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名護バスターミナルの歴史

名護バスターミナルは、琉球バス交通と沖縄バスが営業所を置き、沖縄本島北部の路線バスの拠点となるバスターミナルである。
初代バスターミナルは、1959年に開設されたが、その後に2度移転しており、現在は3代目バスターミナルである。


初代名護バスターミナルは1959年8月に開設

初代名護バスターミナルの開設は1959年(昭和34年)8月26日のことである。当時、名護市内に営業所を設置していた昭和バス(琉球バスの前々身)と沖縄バスの2社によって設置された。

8月26日は名護・バスターミナルが翌27日には那覇・バスターミナルの落成式が行われ、那覇は9月1日から店開き、花やかなスタートを切った。
 (中略)
一方、名護バス・ターミナルは昭和、沖縄バス両社によって建設されたもので、名護町大西区に1,785坪の敷地を確保し、昭和バス営業所35坪、沖縄バス営業所30坪、共同待合室35坪で59年7月1日に着工、総工費24,000ドルで8月に完成した。

沖縄 交通機関の歩み 戦前・戦後編(1979年7月 大城辰雄 著)p.52

初代バスターミナルが設置される以前は、昭和バスと沖縄バスがそれぞれ別の場所に営業所を設置し、同じ行き先だったとしても、それぞれの営業所からバスが出発する方式だった。なお沖縄バスの名護営業所(名護支店)は、現在の名護十字路付近に設置されていた$${^1}$$ようだが、詳細な場所は不明である。

初代バスターミナルは現在の大西バス停付近

初代名護バスターミナルの住所は、1972年9月時点のバスターミナル一覧表$${^2}$$によると「名護市字名護539」であるが、これは1991年1月の住居表示により現在は「名護市港一丁目15番$${^3}$$」である。現在の大西バス停の近くであり、地図で示すと以下である。

初代名護バスターミナルが存在した1971年3月当時の航空写真を以下に示す。

初代・名護バスターミナル 1971/03/24撮影
(国土地理院の空中写真【MOK701X-C11-11】を筆者が加工)

初代名護バスターミナルが立地していた場所は、当時の名護市の中心地であり、現在でも名護バスターミナルを発着するバス路線の多くが通過するエリアである。
なお、初代バスターミナルが立地していた大西通りには、現在でも沿道の店舗が加盟する「大西通り会」が存在するが、当初の名称は、名護バスターミナルに由来する「ターミナル通り会」だったようである$${^4}$$。

2代目バスターミナルは1975年に暫定開設

沖縄バス創立60周年記念誌によると、1983年に名護市宮里にバスターミナルが竣工したとある。これは現在の名護バスターミナルのことであり、3代目名護バスターミナルであるが、この文章には続きがあり、3代目に移転する前は『名護市昭和原』にあり、これは海洋博開催時の『仮バスターミナル』であったと記述がある。

名護バスターミナルが1983年9月、名護市宮里に竣工した。これまで名護市昭和原にあったバスターミナルは海洋博開催に向けての仮バスターミナルであったので、移転地を探していた。

沖縄バス60年のあゆみ(2011年3月 沖縄バス発行)p.36~37

この『仮バスターミナル』は、海洋博会場への直行バスの発着地に使用されたようだが$${^5}$$、一般の路線バスもこの『仮バスターミナル』発着に変更されたようである。

第4点、市内バス路線についてでございますが、海洋博のため臨時に市の埋立地にバスセンターが移ったために、市内バス路線が変更になっております。そのため十字路から名護高校に通ずる道路の商店街の客足が少なくなって困っております。市長も考えていると思いますが、もっと研究改善する意思はないかお伺いいたします。

名護市議会 1975年(昭和50年)第20回定例会-09月25日~9月30日-5号

よって、名護市昭和原に設置された『仮バスターミナル』が、2代目名護バスターミナルである。開設日は、海洋博の開催初日である1975年7月15日だと想定される。
なお前述の通り、沖縄バスは一時的な「仮バスターミナル」という認識であり、名護市としても1年間のみ使用する「暫定バスターミナル」の認識であった。

議案第46号 埋立地(昭和原)を暫定バスターミナルとして貸付けることについて
埋立地(昭和原)を次のとおり沖縄バス協会に貸付をすることについて、議会の承認を求めます。
昭和50年5月17日提出
名護市長 渡具知裕徳

      記
1.目的 海洋博観客輸送の万全を期するため、暫定バスターミナルを建設するため
2.貸付相手方 沖縄バス協会
3.貸付場所 名護市埋立地(昭和原)
4.貸付面積 33,000m2(1万坪)
5.貸付期間 昭和50年5月から1年間

名護市議会 1975年(昭和50年)第34回臨時会-05月17日-1号
太字は筆者によるもの

2代目バスターミナルは現在の名護市民会館

2代目名護バスターミナルの住所は、沖縄バス創立30周年記念誌$${^1}$$によると「名護市字名護6492-1」であるが、これは1991年1月の住居表示により現在は「名護市港二丁目1番1号$${^3}$$」である。現在は名護市民会館が立地しており、地図で示すと以下である。

2代目名護バスターミナルが存在した1977年12月当時の航空写真を以下に示す。

2代目・名護バスターミナル 1977/12/07撮影
(国土地理院の空中写真【COK771-C27-6】を筆者が加工)

埋立地であろうエリアにかなり広大なバスターミナルが確認できる。なお、初代バスターミナルの跡地は、きれいに更地となっていることも確認できる。

ちなみに、初代名護バスターミナルの敷地面積は「5,812.73m2$${^3}$$」であるのに対し、2代目バスターミナルの敷地面積は「33,000m2$${^6}$$」と、5倍以上に拡大している。これは恐らく、海洋博の臨時直行バスの発着に耐えられるスペースが必要であったためであろう。

3代目バスターミナルは1983年9月に開設

3代目名護バスターミナルの開設は、1983年9月5日のことである$${^7}$$。これが現在も使用されている名護バスターミナルである。
1989年3月当時の航空写真を以下に示す。

3代目・名護バスターミナル 1989/03/01撮影
(国土地理院の空中写真【OK881X-C12B-2】を筆者が加工)

現在地と同位置にバスターミナルが移転していることが確認できる。2代目バスターミナルの敷地には既に名護市民会館が完成しているのも確認できる。

敷地面積は「10,000m2$${^7}$$」であり、2代目名護バスターミナルの1/3以下である。ただ、少なくとも初代名護バスターミナルの約2倍の広さを確保している上に、一般の路線バスの発着だけであれば、これだけの敷地があれば十分なのであろう。

市街地の拡大に伴いバスターミナルも移転

2023年時点の航空写真に、初代、2代目、3代目の名護バスターミナルを示す。名護市の市街地は、名護バイパスの整備等により、徐々に西側に向けて拡大していったが、名護バスターミナルも市街地の拡大に伴い、西へ移動していったのが確認できる。

初代~3代目・名護バスターミナル 2023年撮影
(国土地理院の空中写真を筆者が加工)

脚注

  1. 沖縄バス30年のあゆみ(1981年6月 沖縄バス発行)p.11、46

  2. 昭和47年度 運輸要覧(1972年10月 沖縄総合事務局運輸部発行)p.62

  3. 名護市 新旧住所の対象簿について(名護市Webサイト)

  4. What's 商工会 大西通り会(名護市商工会Webサイト)

  5. 昭和50年度 業務概況(1975年7月 沖縄県陸運事務所発行)p.72

  6. 名護市議会 1975年(昭和50年)第34回臨時会-05月17日-1号

  7. 平成16年度 運輸要覧(2004年12月 沖縄総合事務局運輸部発行)p.219


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