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40番・大里線の歴史を調べてみた

40番・大里線とは、沖縄県那覇市にある那覇バスターミナルと南城市にある南城市役所を結ぶ、沖縄バスの路線バスである。
以下にルート図を示す。

2023年5月現在の大里線のルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

現在の40番・大里線は那覇バスターミナルと南城市役所を結ぶ1系統のみで非常にシンプルであるが、かつては経由地や発着地が異なる複数の系統が存在していた時期があった。

大里線の歴史を一覧で整理

詳細は後述するとして、まずは各種資料から判明している大里線の歴史を一覧で整理してみた。

  • 1958年10月5日:40番・大里線の運行を開始(那覇~大城間での運行)$${^1}$$ $${^2}$$。

  • 1962年9月12日:終点を親慶原に延長$${^1}$$。

  • 1966年9月17日:糸数発着系統の運行を開始$${^3}$$。

  • 1976年7月28日:泊高橋経由から開南経由への変更が認可$${^1}$$。

  • 1983年3月:糸数発着系統の廃止が認可$${^4}$$。

  • 1983年4月10日:グリーンタウン発着系統の運行を開始$${^5}$$。

  • 1990年10月:グリーンタウンに駐車場を移転$${^4}$$。

  • 1998年1月6日:向陽高校発着系統の運行を開始$${^4}$$ $${^6}$$。

  • 2019年9月31日:第二団地経由系統の廃止$${^7}$$。

  • 2020年3月31日:大城発着系統の廃止$${^8}$$。

運行開始当初は久茂地経由だった

沖縄バス創立30周年記念誌$${^1}$$によると、大里線の運行開始は1958年10月5日のことである。
現在のルートは、那覇バスターミナルを出発すると、県庁南口、開南を経由して真和志小学校前へ向かうが、1966年の市街バス経路調査結果の資料$${^2}$$によると、かつてのルートは、那覇バスターミナルを出発すると、沖縄タイムス前、泊高橋、安里、姫百合橋を経由して真和志小学校前へ向かうルートであった。現在で言う久茂地経由である。なお同じ資料によると、35番・志多伯線も同様のルートだったようだ。
以下に当時の想定されるルートを示す。

運行開始当初の大里線のルート(青線)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

開南経由で南部に向かう路線のほとんどは、開南から与儀十字路を右折し、古波蔵経由となるが、大里線や志多伯線とこれらの派生路線は与儀十字路を直進し、寄宮経由となっている。「なぜこの2路線だけが?」と思っていたのだが、かつては他の南部方面の路線とは異なり久茂地経由であったことから、与儀~国場間の経路も別ルートになっていたのであろう。
この久茂地経由は、沖縄バス創立30周年記念誌$${^1}$$によると、「1976年7月28日に開南経由への変更が認可」との記述があることから、1976年に現在のように開南経由に変更されたのだと思われる。

糸数発着系統が存在した

かつては南城市大里糸数地区を終点とする、糸数発着系統が運行されていた。那覇からだと大城を通過して3つ目の糸数入口バス停(現在は廃止)から分岐し、糸数へと至る経路であり、独自区間は糸数入口~糸数間の約1.4kmのみであった。当時の糸数地区のルートを以下に示す。

かつて存在した糸数発着系統のルート(青線)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

糸数入口~糸数間にはバス停が設置されていなかったが、これは1977年12月当時の航空写真を見てもわかるように、途中は山地で利用者が皆無であったためであろう。この当時は圃場整備もされていなかったため、現在のように直線道路にもなっておらず、走行環境も良くなかったのではないかと思われる。

1977年当時の糸数地区 1977/12/07撮影
(国土地理院の空中写真【COK771-C62-17】を筆者が加工)

終点の糸数バス停の場所であるが、1980年に発行されたバス路線図$${^9}$$だと、糸数公民館が立地しているあたりに糸数バス停が描かれており、下記のなんじょうデジタルアーカイブの記述からしても、恐らく公民館前が終点だったのであろう。

かつて糸数には親慶原から路線バスが乗り入れており、公民館横の道路(中道)がバス通りだった。

なんじょうデジタルアーカイブ 昔のバス通り

ただ、現在の航空写真を見てみると、公民館前の通りよりも東側の歩道付きの通りにバスベイが設置されていることから、後にこちらに終点が移動した可能性もある(現在は2019年10月に運行を開始した南城市内線Nバスの糸数バス停として使用)。

