの、既に他社も利用する那覇市内均一区間外のバス停となっていたため、追加できなかったという事情があったのだろうか。
車両も市外線用の「前乗り前降り仕様」の車両が使用されたが、国際通り内では、引き続き市内線専用の牧志(現・てんぶす前)と松尾(現・松尾一丁目)への停車であった。
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懐かし写真。
— ワシが路線バス塾塾長である!!!! (@856HFZ7Cmluoncl) May 12, 2024
那覇交通の主力だったBU。
沖縄に初めて行った2000年に撮影。
まだまだ主力として活躍していた730車。
保存車が無いのが惜しまれる。
噂には聞いていたが、初沖縄は古い車両の巣窟で、なかなかの衝撃でした😄😄 pic.twitter.com/HPFdCa3slD
なお、延長は住民からの要望だったようだ。また15番・寒川線が那覇市外線となったためかは不明だが、同日より、那覇市内均一区間内であれば、市外線においても市内線の回数券が利用できるようになった。
寒川線は、現行の真和志高校前が最終点になっているのを延長、上間-一日橋-真地団地入り口-盲学校前-真地団地-識名団地入り口経由にする。同路線は、新興住宅が多く地元からバス路線の乗り入れの要望が出ていた。
一方、サービス改善策として、市内、市外の回数券は共通して両方で使用できるようにする。
2006年に新川営業所起点に変更
1983年1月の真地団地への延伸から20年以上が経過した2006年9月25日には、起点が新川営業所へと変更された。これは、これまで起点となっていた三重城営業所の閉鎖に伴うものである。
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新川営業所から真和志高校前の間も営業区間として運行されることになり、新川営業所を出発すると、真地団地に立ち寄ってから、寒川に向かうようなルートとなった。
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上間~識名団地入口の間は、片周りの運行であるため、1つのバス停に三重城行きと新川営業所行きの2つの時刻表が掲載されている。
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(2011年9月 識名団地入口バス停にて撮影)
2009年に那覇市内線として復活
ほぼ那覇市内しか走らないのに那覇市外線であるという違和感があった15番・寒川線であるが、2009年3月23日より経路は全く変わらず、那覇市内線に戻ることとなった。
那覇市内線に戻るということは、運賃も全区間で市内線均一運賃となるのだが、区間によっては値上がり、区間のよっては値下がりとなった。例えば、真和志高校前から一日橋は、当時の市外線初乗り運賃である160円だったものが、当時の市内線均一運賃である220円と値上がりとなり、真地団地入口から県立医療センター前は、市外線の対キロ運賃制により260円だったが、市内均一運賃となるため220円へと値下がりとなった。ただ前者のような利用者はほぼいないであろうから、多くの利用者からすれば値下げになったのかもしれない。
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運行本数は減便傾向
1982年の運行開始当初は1日16本が運行されていたが、1999年10月時点で1日8本に半減しており、那覇交通から那覇バスへの移管された2004年7月18日のダイヤ改正で1日4本とさらに半減された。
以後、1日4本のままで現在に至るが、利用者数も少なく、減便されることはあっても増便の予定はなさそうである。
◆前泊美紀 議員
3、交通行政について。
本市議会の平成22年2月定例会におきまして、松城中学校の生徒たちから那覇バス寒川線(系統番号15番線)の増便について」、「地域がより暮らしやすくなるモノレール利用について」の2件の陳情があり、建設常任委員会の温かい審査を経て、また採択を経まして、本議会で全会一致で採択されました。
委員会記録によりますと、当局としては、本年3月に策定された那覇市交通基本計画に反映できればということでありますが、その後の進捗について伺います。
(1)本2件の陳情について、バス、モノレール各社にどのように伝え、どのような回答を得たのかお伺いします。
(中略)
◎翁長聡 都市計画部長
前泊美紀議員の個人質問3番目、交通行政について順次お答えします。
(1)について、松城中学校の生徒からの陳情を受け、平成22年2月に那覇バス株式会社へ伝えたところ、「乗降調査を実施した結果、利用者が少なく採算的に厳しいため、現段階では増便は考えていない」との回答がありました。
太字は筆者によるもの
寒川線以前の系統番号15番は?
ここからは余談であるが、別の記事でまとめたように、沖縄本島の路線バスに系統番号が付与されたのは、1972年~1975年である。
15番・寒川線の運行開始は1982年であるので、1975~1982年の間は、系統番号15番は欠番だった・・・というわけではなく、かつては別の路線に当てられていた。
系統番号が付与された当初であろう1975年当時は、系統番号15番は「開南本線」という路線に当てられていた$${^4}$$。この路線は、当蔵営業所(現・首里公民館前)を起点とし、開南を経由して、那覇港に至る路線であった$${^4}$$。1日126本という高頻度運行であった$${^5}$$。
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15番・開南本線は、もともとは首里バスが運行していたバス路線であり、起点としていた当蔵営業所も首里バスの本社であった。1974年8月1日に那覇交通が首里バスを吸収合併した後も、当蔵の営業所機能は残され、1975年当時も路線自体も存続したようである。
その後の1976年5月1日の那覇市内線の大再編により、15番・開南本線は、15番・開南線となり、三重城営業所(現・三重城バス停)を起点とし、開南を経由して、首里地区を循環し、折り返す路線へと変更された$${^6}$$。なお運行本数は1日101本となり$${^6}$$、若干減便されたものの高頻度運行が維持された。
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ただ他路線との重複区間が多かったためか、翌1977年9月30日をもって、17番・石嶺線に吸収される形で廃止されている$${^7}$$。
15番・開南線の廃止後は、15番という系統番号が使用された形跡がないため、1977年10月から1982年1月までの約4年半は欠番だったようである。
脚注
待望の市内「寒川線」/来月4日から運行 那覇交通(1981年12月30日 沖縄タイムス)
首里-小禄直通も/那覇交通 あすからバス新路線(1983年1月5日 沖縄タイムス)
(広告)銀バス新路線登場!!(1983年2月1日 沖縄タイムス)
バス・タクシー・ハイヤー運賃及び粁程表(1975年7月 沖縄観光速報発行)
昭和50年度 業務概況(1975年7月 沖縄県陸運事務所発行)p.23
(広告)今日から那覇市内路線が変わりました。(1976年5月1日 沖縄タイムス)
那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.99
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