瀬底島と路線バスの歴史
瀬底島とは沖縄県本部町に所属する離島である。かつては沖縄本島とは船で行き来していたが、1985年2月に本島とを結ぶ瀬底大橋が供用しており、現在は路線バスも乗り入れている。
そんな瀬底島への路線バスの歴史を整理してみた。
瀬底大橋開通後に路線バスの乗り入れ要望
本部半島と瀬底島を結ぶ瀬底大橋が供用されたのは、前述の通り1985年2月のことである。ただ、橋の供用と同時に路線バスが乗り入れたわけではなく、まずは沖縄県からの要望があったようだ。
瀬底大橋供用後の1985年10月の沖縄県議会にて、下記のように瀬底島への路線バス乗り入れが要望されている。
伊豆味線が瀬底島へ乗り入れを開始
瀬底島への路線バスの乗り入れは1986年6月15日のことである$${^1}$$ $${^2}$$。
上記の県議会録では、乗り入れ候補の路線として沖縄バスの伊豆味線が名指しされていたが、この名指し通り76番・伊豆味線が終点を延長して、瀬底島へ乗り入れることとなった。
瀬底島への乗り入れ前の伊豆味線
瀬底島乗り入れ前の76番・伊豆味線は、名護市の名護バスターミナルを起点とし、路線名にもなっている本部町伊豆味を経由して、同町の渡久地を終点とする路線であった。現在は伊豆味経由となっている70番・備瀬線は、1980年当時は海岸沿いのルートであり、伊豆味を経由するのは、76番・伊豆味線のみであった(正確には93番・海洋博記念公園行き急行バスが経由していたが、名護~渡久地間は無停車であった)。当時のルートを以下に示す。
1980年3月末時点で、伊豆味線は1日6本運行されていた$${^3}$$。なおこの当時は、北部支線は琉球バスと沖縄バスが独自に路線を運行していた時代であり、76番・伊豆味線は沖縄バスの1社単独運行路線であった。
瀬底島乗り入れ後も路線名は変わらず
前述のように、県からの要望もあり1986年6月15日に76番・伊豆味線が瀬底島へ乗り入れることとなった。当時の終点であった渡久地バス停から、瀬底島の瀬底バス停までの約4kmが延長区間である。
1988年6月末時点のバス路線一覧$${^4}$$によると、終点は瀬底になったものの、路線名は変わらず「伊豆味線」であった。また本数も渡久地終点時代から変わらず1日6本の運行が維持されていたようである。
瀬底線となったのは1993年の共同運行開始時
琉球バスと沖縄バスにより単独で運行されてきた北部支線が、2社による共同運行となったのは1993年12月28日のことである。76番・伊豆味線も例外なく、これまでの沖縄バスに加えて、琉球バスが運行に参入し、2社で共同運行されることとなった。またこの際に、路線名が「伊豆味線」から「瀬底線」へと変更されたほか、運行本数は微減の1日5本となっている$${^5}$$。なおこの際に、70番・備瀬線は伊豆味経由へと変更されたことにより、70番・備瀬線と76番・瀬底線はルートの大半が重複することとなった。
赤字路線として76番・瀬底線は廃止候補に
瀬底島への唯一の路線バスである76番・瀬底線であったが、赤字路線であったようで2002年4月には廃止の候補に挙がった。
同年12月には、大部分が重複する70番・備瀬線と76番・瀬底線はどちらかを残せばよいのではという考えになっていたようである。
実際、当時の名護市議会録によると、名護市にとっては70番・備瀬線を残し、76番・瀬底線は廃止しても良いと読み取れるような記述がみられる。
2003年の改正で廃止はされなかったが大幅に減便
廃止騒動があった70番・備瀬線と76番・瀬底線であるが、本部町側の利用者を考慮すると、どちらかを廃止という結論は出せなかったようで、現在に至るまで両路線とも存続している。ただ、2003年10月1日のダイヤ改正で、76番・瀬底線は、1日5本から朝夕の1日2本のみと大幅に減便となった。
瀬底線が走らなくなった日中であるが、代替として65番/66番・本部半島線に瀬底経由が新設され、それぞれ1日1本のみが瀬底島へ乗り入れるようになった。
その後のダイヤ改正でも、一応、瀬底島へは1日4本の路線バスが確保されている状態で存続されている。
脚注
沖縄バス30年のあゆみ(1981年6月 沖縄バス発行)p.40
昭和63年度 業務概況(1988年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.28
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