運行開始日に関する資料としては、なんじょうデジタルアーカイブに、1966年9月17日に撮影された「糸数区バス開通ならびに売店七周年祝記念」の写真があった。バスの後ろに「バス開通 祝」という横断幕もつけられていることから、恐らくこの日が糸数への路線バス運行開始日であろう。

糸数発着系統の運行開始記念写真
(出典)なんじょうデジタルアーカイブ
糸数発着系統の運行開始記念写真(拡大)
(出典)なんじょうデジタルアーカイブ

この糸数発着系統であるが、なんじょうデジタルアーカイブ$${^3}$$にも書かれているように、利用状況は芳しくなかったようである。沖縄バス創立60周年記念誌$${^4}$$によると、1983年3月に糸数発着系統の廃止が認可されているので、1983年中には廃止されたと思われる。

糸数における交通の便は、明治時代末ころまできわめて悪かった。1966年ころから、沖縄バスが親慶原と糸数公民館の間で路線バスの運行を開始し、移動の利便性はおおきく向上した。しかしながら、乗客が少なかったため、1980年には運行打ち切りになってしまった。

なんじょうデジタルアーカイブ バス開通と売店7周年の祝い

1983年3月 大里線糸数折り返し廃止認可

沖縄バス60年のあゆみ(2011年3月 沖縄バス発行)p.37

なお末期の1980年7月1日時点で、1日3本のみの運行であった$${^1}$$$${^0}$$。

大里グリーンタウン発着系統が新設

利用者数の減少で糸数発着系統は1983年に廃止されたが、それと同じ年の1983年4月10日には大里グリーンタウンを発着する系統が新設された。

【沖縄バス/アーカイブスVOL.30】 ~大里グリーンタウン~ 系統40番が大里グリーンタウンに乗り入れを始めたのは1983年(昭和58年)4月10日のことでした☆

Posted by 沖縄バス株式会社 on Sunday, June 8, 2014

沖縄バスFacebook$${^5}$$によると、終点は大里グリーンタウンで、現在のように大城、親慶原方面までは繋がっていなかったようである。当時の大里地区での運行ルートを以下に示す。

かつて存在したグリーンタウン発着系統のルート(青線)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

ちなみに、沖縄バス創立60周年記念誌$${^4}$$には、1990年10月にグリーンタウンに駐車場移転との記述がある。

1990年10月 大里線グリーンタウンに駐車場移転

沖縄バス60年のあゆみ(2011年3月 沖縄バス発行)p.41

ただ、1984年11月当時の航空写真で既に折り返し用と思われる駐車場がグリータウン内に設置されており、1990年10月当時の航空写真でも、グリーンタウン内の別の箇所に設置されている様子は確認できずなので、この「グリーンタウンに駐車場移転」が意味する事項はよくわからない。

1984年当時の大里グリーンタウン 1984/11/09撮影
(国土地理院の空中写真【OK841X-C13-8】を筆者が加工)
1990年当時の大里グリーンタウン 1990/10/20撮影
(国土地理院の空中写真【OK901X-C27-9】を筆者が加工)

また、グリーンタウン発着系統が、現在のようにグリーンタウンが経由地となった時期も不明である。
やや強引だが「グリーンタウンに駐車場移転」ではなく、「グリーンタウンから終点(駐車場)移転」という読み取りで、1990年10月にグリーンタウンが経由地になったという説はあるが。

1990年代前半に大城発着が誕生?

大里ニュータウンを過ぎたところにある大城には、2020年3月まで大城駐車場という折り返し用の駐車場が設置されており、40番・大里線の一部は親慶原または南城市役所まで行かずに、ここ大城発着となっていた。

この大城発着の詳細な運行開始日は不明であるが、1989年3月末時点の路線一覧には存在せず、1993年11月時点の路線図には存在することから、1990年代前半に運行を開始したと想定される。なお1986年7月に運行を開始した109番・大里(真境名)線が大城を終点としていたことから、40番・大里線の大城発着系統の新設前から、大城駐車場自体は設置されていた可能性がある。
大城駐車場が存在した1993年8月当時の航空写真を以下に示す。なお、この時点で大里グリーンタウンにあった折り返し用の駐車場は廃止になっているようである。

