うるま市天願・昆布地区を経由するバス路線があった
沖縄県うるま市(旧・具志川市)には「天願」「昆布」という地域がある。
前者は、うるま市役所などがある「みどり町」の北側に隣接するエリアで、かつて存在した米軍の「天願通信所」や現在も存在する同じく米軍の「天願桟橋」の由来となった地域である。
後者は、「天願」の北西に隣接するエリアで、昆布の生産地で有名・・・というわけではなく、「くぼ地の原(=クーブバル)」に、同じ音である「昆布」という漢字を充てたことに由来する地域である。
現在は、うるま市が運行している公共施設間連絡バスやスクールバスのみが通り、公共交通の利便性がよくないエリアであるが、かつては民間バス会社による路線バスが走っていた。
最初に天願地区へ乗り入れたのは琉球バス
初めて天願地区に乗り入れたのは、琉球バス交通の前身である琉球バスである。
23番・具志川線などの具志川バスターミナル発着路線の一部が、天願地区に新設された具志川市役所前などを経由するルートに変更され、1989年10月8日より乗り入れを開始した。当時の路線バス運行区間を以下に示す。
ただ乗り入れたのは天願地区の南側の一部のみで、しかも、この区域は1990年1月16日の住居表示によって、住所上は、新設された「みどり町」へと分割されている$${^1}$$ことから、約3か月で再び(住所上の)天願地区は、路線バスが走らない地区となってしまった。
なお、この時点でも「昆布」地域は路線バスが乗り入れていなかった。
沖縄バスが天願・昆布地区へ乗り入れを開始
再び天願地区へ路線バスが乗り入れを開始したのは、1991年2月のことである。那覇市の那覇バスターミナルと名護市の久志バスターミナルを結んでいた沖縄バスの22番・久志線の一部便が、天願経由となることで乗り入れを開始した。
当時の天願周辺の路線バス運行区間を以下に示す。
この乗り入れと同時に、路線バスが走っていなかった昆布地区へも路線バスが乗り入れることとなった。また新しく7つのバス停が設置された。
22番・久志線の運行本数は1日37本$${^2}$$であったが、そのうち天願経由は1日4本$${^3}$$のみであった。
那覇交通も天願・昆布地区へ乗り入れ開始
沖縄バス以外にも、那覇バスの前身である那覇交通も天願・昆布地区へ乗り入れを行っていた。那覇市の那覇バスターミナルと旧・石川市(現在のうるま市石川)の石川バスターミナルを結ぶ26番・石川(安慶名)線が乗り入れていた。沖縄バスのように既存の路線に天願・昆布地区を経由する系統を新設するのではなく、天願・昆布地区を経由するルートが本線である路線として新設された。
那覇交通の26番・石川(安慶名)線の運行開始(那覇交通の天願・昆布地区への乗り入れ開始)の時期は不明であるが、1990年3月末時点のバス路線一覧$${^4}$$には記載が無く、1993年3月時点のバス路線一覧$${^2}$$には記載があることから、1990年4月~1993年3月の運行開始である。もしかすると沖縄バスの乗り入れと同時で、1991年2月だろうか。
26番・石川(安慶名)線の運行本数は、1日12本$${^2}$$と、22番・久志線の天願経由(1日4本)の3倍であった。ただ、那覇交通の那覇バスターミナルと石川バスターミナルを知花経由で結んでいた兄弟路線である、24番・石川(大山)線は1日51本$${^2}$$、25番・石川(首里)線は1日71本$${^2}$$と1時間に4~6本が運行される頻発路線であり、それと比較すると、26番・石川(安慶名)線は1時間に1本あるかないかというかなり少ない運行本数であった。
なお細かい話ではあるが、天願・昆布地区では、沖縄バスと那覇交通は、全く同じ経路ではあったものの、沖縄バスは「天願」経由、那覇交通は「昆布」経由として扱っていたようである。
方向幕の経由地も、那覇交通は「昆布」であった。沖縄バスの写真は見つけきれていないが、沖縄バス創立60周年記念誌の書きぶりからすると「天願」だったのだろう。
沖縄バスは1995年に撤退
先に天願・昆布地区から撤退したのは沖縄バスである。1995年5月28日をもって撤退している。
本線は残したまま、天願経由だけが廃止されたというわけではなく、天願経由が設定されていた22番・久志線自体が廃止になったためである。
廃止された22番・久志線に代わり運行を開始した22番・安慶名線は、うるま市みどり町に新設された安慶名駐車場が終点となったことから、必然的に天願・昆布地区へは乗り入れることは無かった。なお、22番とは那覇バスターミナル~久志バスターミナルでルートが共通だった77番・名護東線は、引き続き運行されたが、天願経由が77番・名護東線に新設されることは無かった。沖縄バスとしては、天願・昆布地区の需要は無いという判断であろうか。
那覇交通は1997年に撤退
那覇交通の天願・昆布地区からの撤退は1997年7月19日のことである。これは那覇交通の石川バスターミナル閉鎖に伴う、路線廃止によるものであり、天願・昆布経由であった26番・石川(安慶名)線は全廃、知花経由であった24番・石川(大山)線と25番・石川(首里)線は1日10本ずつを残すのみとなった。
沖縄バスより、1991年2月に始まった天願・昆布地区への路線バス乗り入れは、那覇交通の1997年7月をもっての撤退に伴い、約6年で終了した。
2023年現在の天願・昆布地区の公共交通
那覇交通撤退後の天願・昆布地区における公共交通であるが、個人経営者による有償バスへと引き継がれたようである。路線バスと同様に一般住民を対象として、ルートは大幅に短縮された川崎小学校前~昆布で運行されていたが、採算は取れなかったようで、2004年3月をもって廃止となっている。
現在は、園児・児童を対象としたスクールバスが、有償バスと同様に川崎小学校前~昆布でうるま市により運行されている$${^5}$$ほか、ルートは異なるが同じくうるま市によって運行されている、公共施設間連絡バス(無償運行)の具志川-石川線$${^6}$$が天願・昆布地区に乗り入れている。
天願・昆布地区に残る形跡
天願・昆布地区に路線バスが走らなくなってから、2023年6月現在で約25年が経過しているが、かつて路線バスが走っていた痕跡が2つ残っている。
1つ目は北丘自動車学校前で、石川向けのみバスベイが残っている。なおほかのバス停については、便数が少なかったせいか、そもそも設置されていなかった可能性もある。
2つ目は天願小学校入口で、石川向けのみバス停の標柱がそのまま残っている。公共施設間連絡バスも停車しないのだが、なぜかここだけが撤去されずに放置されている。
注釈
平成5年度 業務概況(1993年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.22~23
バス運行時刻表(1993年12月 沖縄県バス協会発行)p.152
平成2年度 業務概況(1990年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.23
うるま市議会 平成23年6月 定例会(第62回)06月27日-03号
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