1993年当時の大城駐車場と大里グリーンタウン 1993/08/29撮影
(国土地理院の空中写真【OKC931-C52B-7】を筆者が加工)
1993年当時の大里グリーンタウン 1993/08/29撮影
(国土地理院の空中写真【OKC931-C52B-7】を筆者が加工)
1993年当時の大城駐車場 1993/08/29撮影
(国土地理院の空中写真【OKC931-C52B-7】を筆者が加工)

この大城駐車場は、最盛期は40番・大里線、109番・大里(真境名)線、113番・南風原線の3路線が折り返し場所として利用していたが、1998年1月に113番・南風原線が廃止$${^4}$$、2019年9月に109番・大里(真境名)線が廃止$${^7}$$となり、40番・大里線のためだけに残す必要が無いという判断か、2020年3月をもって廃止$${^8}$$され、現在は全便が南城市役所まで乗り入れている。

向陽高校前発着系統は短命だった?

沖縄バス創立60周年記念誌$${^4}$$によると、113番・南風原線の廃止とほぼ同時に、40番に向陽高校発着系統が新設されたようである。この系統だが、40番・大里線を名乗りながら、本線とはだいぶ違う経路であった。以下に向陽高校発着系統のルート図を示す。

かつて存在した向陽高校前発着系統のルート(青線)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

那覇バスターミナル~仲程までは本線と共通だが、そこから与那原方面へと向きを変え、与那原、馬天、親慶原、百名と経由して、百名からは全てのバス停を通過し、向陽高校前に至っていた。百名~向陽高校前の区間は琉球バスの営業エリアであったことから、それに配慮した形であろうか。

この向陽高校前発着系統であるが、詳細な廃止時期が不明であるが、2001年3月当時のバス路線図$${^1}$$$${^1}$$には記載がないことから、1998年1月の運行開始から3年もたずに廃止された可能性が高い。

南城市地域公共交通再編実施計画に基づく再編

系統の新設廃止を繰り返していた40番・大里線だが、2000年に入ってからは落ち着き、経由地は大里第二団地または大里グリーンタウン、終点は大城駐車場または親慶原出張所の組み合わせで4系統が運行されていた。
この4系統は、2019年10月1日に実施された「南城市地域公共交通再編実施計画」に基づくバス路線再編に伴い2系統に再編されている。具体的には、大里第二団地経由は廃止され、南城市内線として新設されたNバスに引き継がれた。また残った大里グリーンタウン経由についても、親慶原出張所も閉鎖されたことにより親慶原発着が廃止となり、新たにバス拠点として整備された南城市役所発着系統となった。

またこの再編と同時に、起点を那覇バスターミナルから浦添市の結の街(国立劇場おきなわ)に延長した309番・大里〜結の街線が運行を開始している。寄宮経由である点などは40番・大里線を踏襲しており、完全なる派生路線なのだが系統番号は340番とはならず、309番となっているのは個人的に不思議に思っている点である。

その後、前述のように2020年3月をもって大城駐車場は廃止$${^8}$$されており、現在は大里グリーンタウン経由、南城市役所発着系統のみとなっている。

脚注

  1. 沖縄バス30年のあゆみ(1981年6月 沖縄バス発行)p.54、p.57

  2. 那覇市内交通緩和対策 会議録 市街バス経路調査(1966年6月 琉球政府通商産業局運輸部)p.39p.53

  3. なんじょうデジタルアーカイブ バス開通と売店7周年の祝い

  4. 沖縄バス60年のあゆみ(2011年3月 沖縄バス発行)p.37、p.41、p.43

  5. 沖縄バスFacebook 【沖縄バス/アーカイブスVOL.30】~大里グリーンタウン~

  6. 躍進 - 学校概要(2017年 沖縄県立向陽高等学校発行)p.2

  7. 【お知らせ】「南城市地域公共交通再編実施計画」に伴う路線バスの変更について(2019年9月18日 沖縄バス)

  8. 【お知らせ】大城駐車場廃止に伴う大里・南城系統路線のダイヤ変更について(2020年3月24日 沖縄バス)

  9. バスルートマップ沖縄(1980年 運輸経済研究センター発行)

  10. 昭和54年度 業務概況(1980年8月 沖縄県陸運事務所発行)p.26

  11. バス運行時刻表(2001年3月 沖縄県バス協会発行)

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